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バスに乗っているボクは、どこをめざしているのか?
たぶん、どこかの岬か、その先端にある灯台のあるところまで行きたいんだろう。
そこに答えはあるのか?
あるような気がしていたけれど、答えは自分の中にあったはずさ。わかってたんだよ。わかってるけど、言葉にならなかったものがあって、それを言葉にするには時間と移動が必要だったのかな。
どうして男の人たちは、何かを求め、移動しなくてはならないんだろう。思いつきやら、闇雲だったり、無闇矢鱈(むやみやたら?)になるんだろう。方向性が決まらなくて、ややこしくて、バカみたいなんだけど?
そういう風に神様に決められていて、「納得がいくまで探しなさい。大したものは見つからないかもしれないけれども、きっとその行動があなたを納得させるでしょう!」。そう教えられてきたからでしょう。たくさんの旅する先輩たちがいるから、その影を求めて、移動して何かを探す人はいるんです。
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1974年の山本コータローとウイークエンドの「岬めぐり」は、いつ聞いたんだろう。レコードは買わなかったけど、そんなの買うとかなんかよりも、とにかく矢鱈とどこかへ行きたくなる歌でした。とても危険な歌だった。
呼びかけたい「あなた」なんていないのに、「あなたがいつか話してくれた」みたいな気分にさせられました。
なぜ、そんな旅ごころを誘う歌だったのか。そんなに浮かされた気分になったのか? それは私だけだったのか?
違うよ。町中であちらこちらでラジオか何かから流れてきたんだから。
昔は、町中に音楽が実際に流れてたんだね。お店や、商店街や、通りの場面で、道行く人の携帯ラジオから、開いている窓から家の中でつけているテレビから、いろんなところから音楽があふれていた。
今は、暴走するクルマの中から爆音で鳴らすビート音は聞こえるけれど、残念ながらそれは町に流れる音楽ではなくて、ただの騒音でしかなかった。
今は、町に音楽が流れていない。私たちは、そんな世界に生かされているんだな。環境が変わったな。
嘆くなよ。コータローさんの「岬めぐり」は好きだったんだろう?
ハイ、カラオケに行かせてもらうチャンスはあまりないけど、どういうわけか歌いたい気持ちもありますね。最初の「あなたーが、いつかー話しーてくれたー」というところで、突き抜けていく感じがありました。
サビの部分の「岬めぐりのバスは走る」で、旅している気分になれたものでした。実際は、そこに縛られて、どこにも行けないことが多いんだけど、気分はどこかを移動している、そんな感じでした。
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〽くだける波の あのはげしさで
あなたをもっと 愛したかった
そんな反省の言葉は、あまり言いたくはないんだよね。でも、それを言うことから、自分に言い聞かせながら、失敗ばかり、ダメなことばかり、誰もしあわせにできてないじゃないか! と、怒りにも似た気持ちを湧きおこらせて、ボクたちは立ちあがるのです。
でも、今は座席にいるし、移動途中だから、旅が終わったら、新しい自分になって、みんながしあわせになれるように、自分のできることをしよう、という気持ちになるわけですね。
歌は、旅をしなくても、そういう気持ちにはなるから、とても有り難く、もう五十年近くボクらを刺激してくれています。若い人にはそれぞれの歌があるだろうけど、「岬めぐり」的な気持ちは伝わらないかな。古いのかな? 古いんだろうな。