甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

先生の空、私たちの空

2024年10月05日 20時28分41秒 | 空を見上げて

 これは高3の担任の先生が、28歳の時に撮った写真のようです。先生はこの学校の先輩であり、後輩である私たちはここから十数年の後にやって来ることになります。

 私たちは、中堅というにはまだまだ若い先生にあれこれ教えていただき、どうにか高校を卒業しました。私は、理数系がほんとうにからっきしでした。語るも無残、何がわからないのかもわからない、すべてを拒否していたアホ生徒でした。それでもどうにか退学・落第せずに済みました。奇跡というしかなかったのかもしれない。

 それでも三年生まで理数系の授業はあったけれど、あれは苦しかったなあ。よくもまあ、私みたいなのが「物理Ⅱ」をとりましたね。わかってなかったですね。ひどいものだった。……本人としては、「国公立を受けるときに必要だから」という理屈ではあったけれど、何もムダな努力をしなくてもよかったのに! それでも、受けたんでしたか。先生方もこんなに何もわかっていない生徒は相手にしても話にならなかったでしょう。考えただけでゾッとします。


 今日、メールでともだちから、担任だった先生が亡くなられたというのを教えてもらいました。悲しいけれど、動揺はありませんでした。ただどうにもできない自分が情けない感じでした。

 何年か前に、突然押しかけていって、先生の家の近くから電話して、「先生、いま〇〇駅の改札を出て歩いています。先生にちゃんとお会いしようと思ってやってきました」とお願いしたら、先生の散歩コース、目的のお山、かつて登った山々、時々遠出するとどこどこまで。なんていうのを少し小高い丘の上から教えていただいたことがありました、それはついこの前みたいなんだけど、もう何年も昔のようでもあります。

 その間に、私は、もう一度コンタクトをとって、やりとりしたいなと思ったのですけど、それはこっちの都合であって、先生は自分のペースで過ごすことを大事にされているし、時々は用事で都心に出かけたりするけれど、たいていはお近くのところをあれこれ思いながら歩いておられたことでしょう。

 山がお好きだった先生は、見渡す限りの山々それぞれに思い出があるから、あれやこれやと思い出してみたり、お仕事でこんな山歩きを企画して生徒たちに歩いてもらったな、なんて思われたでしょうか。いろんな企画を先生のおうちから見える山々で実施されたんでした(避難ごうごうだった2月の山歩き、あれも先生んちから近いお山でしたよ!)。

 先生は「生物」のご担当だったから、時々は生物部の合宿ということで、少し遠くの山々にも生徒たちを引率して行かれたりしたようです。それで、ご実家が三重県の山間の町ではあるので、そちらに近い方にも合宿されたりしたようです。大台ケ原・大杉谷など、もう何十年も三重県に住んでいる私なのに、行ったことがありませんでした。


 facebookでは先生とおともだちになれないまま、音信不通になりました。電話はこちらからすればいいのですが、用事が何もないから、それも少し変だとしないままに、今日になってしまいました。

 先生んちで、長野県に住むという弟さんからの干し柿を食べさせてもらって、あれからいよいよ干し柿が好きになりました。産直でちょくちょく買うようにはなりました。でも、あの時の干し柿みたいなのはなかなか味わえません。

 いつか、長野県に行って、どこかの産直で買えるんだろうか。いや、そんなことはどうでもいいことでした。

 空を見あげましょう。私なんか、何もできやしない。ただボンヤリ生きているだけで、その日暮らしだし、誰のことにも気づけなくて、自分のことばかり考えています。この干し柿ヤロウ、バカ野郎です。

1・師の訃報 空冴えわたりケムリ立つ

2・若き日の焦げる校舎に空ポツリ

3・師の訃報 酷暑の日々の記念かな

4・恩師逝く 山は残暑を抱えつつ

5・虫の音はなぜか恋しや 恩師逝く

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