2022年の熊本県を旅した正平さんのダイジェスト(録画)を見ました。
鹿児島本線の荒尾駅から92歳のお父さんが見送っていたというシーンをスタッフみんなでおもしろおかしく再現していました。シンミリするよりも軽い感じで、みんなで駅の改札でお別れするところを演じていた。町の中心の駅のはずだけど、お客さんのいないお昼くらいだったのか、そんなに人はいませんでした。そんなものだったのかどうか……。
お手紙によると、お手紙の人のお父さんは、駅でのお別れから二年後に亡くなったということだったけれど、その二年の間にどれくらい会えたのかどうか。ひょっとして最後のお別れだったのか? だとしたら、二年間も遠ざかってしまって、残念だったし、申し訳ない気持ちも残っただろうな、なんて思いました。
私たちは、どれだけ「今度やろう」「もうすぐしたたら会いに行けるさ」なんて言い訳して、会わないままにお別れしてしまう。そういう場面に出会うんでしょう。どれだけ後悔しても遅いし、やろう! 行こう! と思ったら、すぐに動いた方がいいと私は思うんですけど、いろんな事情、仕事の問題、家族のあれこれ、お金の問題、スケジュールの問題、距離の問題など、いろいろあったりします。けれど、ほんの一瞬でいいし、あまりしゃべれなかったとしても、会いに行けたらなと思う。いくら思っても逃したチャンスはもどらないのだけれど……。
若い人たちって、お金さえあれば何でもできると思ってると思います。けれども、実際はそうではなくて、いくらお金があったって、ちゃんと「会いたい」という気持ちに向き合わないと、二度と会えなくなるということがあります。まあ、何度も何度もそういう失敗をして、もっとチャンスを大事にしたいと思うんだろうけど、そう思えるようになったときは、もう「会いたい人」がいなくなってしまうなんて! なんだか不思議なものです。
ダイジェストの次の場面、たまたま予約したイタリアンのお店。お店の女性があれこれと講釈して料理を紹介します。「……のラビオリです。」それに対して正平さんは「つまんないことしていい? (指を何度か折り曲げて)あっ、これはゆびおり」なんて言う。まさしくつまらないことをやってるんだけど、これをやるのがオヤジの正平さんでした。
そして、お店の前でさっきの女性とシェフらしき男性。どうやら夫婦で経営しているお店らしかった。そして、どういうわけか、さっきあんなに高らかに料理の説明をしていた女性が、一緒に店の前で記念写真を撮る段になって、気持ちが高ぶってきたらしく泣いてしまうのです。ほんの短い間で感動している様が写されていました。
「泣いてるんだよ」と見ればわかる声かけをして、正平さんは何だかわからない気持ちにさせる。女性の友だち何人かが一緒に写真を撮る時には「枯れ木も山の賑わい」なんて言う。
それは少し問題がある言い方じゃないかな。私なら「さあ、みんなで撮ろう」とそのまんましか言えないけど、正平さんが言うと、それでもいいやってなってしまう。本当はオバチャンたちが「枯れ木も山のにぎわいで」と画面の中に入るパターンなんだけど、それを正平さんが言ってしまった。何だかおかしかったのです。ギャグに聞こえてしまう。
かくして、「こころ旅」を見ている私は、二年前に熊本のイタリア料理店の女性の涙にもらい泣きして、しみじみしていると、奥さんは、「正平さん見たら悲しくなるでしょ!」なんて言う。そうじゃなくて、「ただもらい泣きしただけだい!」なんて彼女には言わなくて、黙ってテレビを消してお風呂に入るんでした。
どうしてもっと説明しないんだよ? うん、面倒だから? 悲しみにひたりたいから? もらい泣きする自分がカッコ悪いから?
うん、うまく言えないな。説明できないから説明しない、というところかな。こんないろんな瞬間ごとにモヤモヤとする自分をうまく説明できないで過ごしていていいんだろうかな。
まあ、いいよね。説明は自慢じゃないけど下手なんだ。だから、大抵は説明なんてしなくて、「まあ、そういうことだ」なんてごまかしています。あーあ、なんてことだ。でも、少しは説明する練習しないとなあ。