花粉症は炎症しています。だから、何度も目が覚めて、何度もハナをかみました。5時半すぎにもう我慢できなくて起きてしまった。
となりで寝ている奥さんは、昨日はなかなか寝付けなかったそうで、私のせいで起こされて寝不足を訴えています。「一緒の部屋では寝れない!」ということでした。本当に申し訳ない。もう30年以上迷惑をかけ続け、彼女の睡眠時間を奪っています。
「もう少し寝ていてね」と私は言いますが、彼女は小さな物音でも敏感にキャッチしてしまって、眠れなくなるようです。まあ、みんなそうですね。自分の出す音は気にならないけれど、誰かの出す音は、気になってしまう。
私は、なるべく彼女のためにやってあげたいのだけれど、自分の至らなさ、だらしなさ、ハナ水の出加減により春はいつも以上に不規則な、(春はずっと絶え間なくハナ水をかんでいるのである意味正確というか、24時間体制のハナ垂れオッサン)生活になっています。
ゴメンナサイね。……カタカナでかわい子ぶりっ子しても、誰も許してくれません。もうそういうオッサンなのだと諦めてもらうしかありません。
そんな私ですけど、誰かに何らかの役に立つ時もあるのだろうと、信じていますが、あぶなっかしいですね。みんながイヤで、役に立たないヤツと思ってたらどうしよう。まあ、せいぜいみんなのためになるように努力しなくてはいけません。行動ではできなくても、気持ちはそうです。
そいで、たとえば、朝の散歩です。
よく出会う保育園児さんがいます。おじいさんに手を引かれて、保育園バスの来るところまで歩いていくみたいで、おじいさんとおしゃべりしたり、世間話をしたり、通りすがりの人に「おはようございます」と挨拶したり、わりと声が前面に出る子がいます。
声をハッキリ出してくれることって、当たり前なんだけど、ありがたい。
道にゴミが落ちてると、「ゴミ捨ててはいけないね」とか、
「〇〇ちゃん、オハヨー」とか、「わたし、先に行くよ」と側溝のブロックを綱渡りのように歩いてみたりしています。
私は、挨拶をしたら、ただ感心するばかりなのですが、この子がいることで家族は光り照らされているものだろうと感じます。
まわりの人たちをその存在だけで輝かせてくれる人、誰だっていいのだけれど、そういう人って、いろいろいるのだと思います。
うちの奥さんは……、その存在も大きいけれど、彼女のコロコロとした笑い声が聞けたら、もうそれだけで私はうれしくなるし、彼女を笑わせられるような何かをいつもしてあげたいと思うのです。
でも、ついつい日常に流されてしまうと、それができなくなる。そして、逆に迷惑ばかりかけて、彼女をウンザリさせることばかりが続く。
それでも、私は、どうか怒らないで、こんな私だけど、気持ちはあるのだよ。何かのお役に立ちたいのだよと、ことばはかけないけど、心の中では思うのです。
何が言いたいのかというと、奥さんをしあわせにしたいということですね。でも、できていないという反省なのかな。
それなのに、迷惑かけることばかりなのに、私はまわりの人たちから光をもらっているという、とんでもないことばかりしている、そんなところかな。
昨日、何年ぶりかで会った女の子がいました。久しぶりに会うと、相変わらずの彼女で、
「苗字が変わりました」とだけ言います。
「えっ、いつから?」
「4年前から」
「あらまあ」
私は、彼女のがんばる姿、ひかえめなところ、いろいろとチャレンジしようとするところなど、感心することが多かったので、そんな彼女が結婚して(お子さんはまだなのかな)、自分の仕事を着々とこなしている姿に少し感動したりしました。感動は大げさだな。ただ久しぶりに会えてうれしかったというところかな。
ほらね、私は、女の子の前向きな姿には素直に感動します。男の子にも感動するときもあるんですけど、男の子よりもオッサンたちの方に心が行くことが多いです。男の子たちも頑張っている。でも、それはまだ仮の姿で、彼らが自分の道をみつけて、自分なりにコツコツ何かしているというのを教えてもらうと、ジワッと感動してしまうみたいです。
それと比べて自分のブザマなこと! 人に迷惑しかかけていない。仕方がないので朝ごはん食べて、奥さんとドライブでも行くかな。春真っ盛りで、たくさんの花が咲いてます。
花粉も浴びるだろうけど、とにかく行ってみよう!