【睚眦(がいさい)の怨み】……ちょっと人ににらまれたほどのうらみ。わずかなうらみ。「目には目を、歯には歯を」と似ているけれど、少しだけ違います。
誰がそんなことをしたんでしょうか? 他人に対してイチイチ反応してみても、人からの冷ややかな態度なんてキリがないんだから、そんなにムキにならなくてもいいと思うんだけど、でも、しっかりそれらに反応する人はいます。それでその人は幸せなんだろうか。まあ、それは生き方ですね。
オレ様をバカにしたものは、絶対に許さないって、それができる人はいるかもしれないけど、考えてみれば大変なことです。
范雎(はんしょ)という人がいました。中国の戦国時代末期に秦で活躍しました。王様に近づけるまで紆余曲折があったようですが、二千何百年経った今でも名前も、その動きもリアルに描かれているのですから、大したものでした。
「遠交近攻」が彼の外交政策でした。それは見事に成功したそうです。東アジアでは、今もこのルールに従っています。
大国の中国は、日本、台湾、フィリピン、インド、ベトナムなどとは経済的にはつながってるかもしれないけど、政治的には対立している雰囲気です。
北朝鮮は、韓国、日本などとは対決姿勢ですが、アメリカに対しては常に秋波を送っている。トランプさんがカムバックしたら、すぐに対話外交を求めるでしょう。
世界の中心のアメリカは? メキシコ、キューバ、プエルトリコ、ドミニカ、カリブ海や中米などには冷たいというのか、家来みたいなものとして見ている。そして、ヨーロッパやイスラエルと結んでいる。やはり「遠交近攻」でしたか。
近所の国って、ついついいがみ合うことはありそうですね。
権力を確保した范雎さんは、秦から偽名である張禄を号としてもらいます。この頃、魏では秦が韓・魏を討とうとしているとの情報をつかみ、須賈(しゅか)さんを使いに出します。かつての雇い主でしたね。
須賈さんが秦に来ていると知った范雎さんは、みすぼらしい格好をしてその前に現われます。須賈さんはあの范雎が生きていたことに驚き、今の様子をたずねると、范雎さんは「人に雇われて労役をしている」と答えます。すべて予定通りの行動です。
あまりのみすぼらしさを哀れんだ須賈さんは、絹の肌着を范雎に与え、「秦で宰相になっているという張禄という人に会いたい」と告げます。范雎さんは「私の主人がつてを持っているので、面会することができます」とのべて、自宅へと案内します(范雎さんと張禄さんは同一人物なのです)。
先に入った范雎がいつまでも出てきません。須賈さんは門番の兵に「范雎はどうしたか」と訊ねます。すると、「あのお方は宰相の張さまである」とのことでした。これでまずビックリ、だまされている感じです。
須賈さんは大慌てで范雎さんの前で平伏し、過去の事を謝った。范雎さんは須賈さんの過去の行いを非難しましたが、須賈さんが真心から絹の肌着を与えて同情を示したことで命は助け、「魏王に魏斉の首を持って来いと伝えなさい。でなければ大梁(魏の首都。現在の開封)を皆殺しにするぞ」と言うのでした。
帰国した須賈さんは宰相の魏斉さんにこのことを告げ、居場所のなくなった魏斉さんは、趙の平原君の元へ逃げます。
それからのち、范雎さんを推挙した王稽さんが「自分に対して報いが無いのではないかな?」と暗に告げますと、范雎さんはしぶしぶ王様に王稽さんを推薦したりします。
更に命の恩人の鄭安平さんを推挙して秦の将軍にし、財産を投げ打って自分を助けてくれた人に礼をして回った。
この時の范雎は、一杯の飯の恩義にも睨み付けられただけの恨み(睚眦の恨み)にも必ず報いたと言う。
この時点で、一番憎らしいのは、魏の宰相だった魏斉さんですが、彼は逃亡中です。でも、ずっとたどってたどって、最後は自分の首をはねるまでに追い込みます。
因果応報というのか、恨み骨髄というのか、絶対に恨みは晴らさずにはいられなかったのでしょう。
こんな負のエネルギーの人生は、最後はどうなるんでしょう。穏やかに命を終えることができたんでしょうか。