「山羊(やぎ)の歌」「在りし日の歌」など、生前に出せた詩集はほんの少ししかない中也さん。うっかり者の私は、「在りし日の歌」なんてネーミング、いかにも人にこびを売っていてずるいなあと勝手に思っていました。
中也さんがわざと、自分はすでに晩年・死期を意識して詩を書いているんだよ、というのが売りの詩人さんなのかと、まるで太宰さんの「晩年」みたいに見ていました。
それは大いなる誤解で、中也さんはそんな「売らんかな」の人ではありませんでした。決して自分が早死にするとは思っていないし、ましてやそれを売りにして、いつも私は命を賭けて詩を書いているんだ、という人ではありませんでした。
私がおバカで不勉強なだけでした。ザンネンなのは私でした。
「在りし日の歌」は、「亡き児文也の霊に捧ぐ」と冒頭に書いてあるではありませんか。つくづく不勉強でした。そして、今ごろ、こんな詩に出会いました。
また来ん春……
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るぢやない
やがて春がやってきますよ、と人は言うけれど、それは何の慰みにもならないのです。愛するこどもさんが亡くなってしまい、生きる活力が奪われてしまったといいます。きっと、どんなこどもであっても、自分の子は自分の子だし、たまたま自分ところに生まれてきてくれた、天が与えてくださったものです。
その子のしあわせは祈るけれど、それは天からもらった命であるからというのもあります。また、別に自分のところをわざわざ選んで生まれてきてくれたということがうれしいわけです。
だから、私たちは、とにかくその子を一生懸命、自分なりのやり方で育てるのです。なのに、中也さんちでは、その子が亡くなってしまった。もう目の前がまっくらです。
おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫(にやあ)といひ
鳥を見せても猫(にやあ)だつた
最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹(ひ)かれてか
何とも云はず 眺(なが)めてた
秋の11月10日に文也くんは亡くなったそうです。その年の5月には、ゾウさんも、トリさんもニャーだったそうです。かわいらしいじゃないですか。そんなかわいらしい感性を見せてくれてた子どもさん。
シカさんだけは、角が気に入って、ニャーじゃなくて(動物じゃなくて、何か違うものに見えたのかな?)、何に見えたんでしょうね。ビックリしたんでしょうか。
そんなかわいい姿を見せてくれてたお子さんは、彼の手元から去っていった。お父さんは呆然としています。あの時一緒に楽しい思いをした自分は、これからどうして生きていったらいいのか、わからないのです。
ほんにおまへもあの時は
この世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……
歩き始めたくらいだったんでしょうか。1歳くらいのかわいいさかりだったんでしょう。
まるでしあわせの光りの中にいるような感じだったのに、それなのにその光りからはずれてしまって、闇の中へ飛び去ってしまった。それがかわいそうでたまらないのだと思います。
この世に残った者として、もう少しだけ、いろんな光や、いろんな生き物や、いろんなできごとを経験させてあげたかったのに、もうそれもできないと思うと、悔しいやら、悲しいやら……。しかし、それもあの子の運命なのかと一瞬あきらめてみるけれど、それでも気持ちの整理がつかなくて、また光りの中にいたあの子の姿を追い求めてしまう。
親って、ずっと死ぬまでそうして生きていく生き物なのかもしれません。先に自分がこの世から消えたら、それは順番だから仕方がないけれど、たまたま子どもに取り残されたら、ずっと子どもの分まで背負いながら生きていかなくてはならない。当たり前なんですけど、単純に悲しくて、その気持ちがスッと伝わるいい詩だと思いました。
そして、私も、自分のこどものこと、せいぜい見てあげなくちゃと思うのです。私のやり方で。少しは工夫をして。
中也さんがわざと、自分はすでに晩年・死期を意識して詩を書いているんだよ、というのが売りの詩人さんなのかと、まるで太宰さんの「晩年」みたいに見ていました。
それは大いなる誤解で、中也さんはそんな「売らんかな」の人ではありませんでした。決して自分が早死にするとは思っていないし、ましてやそれを売りにして、いつも私は命を賭けて詩を書いているんだ、という人ではありませんでした。
私がおバカで不勉強なだけでした。ザンネンなのは私でした。
「在りし日の歌」は、「亡き児文也の霊に捧ぐ」と冒頭に書いてあるではありませんか。つくづく不勉強でした。そして、今ごろ、こんな詩に出会いました。
また来ん春……
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るぢやない
やがて春がやってきますよ、と人は言うけれど、それは何の慰みにもならないのです。愛するこどもさんが亡くなってしまい、生きる活力が奪われてしまったといいます。きっと、どんなこどもであっても、自分の子は自分の子だし、たまたま自分ところに生まれてきてくれた、天が与えてくださったものです。
その子のしあわせは祈るけれど、それは天からもらった命であるからというのもあります。また、別に自分のところをわざわざ選んで生まれてきてくれたということがうれしいわけです。
だから、私たちは、とにかくその子を一生懸命、自分なりのやり方で育てるのです。なのに、中也さんちでは、その子が亡くなってしまった。もう目の前がまっくらです。
おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫(にやあ)といひ
鳥を見せても猫(にやあ)だつた
最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹(ひ)かれてか
何とも云はず 眺(なが)めてた
秋の11月10日に文也くんは亡くなったそうです。その年の5月には、ゾウさんも、トリさんもニャーだったそうです。かわいらしいじゃないですか。そんなかわいらしい感性を見せてくれてた子どもさん。
シカさんだけは、角が気に入って、ニャーじゃなくて(動物じゃなくて、何か違うものに見えたのかな?)、何に見えたんでしょうね。ビックリしたんでしょうか。
そんなかわいい姿を見せてくれてたお子さんは、彼の手元から去っていった。お父さんは呆然としています。あの時一緒に楽しい思いをした自分は、これからどうして生きていったらいいのか、わからないのです。
ほんにおまへもあの時は
この世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……
歩き始めたくらいだったんでしょうか。1歳くらいのかわいいさかりだったんでしょう。
まるでしあわせの光りの中にいるような感じだったのに、それなのにその光りからはずれてしまって、闇の中へ飛び去ってしまった。それがかわいそうでたまらないのだと思います。
この世に残った者として、もう少しだけ、いろんな光や、いろんな生き物や、いろんなできごとを経験させてあげたかったのに、もうそれもできないと思うと、悔しいやら、悲しいやら……。しかし、それもあの子の運命なのかと一瞬あきらめてみるけれど、それでも気持ちの整理がつかなくて、また光りの中にいたあの子の姿を追い求めてしまう。
親って、ずっと死ぬまでそうして生きていく生き物なのかもしれません。先に自分がこの世から消えたら、それは順番だから仕方がないけれど、たまたま子どもに取り残されたら、ずっと子どもの分まで背負いながら生きていかなくてはならない。当たり前なんですけど、単純に悲しくて、その気持ちがスッと伝わるいい詩だと思いました。
そして、私も、自分のこどものこと、せいぜい見てあげなくちゃと思うのです。私のやり方で。少しは工夫をして。