奥さんの実家は、誰も住まなくなって十年と少し経ちました。できることなら、何度でも行って、奥さんたちの思い出のあれこれを持ってきたいと思っています。いや、そんな持ち出すことばかりじゃなくて、何度も彼女が十代後半まで住んでいた家の雰囲気を今でも味わいたい。でも、簡単には行けないし、岩手は遠く、今回も四年ぶりになっていました。
ただでさえ混乱しまくっている我が家なのに、そこへ新たなものを持ち込んだら、さらに混乱は激しくなるのはわかっています。
でも、ずっと放置され、ゴミになっていくのは辛いし、うちがゴミ屋敷化する心配はあるけど、それはそれ、誰かが何とかするでしょう。お金になるものは何もないし、全部捨て去られるだけですけど、それはそれです。
今回、彼女のお父さんが卒業していく子どもたちに送った文章を見つけました。
声を聞かせてもらうことも、ご挨拶に行くこともできなかったけれど、こうして何十年ぶりに言葉を聞かせてもらって、お父さんを感じさせてもらおうと思います。
彼女はこういうの見たのかどうか……。
心を豊かに
正しいことに向かって、まず自分の行動を起こしましょう。正しいことに向かっての議論も大切ですが、他人の行動によく気づく人も、自分のことはかえりみない人が多いものです。
自分を深く見つめることから始めましょう。それには、自分の心が豊かでなければなりません。
心に残る読書を通して自分の心を豊かにしてください。そうすることによって、他人のことも、社会や世界のことも心配する人になれるのです。
そういうメッセージをいただきました。1969年の3月に卒業していく6年生たちにこのような言葉を送ったそうです。もう半世紀ほど過ぎてしまったけれど、どれだけ子どもたちは心を豊かにできたかなあ。
心を豊かにすることって、みんなも大事とはわかっているんだけど、何だかないがしろにされる場合もありますね。
なにしろ、心の豊かさよりも経済、モノの豊かさを追求してきた私たちでした。半世紀前も、経済の豊かさは求められていました。でも、それよりも確かな心の豊かさを知ってる人たちがたくさんいたような気がします。
今、テレビなどを見てみると、そういう人はほとんど見ることはできなくなりました。みんな野望を抱き、目標を掲げ、人よりもいいものを手に入れようとし、自分はこんなにスバラしい生活を送っているぞ、と誇っている人たちばかりのような気がします。
私は、遅まきながら、心の豊かさを求めて生きましょう。お金はなくてもいいんです。どこかへフラフラ遊びに行くだけあれば、他には何もいらないです。