設定が間違ってたのかもしれないけど、とにかく起点を参宮線の田丸にしました。こんなに標識がないとは知りませんでした。
最初は、参宮線とヒガンバナというテーマで写真を撮って余裕だったんです。
でも、街道と鉄道が同じコースということはないし、どこかそれらしいところを探さねばなりませんでした。
鉄道沿いは、新しいおうちとか、倉庫とか、工場とか、古い家並みがありませんでした。街道沿いというのは、新しい家だってあるものだけれど、古い家が混ざってるはずで、そういうところを歩くと、昔から人々がそこで生活していた雰囲気が伝わる。農業もしたかもしれないけど、街道を歩く人を相手にして、人々が移動するのを手助けてしてあげようという伝統みたいなのが残っているはずでした。
鉄道から一つ外れた山側に平行する道を見つけて、こちらに常夜灯があったので、私が探している方はこちらだとホッとしました。鉄道からは離れていいから、とにかくこの道を外さずに歩いて行けばいいんだ。これをたどって、家まで帰るのは大変だけど、歩いてでも帰れるはずだという気分でした。
道沿いのヒガンバナもかわいらしかった。
しばらく歩いたら、石碑と案内板があって、あるお坊さんが旅の途中で病気になってしまい、そのままこの地で亡くなったので、お坊さんの最後の修業として人柱にしてくれ、という願いを地元の人は聞いてあげて、その記念とする石碑ということでした。
自転車で通りかかったオバサンが、案内板を眺めているから、街道歩きの人だと判断したのか、地元に伝わる話をしてくださいました。
「これ、正念さんの碑ですねん。わたしらのお祖父さんの時代から、それよりもっと昔から伝わっとる話で、ここで病気になられた正念さん(普通ならアクセントは前に来ますが、三重では後ろにアクセントがあります)が、人柱にしてくださいと言われて、そのまま埋められたんです。」
(何だか生き埋めにされているお坊さんのイメージです。人柱というくらいだから、立った姿勢で穴に入っている感じ。それは苦しいだろうし、悲しいだろうという気がしました)
「そこからずっとお経を読む声が聞こえたということですし、その碑がこれです。お祈りしてあげてください。私らもお参りさせてもらってます。」
私は、急にオバチャンを無視してお祈りするのも変だし、小さく心の中で念じて、丁寧に同じことを繰り返してくれるオバチャンに感謝して、そこを離れていきました。
まさか、地元の人に声をかけられるなんて、幸先がいいというのか、これぞ街道歩きでした。確かにここは250年前に、そんなお坊さんがいて、ここで亡くなり、お墓ではなく、人々を亡くなりながらも、じっと見守る形の石碑となってそこにあるんだと感心したものでした。
人柱というから、もっと悲壮なイメージが出て来るけれど、お墓みたいなものだったらしい。確かに人が立っているくらいの高さに石碑があります。ちゃんとお参りしようと思ったら、階段を上って、石碑の前に行かなくちゃいけない。そこまでするのは恐れ多くて、私は、また街道をたどろうとしていました。(朝の記述はここまでにします。夜にでも書けたらいいんだけど……)
それから、何と道は二つに分かれます。せっかく、街道を見つけたというのに、どちらに行っていいのかわからなかった。
何となく雰囲気では、山の中ということだったから、山側を歩けばいいんじゃないのと、山側をたどっていきました。どこに出たんでしょう。道はあるようには見えたのだけれど……。