20【( )をもって○に易(か)え、その非(ひ)を知らず】 空欄に適切な漢字一字を!
20の意味……采薇の歌の一節で、○力や武力による支配を否定したことば。
伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)が出撃直前の武王に言います。
「王よ、父の王がなくなられて間もない今、その霊を慰める行事もされないままに戦陣におもむかれるのは、親孝行だと申せましょうか。また、紂王(ちゅうおう)はあなたの主君でございます。家来(臣下)の身で主君を殺そうというのは、仁と申せましょうか」と。
武王が決断した後なのに、どうしてそんな絶対に聞き入れない状況で、あえて直言するのでしょう。普通の王様なら、「何を言う、このバカ者!」と、即刻死刑にするでしょう。
人には忠告を聞き入れるタイミングというものがあります。または、よっぽど考えに考えた演出で、相手に聞いてもらう、または受け入れる可能性が生まれるような工夫をして忠告する、それが本来の忠告だと思われます。そんなことを無視して直接言ってしまうのは、あまり賢くない行為です。
それを2人はあえてしました。彼らにはこわいものはなかったのです。2人は、家族も、ふるさとも、財産も何もかも捨ててきた人たちでした。昔の思い込みで、この2人は若者だったのではないか、そういうイメージを私は持っていました。けれども、どうやら2人はある程度の年齢で、自分たちのことを「老人」だと思っていました。もう世捨て人の心境でしたが、理想は高く持ち、周という国に理想があると信じて旅してきた人たちでした。
そんなに人が言うような「すばらしい国」などあるわけはないのです。どこにも不満はあるし、国のトップが気に入らないことなどしょっちゅうです。理想の国を作るのだと公言するようなトップは、たいてい自分たちの利益のことしか考えておらず、むしろ自分たちに利益が上がることが、世の中にとってよいことなのだ。それが社会の活力なのだと、単純に思っていると思います。
周の武王さんは、変な老人兄弟の言葉が、全く分からなかったことでしょう。「なあ、じいさんたち、私はいまからとんでもない殷を滅ぼし、おまえたちが楽しく暮らせる国を作ってやるんよ」と、思っていたはずです。
「そうではないのですよ。ものには順序があって、どんなにひどい国であっても、自然に崩壊するまで待つことが大事なのです。ダメな王を倒そうと簡単に反乱を起こして、戦争行為を起こすのは順序にはずれると思いますよ。
また、ご自身としては、家族を大事にしなくてはなりません。特に親に対する孝の気持ちは絶対なのです。お父上の喪に服す期間は何事もつつしんでいなければならないのです。それがものの順序というものなのですよ。」という頑固な老人の論理でした。
けれど、いつも世の中が順序通りにいくものでないのは、よくあることです。ましてや戦争を起こそうかという時には、先手必勝、先んずれば人を制すなのです。それほどに戦争のタイミングは大事だとされています。もう、両者の考えは交わるところはないのです。
かくして、2人の意見は却下(きゃっか)されます。……まあ、いつの時代でも、戦争を始めようとしている人に理屈は通りません。欲しいのは強気と威勢の良さと適当な同調だと思います。
そして、「采薇(さいび)の歌」の一節になります。
かの西山(せいざん)に登り、その薇(び)を采(と)る
○を以て○に易(か)え、その非を知らず
神農(しんのう)・虞(ぐ)・夏(か) 忽焉(こつえん)として没す
我いずくにか適帰(てつき)せん
于嗟(ああ)徂かん 命の衰(おとろ)えたるかな
★神農・虞・夏は古代の立派な王様たちです!
