確かそれは応長のころの話でした。応長というのは、私がお仕えした後二条天皇さま(大覚寺統)が亡くなられて、そのあとに花園天皇様(持明院統)がお立ちになった時代にあたります。
西暦になおすと、1311年の4月から1312年の3月までのほんの一年足らずの間のことでした。私が出家したころと重なっているのでよく憶えているのだと思われます。
何だか落ち着かない一年ではあったのです。
そのころは、私は都の東側に住んでいて、時々呼ばれて院の方(都の西側)に行かせていただいたり、それなりに忙しくしていたころでした。
出家したところではありますので、家にはトゼンというあれこれと世話を焼いてくれる者が一人しかおらず、気ままでわりと一生懸命に修行の日々を送っていたころでした。
伊勢の国から鬼女が都にやってきたという話が聞こえてきたのです。
仏道修行の私のところにまで聞こえてきたのですから、都では相当な騒ぎであったようでした。
そもそも鬼女とはいったい如何なる風体なのか、想像もできません。
「それはどのような様子なのですか。人間ではないのですか。」
と、うわさする人ごとに訊ねてみたものでした。
「いえ、いるというのは事実なのですが、私はその姿を目撃しておらないのです。」とか、
「いや、もう、すごいのなんの。たくさんの人々が黒山の人だかりで、見物のお客のすごさにびっくりしたのでございますよ。」とか、
「確かに角がありました。口も耳まで裂けておったのですよ。恐ろしい姿を見てしまいました。もう二度と見たくはありませんので、一目見ただけで目をつぶってしまいました。」
などと、見たのかどうかさえ分からない証言もあったのでございます。
そんなにみんなが騒いでいるのなら、都のどこかで出くわすかもしれず、気長に機会をうかがっておりました。
……こちらは曽我蕭白さんの「鬼女」です。
たまたま東山から東寺の安居院あたりに参りました折、四条通から北にかけての人々がみんな北に向かっていくようでした。
「みなさま、どちらに行かれるのです。あちらに何があるのです。お祭りか何かですか。」と訊ねてみたのです。すると、
「一条室町に鬼がいるのです。それを見に行くのです。」と言うのです。
さあ、鬼女に出会うチャンスの到来でした。それほど心は惹かれませんでしたが、人々がそんなに一心に見たがっているものの真相が知りたかったのです。何が人々を突き動かすのか、何度も見たいのか、見たら何か功徳でもあるのか、鬼に出会うとこちらに幸運が舞い降りるのか、知りたいことは山ほどあったのです。
そもそも鬼は単独で動いているのか。誰か連れまわしている者がいるのか。いるのであれば、その武勇の誉れ高き人物の名前くらいは知られそうなものだが、全くその話も伝わっていない。
わからないことだらけであったのです。
仕方なしに私も今出川あたりから北の方角を見てみました。
一条室町はつい目と鼻の先というところなのに、人々が群れ集まっていて、何も見えないのでした。
見物の群衆はたくさんいる。けれども、肝心の鬼女の姿なぞ見えないのです。
ああ、どうしたらよいのでしょう。もうこうなれば、うちのトゼン(弟子と呼んだらいいんでしょうか)をやるしかありません。
「トゼンや、済まないが、あの群衆をかき分けて、鬼の真相とやらを見てきてくれないか。」「はい、わかりました。おっしょさま、何としてでも、鬼を見てまいります。」
そう言って、うちのトゼンは北に向かっていきました。
しばらくしてトゼンが帰ってまいりました。
「どうでした。鬼とは如何なる姿をしておりましたか。」と私は訊きました。
「私は、あの人々の中に分け入ったのでございます。たくさんの人々が集まっておりました。けれども、一つの方向を向いているのではなくて、わりと皆さま、こちらへ走り、あちらで集まりなどして、どこに鬼がいるのか、私にはつかみどころがなかったのです。」
「みんな集まって何をしておったのです。」
「はい、ケンカをしている者。お酒を飲んで騒いでいる者。大声で鬼を見たと叫ぶ声。その声がどこから来るのか、そちらを見ても、だれが叫んでおるのかわからず。とりとめもない人々のように見えました。」
「あなたは鬼をとうとう見なかったということですか。」
「はい、鬼そのものは見ることができませんでした。ただ、みんながあちらこちらと群れ、騒ぎ、走り出しているのです。お祭りのようではありました。」
「そうですか。それは残念でした。とんでもないことをさせて、申し訳ありませんでした。今日は本当にご苦労様でした。ありがとう。」
「いえ、おっしょさま、お役に立てなくて、申し訳ありませんでした。」
ああ、私どもは、鬼から見放されているのか、それとも鬼は本当にいたのか。
そのころのことです。都で二、三日ものすごく高熱の出る恐ろしい病気が流行ったりしました。あの鬼のうわさというのは、このはやり病を先取りする形で都にやってきたものだったのか、それとも人々が世の中に不安を抱えているから、いつの間にかとんでもない病が流行してしまったのか、真相は今もわからないままです。
伊勢の国は、鬼が現れる国ではなかった。鬼は実は私たちの心の中にいた、ということなのかもしれません。そして、そういう時には、人々の不安を食い物にするような病気がやってくるということもあるようです。
★ 2018年の私たちは、ハシカにおびえ、オニの存在を恐れながら、恐いもの見たさで大騒ぎしている。何ということなんでしょう。徒然草の50段の口語訳を私なりに書いてみました。
★ 2020年の1月末、三重県でコロナウイルスに感染した人が報告され、出たがりの知事さんが記者会見をしました。もちろん、三重県のどこで見つかったのか、詳しいことは報告されませんでした。
そうすると、松阪の夕刊紙がそれらしい情報を流し、その病院にお勤めという方からの確かな情報ということで、情報は広がり、とうとうその病院は、ホームページで疑われた人がいましたが、陰性でしたと報告せねばならなかったそうです。ものすごく、私たちはありもしない情報に振り回されています。もう怖いくらいで、確かにマスクは街から消えたそうです。買い占めている人もいるみたい。それがまた中国人だとかいう、ヘイトチャイナ情報もあるし、みんながものすごくアホになってる気がします。(2020.2.2 17:22pm)