たぶん、日曜だったと思うんですが、違うかもしれないけど、とにかく、NHKのFMで「名演奏家ライブラリー」という番組をたまたま聞く機会がありました。途中から聞きましたが、たぶん、聞いたことがある曲でした。曲を耳で追いかけられそうでした。たぶん、後半の盛り上がりのところくらいでした。
ベートーベンだろう、なんて思いました。でも、私の知ってるベートーベンは五番から七番までで、たぶん、五番なんだろうと聞いていたら、飯守泰次郎という指揮者の方が、東京シテイフィルハーモニックを振ったライブ録音だったそうです。
もう何年も「運命」を聞いていませんでした。
そして、久しぶりに、というか初めて、100円で買ったフルトベングラーの「運命」を聞いてみました。一度聞いてみようとしたときは、音がクリアーでなくて、聞こえないやと思って、もうほったらかしにしていた、かわいそうなCDでした。でも、今夜もう二回目で聞いています。フルトベングラーがいいのか、「運命」を聞きたい耳になっているのか、とても寒いのに、お風呂上がりだから、シャツいちで聞いています。
フルトベングラーはもう四十年ほど前、ナチスに協力したということでずっと謹慎させられていたのが、やっと社会復帰して演奏を始めたという復帰した時のライブ盤(1947のライブ盤)をFMで聴いて、よくはわからないけれど、好きになれたし、感情移入して録音したカセットテープを何度も何度も聞きました。みんな彼の復帰を待っていただろうし、彼もナチスに協力したわけではなかったのかもしれません。詳しい事情はわからないです。調べなきゃです。
三番は長すぎるし、「田園」は最後に行くまでが遠いし、「合唱」は最後が好きだけど、いつも聴く音楽ではありませんでした。
一日の終わりに、気持ちを鎮静化し、しかも高揚させるという、不思議な効果のある「運命」(私の妄想だったと思います)を、何度も聴きました。若かったし、ヒマだったんでしょう。
それから、同じ時期の巨匠のトスカニーニにも興味を持ち、フルトベングラーは買わないで、トスカニーニの「運命」を買いました。そうすると、当然のことながら、トスカニーニは気に入らなかったのです。あまりに素っ気ない。サラリと行き過ぎてるし、ムダというものが感じられなかった。
今聴いたら、違う感じが得られるのかもしれないけど、LPはうちではかけられなくなってしまって、お飾りとしてのLPとなっています。
たぶん、トスカニーニも、フルトベングラーも、飯守泰次郎さんも、みんな素敵に「運命」を演奏されてるのだと思います。当時の私には、聴く耳がなかったのでしょう。
二回目ももうすぐ終わりですし、寒くなって来たので、もう寝ることにしますけど、ダダダダーンの「運命」を聴けるようになって何十年も経ちました。今は、何だか音楽が流れてると、本当に穏やかな気持ちになれます。
きっとトスカニーニさんのでもそうだと思います。なんというか、いろんな人の「運命」を欲している耳があるみたい。すごいね。これは進化なのか、退化なのか、鷹揚になったのか、たぶん、聴き落している音は昔と比べるとたくさんあるはずだし、聴いてるものは同じだとしても、聴く人間が古くなってるから、受け入れられるようになった、ということなのかもしれないです。
やはり、成長なんですかねえ。そういうことにして、今夜は寝ます。明日は朝が早いですし、何かいいことあればいいのになあ。