近鉄で吉野までは何度か行ったことがありました。3回か4回くらいです。北の方からやっと吉野川河畔に出た電車は、吉野川の右岸をずっと遡っていきます。大和上市という駅を出たら、鉄橋を渡って、吉野川左岸に行きます。まるで覚悟を決めた電車が、猛然と対岸に飛び込むような感じです。
橋を渡ったら、吉野神宮、次の駅が吉野、ですから、対岸に駅は2つだけです。それくらい平地がない、と言えばいいんでしょうか。そもそも、どうしてこんなところに電車を通したのか、それがわからなくなります。
もちろん、終点の吉野で下りて、ロープウェーに乗り、たどり着いたら、桜の名所で、全山を桜が覆っているのだと思われます。でも、それもたったの一週間程度です。そのためにわざわざ電車を通したのか、もっと別の意味があったのか。
おかげさまで、ここからもっと奥の大台ケ原山をめざしたり、山深く入り込んでいくつかの温泉に浸かりに行く、ということも考えられます。でも、あまり有効性がないような気がする。
私鉄の中でも、それなりに苦労するローカル線のような気がします。でも、ちゃんと特急は走っているし、観光列車も用意されています。それなのに単線です。ホームが一つしかない駅もいくつかありました。
吉野川が流れているところは、少し開けたところです。製材所があちらこちらに見えるし、電波塔も立っている。和歌山につながる国道にはトラックも、乗用車も走っている。でも、吉野川は右岸(北側)があちらこちらにつながっていて、左岸(南側)は、深い山奥へとつながるだけです。
昨日、駅前の鳥居にはご案内しました。鳥居は、お参りに来たのなら、ここをくぐりなさい。その道が指し示すところをトコトコとたどりなさい、ということを教えてくれます。
でも、一の鳥居というのは、お参りさせてほしいところが見えないことが多いです。
私の今までの感覚でいえば、駅を出たら、すぐに歩いて行けそうなところにお社はあるという気がしていました。
なにしろ、明治政府が崇め奉り、持ち上げ、天皇様につながる人々に位を授けたり、あれやこれやとお話ができ上っていくその根本の天皇様をお祀りしたところです。誰もが訪れることのできる、有り難いお社でなくてはなりません。
一の鳥居には、矢印があって、ここから0.9kmとありました。まあ、20分くらい歩けばいいんでしょうか。
道は、山を旋回しながら上っていくようでした。平地に作られたお社ではないようです。
そりゃ、どいつもこいつも簡単にお参りできるようであれば、何だか天皇様も、そこまでカジュアルにしてほしくないよ、と思われたのか、それとも適当な平地がなかったのか、山の上にあるようです。
タクシーも上がっていったから、たぶん、観光客もいるようです。でも、私が駅を降りた時にはたったの4人しかいなかったんですよ。その中のオジサンみたいな人がタクシーで向かったのかなあ。
気づくと、一緒に降りたはずの中年の女性もひとりで黙々と登っています。もう根競べです。行けるところまで行く。たったの0.9kmの坂道であれば、30分くらいしたら、たどり着けるはずでした。自分が数十メートル先行しているから、少しでも差をひらいてゴールインしたいじゃないですか。
誰も住んでいないような鉄筋の住宅の廃墟みたいなのが二棟ありました。廃墟に見えたけれど、ひょっとして住んでいる人もするかもしれない、そんなところもありました。駐車場がないみたいだから、こんな斜面の上の鉄筋住宅って、不自然な気はします。
いくつかの民家、製材関係の仕事場、杉の林、あれ、これはさっきの杉とは違う、ヒノキの林もある。どこまでも坂道は続きます。そして、道ばたに路上駐車したクルマ、乗ってきた人は? と見上げると、斜面の上にお墓が何段にもなって連なっていました。これはお墓の方が先にあったもので、そこに後から道路ができ、それではとお参りするのにクルマでひとり行ってみよう、ということなのか、坂道の狭いところでお墓のまわりを掃除しています。奥の方にも誰かいるようでしたが、それくらいにお墓として地域の人たちから思われてきた山の土地のようです。その上の方に後醍醐天皇さまが神様として君臨しておられる、というのは自然です。
平地はないのだから、人々のお墓の上の方を切り開けば、そこに鎮座していただけたら、それでいいわけでした。
道の脇に二番目の鳥居を見つけました。ここから参拝者は入っていくべきです。タクシーもここに止めるんだろうか。そういえば、歩いて参拝するだけなのでしょうか。クルマは他にないのか? こんなにだれもいないところ?
とりあえず、来ました。山のてっぺんではないようです。少し行けば頂点にたどり着くのかな。
なかなか後醍醐天皇さまのところまでたどり着けませんね。(つづく)