近ごろ、寝ながら歌っています。変ですけど、そうみたい。まさか、実際にねごとで歌っているわけではないと思います。明け方近くの目が覚めるちょっと前の夢の中で突然歌がやって来て、頭の中で鳴り始めるんです。
とはいっても、クリアーに聞こえる歌ではなくて、文字先行です。「あしたというひはあかるいひとかくのねー」と、頭の中で出てくるんです。「明日という日は明るい日と書くのねー」ではないんです。
そうすると、あれ、これは二番目だったっけ? 冒頭だった? と、あれこれと質問が湧いてきて、「わかいというじはくるしいじににてるわー」というのを思い出したりします。
それでは、せっかく思い出したんだから、通して歌を見てみよう、なんて言うと、もう頭は半分起きてしまって、スッと朝になってしまう。
めったにないけど、少しずつ夢の中で60年代末歌謡曲アルバムができていくんですね。
歌っていたアン真理子さんって、1967年にヒデとロザンナの出門ヒデさんとコンビで歌ってたこともあったそうです。ところがヒデさんは1968年にヒデとロザンナでデビューしてしまう。
それから、ラジオのお仕事もしていたけれど、1969年にアン真理子として作詞と歌で「悲しみは駆け足でやってくる」という曲を世に出します。
私の頭の中は、「若いという字は苦しい字に似てるわー」の方が印象深くて、こちらが先に湧いてきたんですけど、漢字の見立てって、どこかで私たちがやっていることでしたね。文字を宿題としてやらされながら、その文字の中に何かを見つける。
具体的にはいい例が思い出せないけど、「人という字は二人が支え合っているんだ」とか、「人が二人いて、互いのことを思い合うと、仁というものが生まれる」とか、「人の心のど真ん中、どストライク、それが忠なのだ」とか、「女のマタに力を入れる、それが努めるになる、努力のドなんだ」とか、変な小理屈を作りながら、漢字に親しんでいました。
その思いつきを歌にしたんでしたね。なかなかのアイデアで、でも、続きが作れないと歌ができないから、アン真理子さんはシンガーとしてはそんなに成功しなかったみたいです。いや、懐メロ番組に出てたりする動画もあるみたいだから、それなりに仕事はあったんでしょうか。
今はどうしておられるんだろう。
♬ふたりは若い、小さな星さ
悲しい歌は知らない
そういう言葉でまとめられていたこの歌は、今後のことを予測していたんですね。悲しい感じの歌を作ろうと思っても、今のこの歌だけで十分で、もうそれ以降は悲しい歌を歌いたくない。それをあえて描こうとしたら、もっといろんな場面の歌やら、いろんな人たちの心に迫らなくてはならなかった。
ラジオのお仕事で、もっといろんな人のお手紙などにふれるチャンスがあったら、新しい「悲しい歌」でもできたかなあ。少し残念でしたね。たぶん、いろいろと考えていかれたと思うんですが、生まれて来なかったのかな。
他人事だから、そんなことが書けるけど、何かを生み出すのって、それなりに(とても?)大変です。何かを生み出すには、自分の中に刺激が必要です。絵を描くのなら、その絵を描くモデルが必要だし、何かのマネになったとしても、そこから始めるしかないのです。