甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

五郎さんの病気 「幻化」その4

2020年12月21日 20時35分35秒 | 本と文学と人と

 今年もあと十日くらいなんですね。私の「幻化」を読むは、ちゃんと最後まで行けるかな。ぜひ行きたいんですけど、昨日だったか、川端さんと三島さんの関係の番組見ました。早速、川端さんの「掌(てのひら)の小説」取り出してみました。川端さんはショートショートを折に触れて書いてたんですね。

 もう少し読んで見なくちゃ。とりあえず、鹿児島空港を出なくっちゃ!

「枕崎の方に行くんですか?」
 車で航空会社の事務所まで送られた。その前の食堂に入り、丹尾は酒を注文し、五郎はうどんを頼んだ。あまりきれいな食堂ではなかった。機上でサンドイッチを食べたので、食慾(しょくよく)はほとんどない。
「そうだよ」
 五郎はうどんを一筋つまんで、口に入れた。耳の具合はすでに直っていた。
「どうです。一杯」
 空いた盃(さかずき)に丹尾は酒を注ぎ入れた。五郎は一口含んだ。特別のにおいと味が口の中に広がった。ごくんと飲み下して五郎は言った。

「これはただの酒じゃないね」
「芋焼酎(いもじょうちゅう)ですよ。しかし割ってある」
「もう一杯くれ」

 このお食事も飛行機に乗った人へのサービスなのか、怖い思いをさせた罪滅ぼしか、どういうわけかゴハンを食べさせてくれているようです。たぶん、夕方にはなりつつあるのでしょう。

 五郎さんは、カゴシマにいたはずなのに、焼酎呑んだことなかったんだろうか。不思議だなという気がしました。飲むのは日本酒だったんですね。



 五郎は所望(しょもう)して、また味わってみた。
「ああ。これは戦争中、二、三度飲んだことがある。どこで飲んだのかな。思い出せない。もっと強かったような気がするが――」
「割らないで、生(き)で飲んだんでしょう」
 丹尾はまた注いだ。盃は大ぶりで、縁もたっぷり厚かった。
「ぼくも枕崎に行こうかな」
 丹尾はまっすぐ彼を見て言った。五郎の顔は瞬間ややこわばった。ごまかすために、またうどんを一筋つまんだ。
「なぜわたしについて来るんだね?」
「ついて行くんじゃない。あそこあたりから商売を始めようと思って」
「商売って、映画の?」
 そろそろ警戒し始めながら、五郎は丸椅子をがたがたとずらした。
「そうですよ」
 丹尾(にお)は手をたたいて、また酒を注文した。

 この丹尾という男は、営業をしている人だけに、いろんな人を値踏みすることができるんでしょう。五郎さんは、丹尾さんに「付いていくと、何か面白いことが起きそうだ」というふうに思われているようです。

 確かに、無目的で、旅装も荷物も何もなく、やみくもに飛行機でカゴシマまで来るなんて、よっぽどのことでした。しかも、二人は怖い体験をともにした仲間でした。飛行機は落ちるかもしれなかったんだから。



「直営館なら問題はないけどね、田舎には系統のない小屋があるでしょう。面白くて安けりゃ、どの社のでも買う。そこに売込みに行くわけだ。解説書やプログラムを持って、これはここ向きの作品だ。値段はいくらいくらだとね。すると向うは値切って来る。折合いがつけば、交渉成立です。そこがセールスマンの腕だ。各社の競争が烈しいんですよ」
「いい商売だね」
「なぜ?」
「あちこち歩けてさ」
 五郎は盃をあけながら答えた。
「わたしはこの一箇月余り、一つ部屋の中に閉じこもっていた。一歩も外に出なかったんだよ。いや、出なかったんじゃなく、出られなかったんだ」
「なぜ?」
 丹尾はきつい眼付きになった。
「なぜって、そうなっているんだ。二階だったし――」

 五郎さん、無防備に知らない人に何でもしゃべっちゃいけないですよ。この丹尾つーという男はどんな男か分からないんだから。本当に映画の営業だったんだろうか。それにしても、60年代後半の地方の映画館って、そんなことになってたんですかね。そうかもしれないな。



 病室は二階にあったし、窓の外にはヒマラヤ杉がそびえて、外界をさえぎっていた。別に逃げ出す気持も理由もなかった。友人のはからいで、初めは個室に入ったが、入った日から睡眠治療が始まったらしい。日に三回、白い散薬を服(の)まされる。三日目に回診に来た医師が、五郎に聞いた。
「気分はどうですか。落着きましたか?」
「いいえ」
 と五郎は答えた。
「まだ治療は始めないんですか?」

 まだ憂欝と悲哀の情緒が、彼の中に続いていた。牙(きば)をむいて、闘いを求めていた。情緒が彼に闘いを求めているのか、彼が闘いを求めているのか、明らかでなかった。その状況を半年ほど前から、五郎は気付いていた。ある友人と碁を打っている時、急に気分が悪くなった。何とも言えないイヤな気分になり、痙攣(けいれん)のようなものが、しきりに顔面を走る。それでも彼はしばらく我慢して、石をおろしていた。痙攣は去らなかった。彼は石を持ち上げて、そのまま畳にぽろりと落した。友人は驚いて顔を上げた。
「へんだぜ。顔色が悪いぞ」
「気分がおかしいんだ」

 この五郎さんの病気、うつ病ですか? 精神的なものではあったんですね。まあ、戦後20年して、体調がおかしくなってきた人たちがいたのでしょう。平和に暮らしていても、やはり何か引っかかるものはあるし、今の生活といつ死ぬかもしれない不安を抱えていた日々とのギャップはあったんでしょう。



 座布団を二つに折って横になった。やがて医者が来る。血圧がすこし高かった。根をつめて碁を打ったせいだろうと医師は言い、注射をして帰る。痙攣は間もなく治った。それに似た発作(ほっさ)が、それから何度か起きた。街歩きしている中に起きると、タクシーで早速帰宅する。タクシーがつかまらない時は、店にでも何でも飛び込んで休ませてもらう。しばらく安静にすると元に戻る。コップ酒をあおると回復が早いことを、五郎は間もなく知った。

 コップ酒でけいれんが治るなんて、そういうこともあるんですね。神経をマヒさせるというのか、一気に緊張を緩めさせる必要があったんですね。

 でも、そんなカーッとなったり、ゆるめたり、何だか落ち着かない毎日ではないですか。四十幾つの働き盛りなのに、とても落ち着いて日々の仕事に向き合えないから、入院もしなくてはならなかったのでしょうか。

 どんなお仕事をしているんだろう。家族はいるんだろうか。少なくとも友だちはいたんですね。



 いつ発作が起きるかという不安と緊張があった。常住ではなく、波のように時々押し寄せて来る。押し寄せるきっかけは、別にない。気分や体調と関係なくやって来た。すると五郎は酒を飲む。ベッドの中で、あるいはテレビを見ながら。

 ふっと気がつくと、考えていることは『死』であった。死といっても、死について哲学的……省察(しょうさつ)をしているわけでない。自殺を考えているのでもない。ただぼんやりと死を考えているだけだ。

 今、こうして自らが痙攣の恐怖におののいているのは、かつてものすごく身近に「死」というのがあったから、というのはありそうです。あまりにギャップはありすぎたのです。

 辛いことがあって死にたいというのではない。かつてそばにあった「死」というもの、それは遠ざかったとは思っていたけれど、体の変調が何かしきりに自分を呼び戻し、自分に忘れていた何かを思い出さそうとしている、そんな気になってたのかもしれません。

 となると、二十年前にセンチメンタルジャーニーするしかなかったのでしょう。




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