漱石の『坊ちゃん』は、1906年、そこから33年が経過した1939年、1900年生まれの石坂洋次郎によって東北の中学校の英語教師として伊能琢磨が赴任するというお話が生まれます。
地元の人たち、改革を掲げる校長とその一派、それと対立するゴリゴリの地元から出た教員のグループ、二つの派閥の中で、主人公は、自分の位置を築こうともがいているようです。
帝大卒の超エリートとして赴任してきたので、教職経験はないようです。でも、やる気はあるし、理想はあるんだかないんだか、戦前の旧制中学の中に入っていき、戦争の陰もあったと思われますが、そういうことはあまり描かれてないようで、石坂洋次郎的なゆったりとした世界が広がっています。
私は、五十年ぶりに、昔読んだ本(もう茶褐色化しています)を取り出して読んでいます。何てことなんだろうね。
「私は、ただいま、校長先生より、ご紹介にあずかりました、伊能琢磨であります……」
そこでちょっと息を止めた。ふだんはいろんなカラクリの間にはさまれているので、まぎれて気がつかないが、こうして大勢の人間の前で自分を客観的に呼んでみると、いかにも心細い憐れむべき存在であることが、ひしひしと感じられた。
やはり、大勢の前に立つということは、何かが問われるんでしょうね。自分とは何か、何を今ここで伝えたらいいのか、たくさんの情報を伝えるわけにはいかないから、ある程度シンプルにして、わかりやすく伝えなくちゃいけないのです。伊能さんもいろいろ考えましたが……。
「私は、浅学菲才、なんにも知らないものでありますから、今後よろしくお願いいたします……」
観念と実際と、何という誤差であろう。しまったと伊能は思った。清水氏(校長)は軽蔑するであろう。だが、伊能は、いまがかつて、この時の「私はなんにも知らないものであります」という語句ほど、自分を残りなく表現した言葉を口に上せたことがない。そんな意味では彼の心身は快適な後味に浸っていたのである。
少し勇気のいる内容です。大勢と出会って、その最初に自分は何も知らないと言い放ってしまった。とても、若い人に言える言葉ではないのかもしれない。
そこでおしまいにして頭を下げてしまおうか、あまりに簡単すぎたからもう少し何かつけ加えようかと惑っていた時、国道を、町のトサツ所に引かれていく大きなまだら牛が、すばらしい原始的な低音声(バス)で、メェーエ! と鳴いた。のどかな校庭の空気は、膜が破けるように震動した。七百の生徒(ひと学年が140人、3クラスだったんでしょうか?)は一斉にゴウ! と笑い出した。大きな弾丸が飛ぶようなうなり声だった。
すると、垣根のかたわらでのぞき見をしていた田舎の女たちも笑い出した。わずか三人きりだが、キャッキャッという艶めかしい肉声が、生徒のうなり声
とは別個に、際立って鮮やかに聞こえた。それに刺激されたのか、まだら牛は前回よりももっと重厚な低音声(バス)でメェーエ! と鳴いた。
ああ、どうしましょう。絶体絶命になりました。この生徒たちの大笑いをうまく抑え、落ち着いた雰囲気で終わらなくてはならない。生徒たちの前にポツンとひとりで立っているのです。続きは今度にします!