岩波文庫で「山家鳥虫歌」という近世諸国民謡集という本があったそうで、どこで買ったんだか、メモしそびれたけれど、とにかくウチにあります。
冒頭は、山城の国の歌だそうで、
めでためでたの若松様よ 枝も栄える 葉も茂る
おめでたい時に歌ううたでした。でも、実際に歌っているのを聞いたことがあったのかな。考えてみると、ないかもしれない。
けれども、「おめでたい」という気持ちがあったら、私たちは「ああ、めでたい。ああ、よかった。よかった」と何度も繰り返すのです。私は、年を取ってきたせいか、大抵は頭はカラッポで、何かが浮かぶと、それだけがずっと頭の中で繰り返されてしまうのです。かくして、空っぽの頭のリフレインが始まる。
そこで誰かに、「どうして?」「何がめでたいの?」と突っ込まれたら、本当ならこういうことがあったのでと説明できなきゃいけないのに、ロレツも回らず、「いや、〇〇がね、めでたいんだよ」とよくわからない説明をしなきゃいけなくなります。せっかく質問してくれた人は、「もう、いいや」と諦めてしまう。かくして断絶が起きるんでしたね。
まだほんの少ししか読んでないけど、恋の歌が多いようです。しかも、少し軽い感じ。けれども、切ない感じ。この微妙な雰囲気を少しだけお伝えしたいと思います。
わしは小池の鯉鮒(こいふな)なれど 鯰男(なまずおとこ)はいやでそろ
この「鯰男」って、どんなヤツなんだろう。世の中のイヤらしさを身につけた、なれなれしい男? 人の気持ちもくんでくれない図々しいヤツ? 無愛想な男? いや、そもそも男なんて、みんなナマズみたいに、強引で、愛想がなくて、攻撃的で、何を考えてんだかわからない生き物ではなかったか? 要するに、相手の気持ちを理解しないで強引なのはいけない、ということでしょうか。
恋に恋する女の子の気持ちを歌った歌なんでしょうか。それとも、変な男はイヤだという拒否する歌でしょうか。歌は、いろいろに使えますね。「鯰男はイヤなんです」と言われたら、シュンとなってしまうね。
こなた思へば千里も一里 逢はず戻れば一里が千里
おもしろい戯れ歌でしょ? 前半はわかります。恋しい気持ちはどんなに遠くても、簡単に飛び越せるし、いつもそばにいるんですよというメッセージです。愛する気持ちは千里の道を乗り越える。
けれども、会えなかったら、短い距離であっても、ものすごく遠い隔絶された二人になってしまう。気持ちが通じるには、お互いに確かめ合うことも大事だなんて、だから、ねえ、いつも一緒よ。こうして逢えることはすごく大事よ、なんていう確認になりますね。
歌い、歌われする関係、なかなか素晴らしいじゃないですか。もっと、江戸時代の恋の歌を読ませてもらおうと思います。まあ、私と恋なんて、関係ないんですけどね!