つい十年前までは、小さい頃から高校生くらいまで十数年間も通ったお風呂屋さんの建物がありました。写真を撮った時には、もう営業してなかったと思うけれど、ずい分お世話になりましたし、同級生が二人もここの子どもさんでした。経営者の息子さんと風呂焚きの方の息子さんでした。二人とも同じクラスになったのがそんなになくて、近いのに遠い近所の仲間だった。今ごろどうしているんだろう。全く何十年も会ったことがないですけど、今はここには住んでないようです。世代変わりしましたからね。みんな出ていってしまったのかなあ。
60~70年代、お風呂屋さんは近所にたくさんありました。南に行ったら校区は変わるけど、たまにちょくちょく行く風呂屋さんがあって、そこの息子さんも同級生で、塾が一緒だった。彼は背が高くて、そのままずんずん成績は伸びて、T大へ行ったという話でした。医学部だったという話も聞いたけれど、どこでお医者さんをしてるのかなあ。彼にも会うことはありませんでした。
北側には公園のあたりに二軒風呂屋さんがありましたし、西にも、西南にもお風呂屋さんがあった。バス通り沿いに1軒、バス通りを越えるともう一軒あったかな。ほんの数キロ四方のところにたくさんの風呂屋さんがあった。たぶん、他の小学校区にもそれくらいの数の風呂屋さんがあったはずです。それくらいに人々の生活と銭湯はつながっていました。それが少しずつ切れていくのが80年代からのバブルのころになったのかもしれません。
中学までは自転車に乗れなかったから、銭湯に行くにしてもすべて歩きで行ったんです。よその小学校の校区にも銭湯があり、遠征したんだろうか。今も大通りに面したところだけにかろうじて風呂屋さんは残っています。
80~21世紀までの20年、私たちはたくさんの身近なお店を失い、生活をむしり取られ、買い物をするにしても大きなところ、チェーン店、駐車場のあるところ、コンビニなど、すべてはそちらに収れんされていきました。
母は本当に近所の安物服屋さんでただ安いというだけで服を買い、「そんなの誰も着ないよ」などと家族に不平を言われ、「それなら田舎の親戚に上げる」なんて、よく怒らせたりしましたね。それも、お店があったからでした。
それらのお店も次から次となくなっていきました。商売が成立しなくなったのでしょう。
この間、大阪に行ったときに思ったのは、酒店の消滅です。私の校区には7~8軒の酒店(もっとあったかな?)があって、同級生や一つ下の子のおうちだったりしました。みんな店を閉めて、立ち飲みどころになったり、シャッターを閉めていたり、店そのものが消滅したり、あとを継いだ息子さんが違う分野に進んで、お店そのものは閉まっているけれど、他の分野の商売をやっていて、その品物らしきものが飾られていたり、同じ業態では残っていないようです。
こんなに個人商店を廃業に追い込み、店を閉じさせ、地域からお店をなくし、家はいくつかあるはずなのに、大きなおうちでも空き家のままになっていたり、古い家はすべて空っぽになっている。そんなに古い家を残して、新しいチープな家ばかり建てて(つまりは借金させて)、そこにずっと住み続けるのかというと、すぐに誰も住まなくなるし、空っぽの店、空っぽの家、空っぽの町だけを作り続けている。
一歩踏みとどまって、古い家を生かしたり、新しい住人を迎えたり、再活性化はちっとも進まず、活性化させてくれるのは外国の人たちばかりで、実家に母がいてくれるから、ふるさとのことを定点観測できたりするけれど、町そのものはどんどん荒んでいる気がするのです。