甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

麑海魚譜(げいかいぎょふ) 1883

2024年03月23日 19時39分30秒 | 古いカードから

 団伊久磨さんに教わってたのを、30年ぶりに復習してみます。今ではネットもあるので、国立博物館が公開してくれているものを見ることができますけど、実際に手元にこの本があればいいですけど、そこまで私はサカナの専門家でもないので、ただすごいなと感心しているだけにしましょう。

 1994年の3月11日のアサヒグラフのパイプのけむりの連載でこんな風に書いておられました。

 鹿児島湾を昔の文人は麑海(げいかい)と呼んだ。その事を考えていた。麑の字は鹿児島の上の二字を詰めて日本で作った字だと思われそうだが、そうではなく、仔鹿を表わす会意文字として本家の中国に歴としてある字である。

 この字を早速鹿児島湾に冠せて麑海と呼んだ昔の日本の文人は流石だと感心してしまう。麑海の名を知ったのは、「麑海魚譜」という古書の存在によってだった。幸いその復刻版を僕は書架に持っている。

 今日は朝焼けの鹿児島湾を見たのだから、家に帰ったら、久しぶりに麑海魚譜を開いて見よう。僕はそう楽しみに思った。


 団さんは博識の方だったし、各地にお仕事に行かれたり、コンサートとかもされたんでしょうか。御泊りは桜島を目の前に向き合う城山観光ホテルだったんでしょうか。

 「麑海魚譜」は明治16年3月1日から6月8日の間東京上野で開催された第1回水産博覧会に際して鹿児島県から出品された県下海産動物の彩色図譜であって、日本の水産動物図譜の先駆的な存在であった。

 一般的には無彩色の印刷本(初版M16年、再版M44年)が流布したらしいが、鹿児島県立図書館秘蔵の彩色原本を昭和54(1979)年に新編「麑海図譜」として島津出版会が上梓し、つかさ書房が頒布取り扱いを行なってから、僕たちは百年前の優れた美しい魚譜を手にすることができるようになったのである。

 ということなんですね。でも、明治以前の博物学的な蓄積が世の中にはあったような気がするんですけど、だからこそ伊藤若冲とか、いろんな絵師さんたちも活躍できたと思うんだけど、それを明治政府の中軸国であった薩摩の国の総力をあげて作成したのだと思うのです。カゴシマ人のプライドみたいなものもあったでしょう。


 あともう少し、

 百年前にこの図譜の編纂に携わった白野夏雲、写生をした画工木脇啓四郎・二木直喜の仕事の労苦も、その総てが手作業であるだけに、素朴に伝わって来る。

 ということです。オサカナ図鑑を見ながら原稿を書いてるなんて、さすが団さんです。そういうのができる人になりたかったけど、私には無理かもな。家に生えて来る草の名前もわからないのだから。

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