昨日の夜も、何度か目が覚めました。眠りが浅いのはもう仕方がありません。今さら深い眠りにはもどれないのでしょう。もともと浅い眠りなので、起きたとしても、「あら、二時半かぁ、四時間寝たのか。あと二時間くらい寝たら、起きてもいいね。それにしても、この明るさは、お月さんかな。のぞいてみよう。ほら、十七番目の月が出ている」なんて、お月さんを確認したら、また寝てしまうのでした。
奥さんは、「お父さんは、いつでも寝れていいね」なんて言います。でも、私だって眠れない時は、たまにありますけど、まあ、大抵は寝てしまいますね。
絵を描くということでした。
昨日、たまたま目に入った「画家 不染鉄の絵はがき集」という本を取り出して、少しだけ読んでみました。
「昭和40年9月28日
夜中に大雨の音、には(庭)の石のお地蔵さんも
すっかりぬれておられるでせう。
蕾の菊もよろこんでいるでせう。
大雨ですがしづかな心は夜の雨。」……雨に濡れるお地蔵さんが描かれています。
何かを見つけて、サッとそれを描いて(サッとではないかもしれませんけど)、ハガキだから、投函する。相手の人に届いてしまう。もらった人としても、何とも言えない、不思議なものだから、ちゃんと保存しておいた。それが2000年にハガキ集として本になるんですから、人の営みって不思議ですけど、そうしたハガキの中に
「昭和40年11月19日
京都へ行く車窓の景色。
毎日ハガキで御迷惑かと思ふ。御話をすると面白くなってきて
とても楽しくなる。美しさがよみがへり、
さらにはっきりする。私は話相てのある方がどうもいゝ。
そこでこのハガキとなる。
私の勉強と清純な画を作るお友達になって下さい。
制作を助けて下さい。」……木が何本か描かれていて、紅葉・落葉も描かれています。
不染さんは、二人の女性にずっとハガキを送り続けたということでした。相手として受け止めてもらうのが目標であり、他意はなかった。コメントもいらないし、訪問もいらない。ただ受け止め、読んでもらうだけでいい。
それで描くための気持ちを作った。お友達として受け止めてもらえた。保存してもらわなくてもいいから、とりあえず描かせてもらっていた。
絵は何のために描くのか? わからなくなりますね。お金を得るために、お客がよろこぶものを描くというのを仕事にしている人もいるでしょうけど、描いてもお金にならないのであれば、普通は描きません。
でも、何だか描きたい人もいる。
というので、昨夜の私も、庭に生えてるアボカドとアロエ、プリペット、アジュガとメダカの鉢を描こうとしたんです。
でも、つまらなかった。あれもこれも描こうとして散らかっていました。もっと一つをじっくりと見て描かなきゃ! そもそも私はものを見ていない。観念で描こうとして失敗しているし、観念で行くのなら、もっとはじけなくちゃいけないのに、現実に縛られています。もっと「勉強」が必要ですね。
相手は? ブログの仲間の皆さんです。本当に申し訳ありません。変なことを期待しているのではありません。ただ見てもらいたい。それを心のよりどころとしてたまに絵を描くのだと思います。わがままですみません。
また、ブログに貼り付けますね! どうぞ、よろしくお願いします。