伊勢街道は、東海道の四日市宿から南に伊勢平野を南に向かう道と、同じく東海道の関宿から南に向かう道と、二つの道が津あたりでつながって、安濃津(現在の津市は、昔はそう呼ばれてたみたいです)の市街地を抜けて、松阪から東に方向転換して、お伊勢さんに向かいます。
だいたい今の国道23号線に沿った道になるんでしょうか。
三重県は、古い習慣・モノ・建物など、わりと残ってるの思うんですが、それも日々古びているから、やがてすべては建て替えられるんでしょうか。
今も内宮の門前町であるおかげ横丁は賑わっているはずですが、あれは模造の昔風の集落で、たいていは近年に作られた新築の古びた(雰囲気を装った)建物群でした。そこで江戸風情を感じて観光客のみなさんがお金を落としてくれるのは、それは有り難いけれど、もっと本物の古い町並みも見てもらいたいんだけどな。
でも、本物は、本当にさびれていて、お店は営業していないし、お客さん相手の仕事をしていません。みんな自分の生活に追われ、自分たちの古い街並みに頓着していません。少し残念なことです。
都市部は建て替えに熱心だし、田舎の街道は、廃屋化が進んでいます。今さら街道歩きだなんて、誰もそんなことに興味はないし、それはすでに廃れた昔の交通手段でした。
かつて、街道が行き来する人でにぎわっていた頃、人々は道沿いの物語に耳を傾け、自分に関わりのある所を訪ねてみようとしたことでしょう。
伊勢街道の阿漕あたりでは、親孝行の息子・平治さんを偲んでみようという人たちは、どれ、ほんの少し寄り道をして阿漕さんをおまつりしているところを訪ねたのかもしれません。
夜だって、阿漕塚を訪ねる人たちのために、常夜灯が作られています。みんなこの灯りとこの森を目当てに、集まったことでしょう。
芭蕉さんの句碑だって作られています。といっても、芭蕉さんが立てたのではなくて、百年後の江戸時代中期の人々によってつくられたようです。
芭蕉さんは、どんな句を詠んだんでしょう?
月の夜の何を阿古木(あこぎ)に啼く千鳥
私の持っている角川文庫の「芭蕉全句集」には掲載されていません。出典も不明だそうです。でも、芭蕉さんの句として地元では伝えられ、句碑まで作っています。
月の夜に、どうして阿漕の浜にいる千鳥たちは鳴いているんだろう。という、あっさりとした句です。「この秋は何で年よる雲に鳥」みたいに、「何で」という人生に対する疑問と、流れていく雲と鳥たちという見事なミックス世界の句がありましたけど、あれよりは単純というのか、ひねりがないというのか、挨拶の句というんでしょうか。
伊勢神宮にお参りする時に、地元の方たちと句会でも開いて、その時に披露した句なんだろうか。特に本として残すというのではなく、みんなで集まって句会を始める時の宗匠の最初の一句として生まれたのかもしれません。
「月の世に」ではないんですね。助詞って難しいなあ。
「月の夜に何か鳴く理由があるらしいのだが、どうして千鳥たちや、鳴いているのだ。家族でも呼んでいるのか。月の世に思い出すことがあるのか。まさか、平治で有名な土地だし、母親を探しているのかい。
いやいや千鳥だけではないですね、私たち人間も、特に理由はないけれど、夜に集まって、あれやこれやわめいてたりするものですね。理由はないんですよ。さあ、みんなで句会でもやりますか。」
そんな感じだったのかな。先生に最初に阿漕をテーマに詠んでもらって、集まった面々は思い思いの句を披露したことでしょう。
そういう趣味の集まり、とても貴重なものでしたね。
平治さんのまわりで、いろんな人が集まって、交流したこと、過去にはあったでしょう。これからの私たちは、こういう交流をふたたび出来るのかどうか、それは気になりますね。