たまたま「徒然草」をめくっていたら、こんなエピソードを見つけました。前に読んだ時は、ことばを探していましたので、変な話なんかは通り過ごしていたのかもしれません。
今改めて読んでみて、今の目で見れば確かにひどいんですけど、今もそんなに変わらないなと、本当に兼好さんじゃないけれど、「あやしうこそものぐるほしけれ」という気分になってきます。
お坊さんだから殺生しないというわけではないし、警察官だから犯罪を犯さないというわけではないし、お母さんだから子どもを大事にするというわけでもないのです。すべてそうあるべきものがどんどん崩れていて、すべてを疑ってかからないといけないんですから、今、他人を見る時、とことん調べないと、とても信用できないことになりそうです。
最後に出て来る堀川基俊(1261~1319)さんがかわいそうになってきました。検非違使の別当(長官)なんかをやってると、屋の中のイヤな話というのを、とことん聞かされてたでしょうね。何だか申し訳ない。これもたぶん同じで、警察のお仕事って、人間のイヤなところ、ダメなところ、ヒドいところ、いっぱい聞かされるんだろうな。
何もなくて平和というのがいいのに、何もしないのに、次から次と報告・密告・でっち上げ・混乱させる偽情報、いろんなものがやって来るでしょう。
遍照寺(へんじょうじ)の承仕法師(じょうじほうし)、池の鳥を日来飼ひつけて、堂の内まで餌を撒(ま)きて、戸一つ開けたれば、数も知らず入り籠りける後、己れも入りて、
遍照寺とは、この時代に、京都北嵯峨にあった真言宗寺院だそうで、現在の遍照寺とは異なるそうですが、とにかく、そこの雑用のお仕事をするお坊さんがいたそうです。そういうお坊さんを、承仕(じょうじ 仕事をあれこれ引き受ける)する法師がいました。広沢の池にいる野鳥たちのえ付けに成功して、建物の中までエサをまいて引き入れて、たった一つだけの扉を閉めて本人も中に入りました。
もう、ここからすでに怪しい雰囲気です。猟奇的なことが起こらねばいいんですけど……。
たて籠めて、捕へつゝ殺しけるよそほひ、おどろおどろしく聞こえけるを、草刈る童聞きて、人に告げければ、村の男どもおこりて、入りて見るに、大雁どもふためき合へる中に、
閉じ込めた後、鳥たちを捕まえては殺し、捕まえては首をひねる、すべて食べてしまおうという、いや余れば売ったのかもしれない。とにかく魂胆があって、鳥たちを閉じ込め、順番に片付けていた。ものすごく騒々しくて、大変なことが起こっていそうで、近所で草刈りをしていた子どもが大人たちに報告して、村の男たちがやって来て、お堂の中に入りました。すると大きな雁たちがその法師に追われてあわてふためいていた。
法師交りて、打ち伏せ、捩(ね)ぢ殺しければ、この法師を捕(とら)へて、所より使庁へ出したりけり。
トリ殺しの法師は、鳥たちを捕まえてその命をすべて奪おうとしていたところで、お寺にやってきた村人たちは、この法師を取り押さえ、あり得ないことではあるので検非違使(けびいし、警察のお役目)のところへ連れて行きました。
法師は、自らの食事のために鳥たちを殺そうとしていたのか、ただの殺生好きだったのか、それとも鶏肉販売をこそこそとやっていたのか、命を大切にするお坊さんであるべきなのに、殺生に暴走してしまいました。
殺す所の鳥を頸(くび)に懸けさせて、禁獄せられにけり。 基俊大納言、別当の時になん侍(はべ)りける。
検非違使の庁では、どのような判断をすればいいのでしょう。法師を死刑にするわけにはいかないけれど、けれども破戒僧であるのは確かで、とんでもない世界に手を出してしまいました。
人々に法師の罪を報告せねばならず、法師の首に殺した鳥たちをぶら下げてみた。それだけでも恐ろしいけれど、このさらし者の報告がどれくらいなされたのかはわかりません。
とにかく、法師にしてこの所業というのは人々に知らされたでしょう。遍照寺としては、自分の寺に所属する法師がそんなことをしたなんて、とても不名誉なことだし、お寺はしばらく閉山・閉門・謹慎くらいしなきゃいけなかったでしょう。
そして、投獄された。そういう処分をしたのが堀川基俊さんということになるようです。事件は基俊さんが若い頃にあった事件でした。