甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

大洲のお城へ

2019年02月15日 23時20分29秒 | 四国へ海を越えて

 今さらながら気づいたことですが、松山の方から宇和島に向かって行くJRの予讃線は、松山を出てしばらくすると路線は突然二つに分かれてしまいます。一方は海側を走り、もう一方が、山側を走り、古い街の内子などを抜けていきます。

 別れた線は、大洲(おおず)という町でふたたびくっついて、ここからはさらに南の宇和島まで向かって行くようでした。

 今回は、八幡浜で降りて、フェリーで四国に渡ることにしていました。クルマはないので、ひとりの乗客として船に乗り、大分の臼杵をめざしていた。

 その前に、内子を1時間ほど散策して、それから大洲に出ました。JRで山側を走るので、何度も何度も長いトンネルを抜けていきました。地図で見たら、海側のみんな平地みたいに見えていたものが、そういう大雑把な地図ではわからない微妙というか、わりと山深いというか、山また山の土地を抜けていく路線でした。



 予讃線の最初に作られたのが海側の線であったはずです。大洲の町から海まで肱川という川が流れていて、その海までの数キロは、ずっと川を山が丁寧に囲んでいて、冬になると川霧が海までずっと続くという肱川あらし(だったかな? おろしではないな? とにかく、霧がドライアイスみたいに海まで流れる自然現象です)というのがありました。だから、海側から大洲まで平地はないようでした。

 いや、そもそも愛媛県の西側、松山以西は、平地はあんまりなくて、ところどころある平地に町ができている。もしくは、港があるから、そこに自然に町ができてしまった、というだけで、近代の基本である、平地にたくさん人が住んで、工場を作り、そこで働く人が生活するための町ができる、という形はないようでした。

 盆地で小さな城下町の大洲、そこにつながる街道沿いの町・内子、九州につながる、漁港もある八幡浜、そこを私はたどって歩いていた。駆け足で抜けていくので、内子の宿場町。大洲は町そのものもおもしろいはずなのに、お城だけ。八幡浜は港とみかんと、歴史もあったはずだけど、商店街を歩いただけ。私は何も見ることができていないし、地元の人と話さえしていなかった。電車と歩いただけだった。

 それで、偉そうに、鉄道路線を考えていた。といっても後付けで、とにかく町をつなぐ鉄路を海側に作り、あとから難工事の末に山側の路線を確保した。それから、2つとも現在まで存続させている。などという当たり前のことに思い至っただけのことでした。

 それは、東海道線と御殿場線みたいなものでした。御殿場線が昔の東海道線であった。そちらの方が工事としては淡々と作れたのかもしれない。多少の起伏はあったでしょうけど、スイッチバックして上り下りするほどではなかった。やがて、丹那トンネルが開通して熱海を抜けていくことができるようになり、こちらがメインの東海道線になった。こうした鉄路の発展みたいなものが各地にあったんでしょう。



 大洲駅には、宇和島行きやら、海側まわりやら、特急やら、いろんな列車がそれなりに止まっていました。一本の線路しかないので、特急と普通など、やりくりもしなくてはいけないし、時間調整させたりしているようでした。なのに、駅のコインロッカーはなく、仕方がないので大きな荷物を抱え、お城まで歩かなくてはなりませんでした。歩いて行けるだろうけど、どれくらい歩くのか、そんなことさえ調べていませんでした。

 何とかなるだろうと思っていた。

 こちらは、海側も山側も予讃線という雰囲気でした。地元の人は、どんなふうに使い分けているのか、それとも、そもそも大人は、JRを利用しないというのが基本だったのか。

 とにかく、私はトンネルをくぐって、大洲に来ました。ここではお城だけを見るのを楽しみに、木造で最近作ったという大洲城を見に行くことにしました。

 結局、片道30分以上かかり、かなりしんどかったけれど、まあ、街歩きは、楽しかったということなんでしょう。国道沿いを歩くのはしんどかったんですけどね。



 あと少しだけ、大洲のことを書いておかなくてはなりません。

 駅から少し歩いたら、お城はあるはずでした。川のすぐそばにある、というのを意識していたかどうか。とりあえず、よくあることですが、旧市街と駅のある所とは離れている場合がよくあって、ここもそのパターンでした。

 駅からすぐのところに、いよてつ高島屋という雰囲気のデパート然とした建物がありました。明かりがついていたら、中にも入ったかもしれないのに、営業しているのか、どこから入るのか、それさえわからない状況でした。
「ああ、これも駅前デパートの廃墟なのか……」と、時間もないことだし、横目に見ながらすり抜けていく。

 本当は、このデパートあたりで右折するべきだったのに、道もわからないし、案内板もないし、とりあえず大きな道に出て、そこの歩道を歩いてみようとしたんです。

 それから、国道56号線に出ました。歩くには不向きな道で、少し狭かったけれど、よくある古い地元国道でした。それを川のたもとに出るまで歩かなくてはならない。見るべきもの、古いもの、昔の町の雰囲気のある所、そういうのを探してますが、見つからない。

 黙々と歩いて、ようやく肱川橋まで着きました。やっとお城を見ることができました。あの犬山城を木曽川越しに見た時とよく似た印象でした。古さは違うけれど、雰囲気は同じです。

 お城は、どうでしたっけ?


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