「適帰」とは、身を落ち着けるという意味で、正直に生きていくと、たくさんイヤな目に遭い、落ち着く場所がなくなってしまうという嘆きでした。悲しいことですが、人生とは、正直さよりも適当に折り合いをつけてやっていくことが大切なのかもしれません。
私は、2人のような生真面目さと愚直さはありませんが、どちらかというと、彼らのような不器用なタイプだと思います。だから、ワラビくらいしか食べられないような、しょんぼりした生活に近いかもしれません。でも、それは自分で選んだ道だし、そういう生き方しかできないです。
答え 20・暴
20の意味……采薇の歌の一節で、○力や武力による支配を否定したことば。
伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)が出撃直前の武王に言います。
「王よ、父の王がなくなられて間もない今、その霊を慰める行事もされないままに戦陣におもむかれるのは、親孝行だと申せましょうか。また、紂王(ちゅうおう)はあなたの主君でございます。家来(臣下)の身で主君を殺そうというのは、仁と申せましょうか」と。
武王が決断した後なのに、どうしてそんな絶対に聞き入れない状況で、あえて直言するのでしょう。普通の王様なら、「何を言う、このバカ者!」と、即刻死刑にするでしょう。
人には忠告を聞き入れるタイミングというものがあります。または、よっぽど考えに考えた演出で、相手に聞いてもらう、または受け入れる可能性が生まれるような工夫をして忠告する、それが本来の忠告だと思われます。そんなことを無視して直接言ってしまうのは、あまり賢くない行為です。
それを2人はあえてしました。彼らにはこわいものはなかったのです。2人は、家族も、ふるさとも、財産も何もかも捨ててきた人たちでした。昔の思い込みで、この2人は若者だったのではないか、そういうイメージを私は持っていました。けれども、どうやら2人はある程度の年齢で、自分たちのことを「老人」だと思っていました。もう世捨て人の心境でしたが、理想は高く持ち、周という国に理想があると信じて旅してきた人たちでした。
そんなに人が言うような「すばらしい国」などあるわけはないのです。どこにも不満はあるし、国のトップが気に入らないことなどしょっちゅうです。理想の国を作るのだと公言するようなトップは、たいてい自分たちの利益のことしか考えておらず、むしろ自分たちに利益が上がることが、世の中にとってよいことなのだ。それが社会の活力なのだと、単純に思っていると思います。
周の武王さんは、変な老人兄弟の言葉が、全く分からなかったことでしょう。「なあ、じいさんたち、私はいまからとんでもない殷を滅ぼし、おまえたちが楽しく暮らせる国を作ってやるんよ」と、思っていたはずです。
「そうではないのですよ。ものには順序があって、どんなにひどい国であっても、自然に崩壊するまで待つことが大事なのです。ダメな王を倒そうと簡単に反乱を起こして、戦争行為を起こすのは順序にはずれると思いますよ。
また、ご自身としては、家族を大事にしなくてはなりません。特に親に対する孝の気持ちは絶対なのです。お父上の喪に服す期間は何事もつつしんでいなければならないのです。それがものの順序というものなのですよ。」という頑固な老人の論理でした。
けれど、いつも世の中が順序通りにいくものでないのは、よくあることです。ましてや戦争を起こそうかという時には、先手必勝、先んずれば人を制すなのです。それほどに戦争のタイミングは大事だとされています。もう、両者の考えは交わるところはないのです。
かくして、2人の意見は却下(きゃっか)されます。……まあ、いつの時代でも、戦争を始めようとしている人に理屈は通りません。欲しいのは強気と威勢の良さと適当な同調だと思います。
そして、「采薇(さいび)の歌」の一節になります。
かの西山(せいざん)に登り、その薇(び)を采(と)る
○を以て○に易(か)え、その非を知らず
神農(しんのう)・虞(ぐ)・夏(か) 忽焉(こつえん)として没す
我いずくにか適帰(てつき)せん
于嗟(ああ)徂かん 命の衰(おとろ)えたるかな
★神農・虞・夏は古代の立派な王様たちです!
「適帰」とは、身を落ち着けるという意味で、正直に生きていくと、たくさんイヤな目に遭い、落ち着く場所がなくなってしまうという嘆きでした。悲しいことですが、人生とは、正直さよりも適当に折り合いをつけてやっていくことが大切なのかもしれません。
私は、2人のような生真面目さと愚直さはありませんが、どちらかというと、彼らのような不器用なタイプだと思います。だから、ワラビくらいしか食べられないような、しょんぼりした生活に近いかもしれません。でも、それは自分で選んだ道だし、そういう生き方しかできないです。
答え 20・暴