お正月、実家で枕が悪かったのか、なかなか眠れませんでした。といっても、朝寝をたくさんしすぎていて、そうしただらしない生活をしているから、体のリズムが狂っていただけなんだとは思われます。
それで、夜中に、まわりにだれもいないのをいいことにして、父が使っていたラジオを枕元に置いて、ラジオを聞くことにしました。たぶん大晦日から元旦にかけては林真理子さんのインタビューを聞きました。今まで全く(私には)忘れ去られていた林真理子さんが突然に歴史小説家として現れ、家族のことや日々の生活のこと、西郷さんのことなどを語っていました。
朦朧(もうろう)として聞いているので、ただ聞くばかりで全く何も残っていなくて、相変わらずの感じは健在なのだと思うだけでした。けれども、彼女なりにはあれこれ努力していて、何かを伝えようと模索しているのだと知ることはできました。あと三十年くらい小説家を続けられたら、彼女も何かは残せるのでしょうか。
いや、「作家は死んでしまったら、何も残らないし、この世から忘れ去られてしまうものなのだ」と語っておられていて、確かにそうだ。林真理子さんなんて、このまま消え去っても、すぐにみんなから忘れ去られる存在だと納得していました。
今回たまたま大河ドラマで取り上げてもらい、2018年だけはチヤホヤされて、これが彼女の生涯最良の年だった、ということになるのかどうか。それは彼女の今後の取り組みでかわるんでしょうね。とりあえず頑張ってもらいましょう。
林真理子さんは、歯の矯正もして、自分を磨くことにかけてはわりと一生懸命な方なのに、しゃべり方に関しては、昔と全く変わらず、軽薄調だったので、発声法とか、声のトーンとか、もう少し聞いているこちらが安心できるしゃべりをしてもらえたらねえ。などと人のことなので勝手に思いました。
まあ、声に関しては人のことは言えない私なので、無理なことは無理だから、テレビやラジオなどにはこれから一切出ないで、ひたすらに自分を磨いて作品作りをしてもらえたらと思います。林真理子さんは本人がどう思うとも、テレビ向きではないようです。
その流れだったのか、ラジオで二日(三日?)続けて松平定知さんによる朗読で徳川慶喜さんの生涯を聞いてしまいました。最初に聞いた時は、「慶喜は……」と語られていて、松平さんが読んでいるのは何という本なんだろうか、よくわかりませんでした。なにしろ懸命に寝ようとはしているので、うつらうつら聞いているだけだったのです。
二回目かで、最後までわりとしっかり聞いて、司馬遼太郎さんの「最後の将軍」という作品であるということを知りました。眠りながらではありますが、興味を持てました。
慶喜さんの人に対する接し方がおもしろく、お父様の斉昭さんから将来は将軍になるのだと教えられ、お父様の願っておられた通りに将軍になれた人でした(たったの一年間だけではありましたが……)。
1838年に御三家の一つの水戸徳川家の七男として生まれたそうです。お母さんは、斉昭さんの正室ではありますが、七男というのは後継ぎとしてはどうなのかというところですが、お父さんは生まれたときから、人相・ふるまいなどを見て、将来性があると見込み、お殿様としての教育をさせたということでした。
その斉昭さんの期待を知っていたのか、老中・阿部正弘さんは、ご三卿の一つの一橋家に養子に入れることを提案し、将軍になるためのお家ではあるので、父親の斉昭さんは受け入れ、一橋慶喜ということになります。
1857・安政4年、徳川家定の後継問題で有力候補となる。
1859・安政6年、安政の大獄において隠居謹慎蟄居の処分を受ける。
1860・万延元年、隠居謹慎蟄居解除。
1862・文久2年、一橋家を再相続。勅命を受けて将軍後見職就任。
1864・元治元年3月25日、将軍後見職辞任。同日、禁裏御守衛総督・摂海防禦指揮転職。
禁門の変では、抗戦の指揮をとった。 ウィキペディアより
やがて将軍後継者の候補になりますが、水戸家ということで敬遠され、十四代は紀伊家に譲ることになります。
けれども、慶喜さんは徳川家の中でも動ける人材として、朝廷と幕府をつなぐ役目で活躍し、やがては大政奉還までしてしまうのでした。
あれこれとアイデアのある人ではあったし、新しい時代を築くために(本人にはそういう意識はなくて、とにかく幕府の中で、自分の生まれを生かし、薩長勢力とどのように渡り合っていくかを模索されたのだと思われます)、東奔西走した人でした。
そういう歴史的なことよりも、多芸で、人に淡白で、峻厳なところがあって、けじめもしっかりつけていく、生き方としておもしろいなと、ラジオを聞いていて、そちらに興味を持てたのだと思われます。
ということで、三重県に戻り、少し調べてみたり、原作の司馬遼太郎さんの「最後の将軍」を買ってみたりしました。今は半分くらいのところまで来ました。
京都で、薩長、貴族たち、江戸の幕僚たちとやりあっているところです。こんなに頑張っておられる将軍(この時はその地位にはついていないんですけど……)って、なかなかなかったかもしれない。
いや、足利義昭さんといい、徳川慶喜さんといい、幕府の最後の将軍は、時代を締めくくるいろんな役目を負わされていたのだと改めて思います。新しい時代が来るのを知りつつも、それでもトップとしてはやらねばならないことがいくつもあり、不本意ながらもあれこれ頑張ってしまうことがあったのですね。新しい時代を切り開いていく方がある意味簡単かもしれない。先例はないのですから、とにかくやればいいし、失敗したら改めるだけです。
もう少ししたら、大政奉還まで読み切るかな。
私としては早いペースです。司馬遼太郎さんも何年ぶりだろう。「空海の風景」以来ですからね。久しぶりです。この作品を司馬さんは1967年に出されていたそうです。
そんなときから、ずっと走り続けておられたんですね。改めて司馬さんのすごさも感じます。セゴドンどころじゃないです。