路面電車つながりで志賀直哉さんを思い出しました。1912(T1)年に「正義派」を、1913(T2)年に「出来事」という短編を志賀直哉さんは書いています。29~30歳という頃から小説をコツコツ書き始めていたようです。
白樺派のみなさんたちは、どんなお仕事をされてたのか、年譜で見る限り、志賀さんは就職したと書いてありません。お父さんが鉄道会社、帝国生命保険、東洋制約などの役員とかをされてたみたいだから、いざとなればお父さんの一声で好きなところに就職できたんでしょうか。それをやらないで、学習院の仲間たちと小説などを書き始めるんですから、持てるものは優雅に自らの才能のおもむくままに、とりあえずやってみたというところでしようか。
そして、「出来事」は読んでてホッとするし、「正義派」は、もう前から知ってたけれど、的確な描写なんだろうなと感心しています。
「正義派」という短編は、中三のときの教科書に採用されていました。永代橋からやってきた路面電車が、あれよあれよというの間に、女の子をひいてしまう。まさか、とんでもないことは起こらないだろう、と読んでみたら、女の子はその場で即死、お母さんは放心状態。巻ブレーキと電気ブレーキというのがあって、運転手は電気ブレーキをかけられないまま、うっかりと巻き込んだ。
それをたまたま線路の補修工事をしていた工夫たちがすべてを見ていて、運転手の過失で、もう少し早く電気ブレーキをかけたら、最悪の事態は避けられた、というのを知っていた。会社の側の人間は、すぐに現場に現れ、「電気ブレーキをかけた」と言うのだ、と運転手に伝えていた。それはないぜ、と線路工夫たちは訴え、警察でも証言し、帰りの焼肉屋さんでも大声で話し、みんなに自分たちの主張を伝えようとした。
けれども、みんなは一通り話を聞くと、まあ、そういうことかと話に興味をなくしてしまう。警察も、会社の人間も、店の人々も、町の雰囲気も、ひととおり聞いたら、「ハイ、わかりました」という感じになっていく。
そうじゃなくて、みんなで「悪いものは悪い」「過ちは素直に認めよう」「正義は必ず人の心に訴えられる」と、当たり前に広がっていけばいいのに、現実は、いくら自分たちが体を張って伝えようとしても、まともに受け止めてくれなくて、「ハイ、ご苦労様。もうわかりました。あなたのおっしゃる通りです」で、もう次の話題に変わっていく。
実は、みんなウワサや面白おかしいことは聞いてくれるけれど、ひととおり聞いたら、もう十分で、確かに真実はそうかもしれないけど、それはかわいそうなことかもしれないけど、自分には関係のない話として簡単に切り捨てられていくのです。そういう世の中というものに、たったの一日で何から何まで見させられて、工夫たちは悲しくなってそれぞれの家に帰っていく話でした。
1912年の29歳の志賀直哉さんに、世の中とはそんなものなのだ、と中学生の私は教わりました。ただ、工夫たちのやるせなさというのは、イマイチわからなかった。
でも、今なら、もうイヤというほど見させられているし、現実に世の中は不条理なことばかりが起こっています。戦争なんか、やらないほうがいいのに、ずっと大規模に続いている。政治家たちは、世界中で自分の利益のためにしか動かないのに、それを止めることもできないで、その専横を許してしまっている。
百年経とうが、どれだけ人々が苦しんだとしても、簡単には世の中は変わりません。
あわてて取り出して来た新潮文庫に、「出来事」という、これまた路面電車の事故のことが書かれていましたけれど、こちらは、「私」が事故を目撃するのですが、電車の前に下げられた網に男の子はからめとられて、無事で終わる、という話でした。正反対の結末です。
他にもいろいろと小説の中に路面電車は出てくるのだと思われます。これも私の専門ではあるんですが、不勉強で、なかなかうまく解明しきれていません。
ちゃんと勉強したい気持ちもあります。ヒマなんだから、そういうのをピックアップして取り上げていけたらいいのかな。それが私の生きていく道なのかもしれません。また、これから考えていきます。