宣長さんは、吉野を目的にやってきました。そして、とうとう桜が盛りの吉野にたどり着きました。だったらもう、短歌とか詠みまくりですよね。日記みたいに短歌を作ればいいんだ! そういうの、いつか私もやってみたいです。
短歌って、おしゃべりするみたいに、ラップみたいに、どうしてよう、とか、だからさー、とか、テンポさえよければいいんでしょう。いつか挑戦してみます!
桜本坊などいふを見て。かつての社(やしろ)は。このちかきとし(年)焼けぬるよし。いまはたゞいさゝかなるかり屋におはしますを。をがみて過ぎゆく。このやしろのとなりに。袖振山(ふりそでやま)とて。こだかき所に。ちひさき森の有りしも。同じをりにやけたりとぞ。御影山(みかげやま)といふも。このつゞきにて。木しげきもりなり。
桜本坊という所を見ています。このお社は、ごく最近火事で焼けたそうでした。今は仮のお社に神様はいらっしゃるようです。参拝させていただき、そのお隣に、振袖山という小高い森がありますが、こちらも近年の火事のおりに焼けてしまったということでした。御影山もそのつづきにあります。木もたくさん茂っています。
竹林院。堂のまへに。めづらしき竹あり。一ッふしごとに。四方に枝さし出たり。うしろの方に。おもしろき作り庭あり。そこよりすこし高き所へあがりて。よもの山々見わたしたるけしきよ。
竹林院のお堂の前に珍しい竹があります。一つの節ごとに四方に枝が出ています。その後ろには、おもしろく作った庭があります。そこから少し高い所に上がって、四方の山々を見渡せる景色です。こんな山の奥で、ここだけ特別な空間になっているようです。
まづ北の方にざわう堂(蔵王堂)。まち屋の末につゞきて。物より高く目にかゝれり。なほ遠くは。多武の山高とり山。それにつゞきて。うしとらのかたに。龍門のだけなど見ゆ。東と西とは。谷のあなたに。まぢかき山々あひつゞきて。かの子守の御社(みやしろ)の山は。南に高く見あげられ。いぬゐのかたに。葛城やまは。いといとはるかに。霞のまより見えたるなど。すべてえもいはず。おもしろき所のさまなり。
北の方角に蔵王堂があります。いくつかの街やの続きの向こうにそびえたっています。そして、そこに巨大な建物です。多武峰、高取山、など、私たちが歩いてきた山々が北の方に見えています。東北の方角には龍門岳が見えました。東と西は、吉野川が西へと流れていますので、東はその源流の谷、西は川が海へと向かって行く谷になっています。両側にはぎっしりと山が迫っています。南は、子守りの御社の山があります。北西の方角には葛城山が見えていました。少し遠いから、春かすみの中に浮かんでいる感じです。すべて、まわりに見える山々、みんな素晴らしく、春爛漫の山々が見えています。
花とのみおもひ入ぬるよしの山よものながめもたぐひやはある。
花だけが素晴らしいと思ってやってきた吉野のお山でしたけれど、まわりの山々の眺めもとても素晴らしく、他にたとえようのない美しさなのです。
時うつる迄(まで)ぞ見をる。ゆくさきなほ見どころはおほきに。日くれぬべしとおどろかせど。耳にもきゝいれず。くれなばなげの【古今春「いざけふは山べにまじりなん暮なばなげの花の陰かは】などうちずして。
時間が過ぎるのも忘れて、じっと見とれています。これから先、まだまだ見るところはたくさんあると思われますし、このままぼんやりしていると日が暮れてしまいますよ、とみんなを促しても、誰も聞き入れる者はいません。暮れてしまうのなら、もうそれでいいやという感じになってしまっています。古今集にも、「さあ、山の中でそのままいつまでもいましょう、どうにかなるさ、なるようになるさと、花の下で過ごしましょう」という歌でも歌ってたいくらいです。
あかなくに一よはねなんみよしのゝ竹のはやしの花のこの本
まだまだもの足りないんだから、今晩だけでも吉野の竹の林の花の下で、寝かせてくれないですか。
かくはいへど。ゆくさきの所々も。さすがにゆかしければ。そこにたてる桜の枝に。このうたはむすびおきて。たちぬ。さてゆく道のほとりに。何するにかあらん。桜のやどり木といふ物を。多くほしたるを見て。
とまあ歌を詠んでみましたが、これから先に行くところも、やはり見たい気もするので、すぐそこにある桜の枝にこの歌を結んでおいて、出発することにしました。その道の途中で、何をするのかわからないのですが、サクラの宿り木というものをあちらこちらで干してあるのを見ました。
うらやまし我もこひしき花の枝をいかにちぎりてやどりそめけむ。
とてもうらやましい気持ちです。私が大好きな桜の枝を、どうして切り取って家々で飾ってあるんでしょう。これはどういういわれがあることなのでしょうね。