宮沢賢治さんよりも三十年以上早くアントン・チェーホフさんはサハリン島へ来ていました。
目的は何だったのか、それはわかりませんが、帰ってきてからその時に感じたことをまとめていて、日本では1953年に岩波文庫で『サハリン島』の2冊が出たようです。2009年に第8刷が出て、それを私は買っています。もちろん、買っただけで、もう10年以上放置しています。あいかわらずムダなことばかりしている。もうずっとそんなでやってくんだな(コンニャロー、あほたれー!)
わたしは今度の旅行が文学にも、科学にも大した寄与をなし得るとは思っていません。知識も、時間も、自信も足りないわたしに……。ただせめて100頁か、120頁くらいのものを書いて、自分が学んだ医学に少しでも貢献できたらと願っているだけです。
なにしろ医学に対しては、わたしはご承知のごとく、一匹の豚程度の存在にしか過ぎないのですからね……。
そんなチェーホフさんがブタだなんて、誰もそんなこと思ってないのに、謙遜ですね。そして、鉄道もないだろうに(あったのかなあ?)モスクワからサハリンに行ってみようだなんて、その行動力だけでも素晴らしい。30代でそんな行動力があるなんて、そんな知恵があるなんて、うらやましいのです。
それにわたしは今年の旅行が約半年にわたる連続的な労働、肉体的・精神的の労働だと考えます。これがわたしには是非とも必要なのです。なぜかと言えば、わたしもやはりロシア人で、そろそろ怠けかけて来ているからです。自分を鍛えなければなりません……。それに仮に今度の旅行が何もわたしに与えなかったとしても、それでもわたしの生涯を通じて、歓喜か苦痛の情をもって思い返すような日が、二、三日はあろうではありませんか……。〈1890.3.22 スヴェーリン宛〉
チェーホフさんは40数年の生涯の中で、どれくらいのことをされたんでしょう。短編はいくつか読んだことはあれますが、この旅行記も読んでなかった。
どうしてそんな時に、サハリンへ出かけたのか? まだ、日清戦争も、日露戦争も起こっていない時でしたか。日本も自分たちの国がどれくらいよその国に接しているのかを確認していませんでしたね。ついでに広げてしまえという、とんでもないことを考えてた頃でした。
国家の枠組みみたいなのが、それぞれぶつかり合うことがやがて来るんですね。
どうか小生のサハリン旅行に文学的な期待などおかけにならぬように。小生は観察や印象を求めに行くのではなく、ただ六ヶ月ばかり、従来と異なった生活をしに行くのに過ぎないのですから……〈同日 シチェグロフ宛〉
旅するのは、観察や印象を求めに行く、ということもあってもいいわけですが、そんなチャラチャラしたものが欲しいのではなくて、チェーホフさんはそこに生活する自分を描きたいと思っていたようです。その心意気や良し、です。