かなり昔、春秋時代の呉の国のことばを取り上げました。まだまだ抜け落ちているところはあるものの、とりあえず通っておこうと、そのまま越の国に行きました。
今、昔の原稿をまとめて再構成しようとし始めたところなんですが、その前に相変らず、あちらこちらに手を出すので、「許由巣父(きょゆうそうほ)」……世の中から超然として生きていく隠者。この二人の隠者がいたところが、「箕山(きざん)」というそうで、そこから「箕山の節(操)」……自己の信念に忠実であること。というのを、手元の故事成語辞典で見つけたんです。今さらながら、アナログなことをやっています。
このお話の許由さんは、古代の王様の堯(ぎょう)さんにスカウトされそうになって、「あなたは本当に誠実で、人に対する態度・思いやりが素晴らしいと聞くので、次の王様にどうです!」と言われたんだそうです(本当にそんなことあったのでしょうか?)。昔は、民間から、本当に王様になって欲しい人を推薦したことがほんの少しだけあった、ようです。
もちろん、許由さんは、そんなことには興味はないから、とんでもない話を聞いたと、自らの耳をきれいな水で洗ったそうです。そうしたら、同じ隠者の仲間の巣父さんは、「ああ、この水も汚れている。こんな汚い水をかわいい羊(だったかな?)に飲ませるわけにはいかないと、さらに上流に登っていったという、上には上がある、ものにこだわらず、世の中の汚れを避けようと思ったら、とことん突き進まねばならない、そんな教訓でもあるでしょうか。
そういうのを見つけた、というか、これは知ってた話でした。
それで、春秋時代の呉の国、紀元前六百年ころに生まれた国なのかな。その南には、中の悪い越という国があって、何度も両国は戦うんですけど、中の悪い二人が同じ境遇にいるというのを「呉越同舟」といいましたけど、あのオマケは、そんな関係であっても、いざピンチになったら、船の中で両国は左右の手となって協力し合うものだと、『孫子』には書いてあるそうで、このオマケが大事なんですね。でも、つい私たちは気まずい関係が先に来て、イヤなヤツと一緒にいて、「呉越同舟」だ、なんて言ってしまう。まあ、ことばは日々変化しますから、いろんな使い道がありますね。
さて、呉という国が、春秋時代の中国の南で生まれました。最初の王様は寿夢(じゅぼう)といいました。彼は後継ぎを、末っ子の季札(きさつ)にしようと考えました。
古代の中国では、わりと末子相続というのがよくあったみたいで、上のお兄ちゃんたちは親から見放されてしまうパターンでした。長男相続などというルールはなかったのです。
最後に生まれた子を、権力者は温かく見ていて、おそらくその子の母も一番愛していたことでしょう。だから、その子が立派に成長すれば、その子にあとを継がせてしまう。
そして、実際に誰かが王位を継がなくてはならなくなった時、季札さんは硬く固辞して、仕方なく長男の諸樊(しょはん ? - 紀元前548年)さんがあとを継ぎます。そのあとは次男の余祭、その次は三男の余昧とつづき、三男が亡くなった後、三男の子どもの僚さんが王になりますが、長男の息子の闔閭(こうりょ)さんがクーデターを起こして王位を奪います。二千何百年も前から中国って常に権力闘争が行われていたようです。まあ、人間の集団があれば、そこに闘争はつきものですもんね。
さあ、そういう兄弟同士の権力の奪い合いから一歩下がったポジションにいた季札さん(BC575~BC485)は、小さな領地をもらって、そこでコツコやれることをしていて、わりと自由だから、旅もできていたようです。王様だったら、そんな軽々しいことはできないけど、ただの土地持ちという感じかな。
ある時、小さな国の徐(じょ)という国を通ったそうです。そうすると、わりと世間の評判高い季札さんに会いたいと思うのは自然で、呼び止めてお屋敷に案内したことでしょう。そして、あれこれ話を聞かせてもらったはずです。
もちろん、「どうして王様にならなかったんですか?」とか質問したりしたでしょう。世の中って、話題の人に何度も何度も同じことを訊いて、自分たちが知っている答えを聞かされて満足したがるものらしいから。
そして、季札さんは去り、再び徐の国に来た。すると、前回出会った徐の領主さんはすでに亡くなっていて、前回会った時に、領主さんが季札さんの刀を欲しそうにしていたし、自分も上げてもいいと思っていたから、本人が亡くなっていても、刀を墓前に供えたということだそうです。
そして、ことばは、
【季札剣をかく】……心に決めた約束を守り通すこと。
というのがあるそうです。
でも、私は残念なんです。どうして、そこまで分かっておられたら、そういう気分なんだったら、すぐに行動しなかったのか、「ください」の一言でもあればよかったけれど、それがなかったというのもあるんでしょうか。
ただ、「これ、ステキですね。いいなあ。とても素晴らしい剣ですね。」とほめただけだったんだ。どうして、素直にどうぞこの剣を私に売ってくださいとか、ことばに出せなかったかなあ。
そりゃ、国のトップですから、おねだりするなんて、プライドが許さなかったのかなぁ。季札さんも、言われてないことをするのも変だから、「どうぞ、ブレぜントしますよ」なんて提案できないし、お互いに何もその場では言えなかった。そうしている間に、運命は淡々と進むものだし、徐の領主さんは亡くなってしまうのでした。
きっと、お互いに悔いが残ったから、季札さんは供養のために、刀を捧げたんでしょう。そういう素直さがあるから、二千何百年の今でもそのお名前は伝わっているんでしょう。とことん素直にやって行けたらなあ。できるだけ私も努力したいと思います。