アンネ・フランクさんは1929年6月12日生まれで、1945年3月12日に亡くなったそうです。あとしばらく耐えられたら、彼女は今でもこの世にいたのかもしれないし、彼女の言葉が聞けたのかもしれない。
そんな、ありもしないことを考えても仕方がないけれど、彼女は十数年の人生を懸命に生きたのだと思います。そんな言葉しか思い浮かばないくらいに気持ちがストップしてしまう。どうしたらいいのか、わからなくなる感じです。
考えてみれば、彼女は、うちの父と同年代で、住んでいるところも時代も違うから同レベルで見ることはできないけれど、大きく同世代ということができます。父だって生きていたら、94歳になったでしょうか。病気をしなかったら、今も息子や母に多くは語らないけど、あれこれと方向性を与えてくれたでしょう。
父は亡くなってしまって10年と少し経過していますので、私は会えない父に訊くつもりで生きているつもりですけど、どれだけピュアに聞く気持ちを持てているかですが、あまりピュアではないかもしれない。私はナマケモノでグータラですから、それはもう反省の日々は続いています。まず、ひとりでサビシイ感じの母にうまく声掛けできていない。これが反省点の一つですね。
私の好きな女優さんに、『雨に唄えば』(1952 MGM)のデビー・レイノルズさんがいます。とはいえ、彼女の他の作品はあまり見たことがありません。彼女は、1932年の4月1日生まれで、亡くなったのは2016年の12月28日だったそうで、娘さんのキャリー・フィッシャーさんが亡くなって、その翌日に精神的苦痛から亡くなってしまったそうです(息子さんが語っていたそうですけど、そういうことはあり得る気がします)。子どもの死、子どもが親より先に逝くなんて、耐えられない親もいるでしょう。人は亡くなっていくものなのだけれど、いざ自分に降りかかると、簡単にポキンと折れてしまうことがある。
キャリー・フィッシャーさんの記事などを見ていて、たぶん、お父さんのフイッシャーさんがユダヤ系の人だったというのを知りました。お父さんは歌手だったそうです。デビーさんはどうだったのかな? 結婚する時にユダヤ系だからどうする? なんていうのはないでしょうね。好きなのはスキなのだから、そんなの関係ないのです。
同じハリウッドで、ローレン・バコールさんというクールビューティーの方がいましたけど、彼女は1924年生まれで、少し年上でした。ものすごく部厚い彼女の自伝を読もうととチャレンジしたことがありましたけど、挫折してしまったなあ。
そこにほんの少し、ユダヤ系である自分の家の歴史を語っておられたところがあったように記憶しています。ユダヤ系であるというのは自分たちの大事なアイデンティティであり、どんなにして自分たちはここにいるのかを確認する意味で、とても大切なことでした。ハリウッド関係者には何人ものユダヤ系の人たちがいるし、当たり前のことであって、大谷くんがMLBで活躍するのと同じです。どんな人でも、才能とやる気と出会いがあれば、アメリカでは活躍できるのです。
この前亡くなられたアヌク・エーメさん(Anuk Aimee)は、本名ではなくて芸名だったそうです。本名はフランソワーズだったような気がします(Francoise Sorya Dreyfus)。きっと芸名にも意味はあったのだと思いますが、フランス語はサッパリだった私には、今もってサッパリです。
彼女もユダヤ系でした。ユダヤ系とひとまとめにしてしまっているけど、宗教なのか、住んでた地域なのか、気持ちなのか、何を基準にユダヤ系とするのか、私にはわかりません。たぶん、アメリカにも、フランスにも、ポーランドにも、ウクライナにもロシアにも、イスラエルにも、今もユダヤ系とされる人たちはいるはずです。
みんな当たり前に暮らしていきたいし、人を傷つけたくないし、自分の才能を伸ばしていきたいと思っている。そして、自分とはどんな存在で、いかに自分を語ればいいのか、それに関してはみんながずっと悩みながら生きている。
たまたまアヌク・エーメさんは、フェリーニさんやクロード・ルルーシュさんに出会い、スクリーンの中で輝いていた。彼女の場合は60年代がとてもまぶしかった。レイノルズさんは、1952年の『雨に唄えば』だった。娘さんのキャリーさんは1977年からの『スター・ウォーズ』のシリーズ三作だった。
映画の世界は、その光がものすごくまぶしいから、私たちは印象を受けた瞬間をずっとその後の人生に引きずっていきます。何かあるたびに思い出し、そうだったんだなと思い返します。
本人としては、それだけが私の人生ではなくて、私の人生そのものが一つの物語なのよ。一部分だけでどうこう言わないの! と言われるかもしれないけど、私なんかは、せっかく自伝を読もうとしても挫折してしまうのですから、残念ながら二時間くらいの作品がその人を知る唯一のチャンスなのです。
ですから、アヌク・エーメさんは1960の『甘い生活』のまんま、現在まで至っていますので、途中などはイメージと違うとしか言えないようです。ファンなんてそんなものかな。
アンネさんは、実際に会ったわけではありませんでした。でも、ちゃんと中学生の時に、コクゴの教科書で出会いました。文春文庫は出ていなくて、単行本みたいなので読むしかなくて、省略版を買って読んだはずです。その本は手元にはありません。でも、私なりに読んでみました。閉塞感は私なりに感じました。
映画も見ました。イギリス軍の空爆を家族みんなで眺めるシーンが印象的でした。アンネさんを演じたミリー・パーキンスさんは、アンネさんよりも9つ年下で、やはりアンネさんの気持ちを感じて演じていたと思われます。
みんなが、誰かの気持ちを汲みながら生きている、というんでしょうか。私は? 私は、たくさんの人の気持ちを汲み過ぎて? 暑さに負けてヘロヘロしています。今日も、日本で一番の最高気温になるでしょうか? そんなの自慢にも何もなりません。日本中が日の光でクタクタになりそうです。日かげに行かなくちゃ!