もう約10年も!前の事か!!びっくら。
その旅行の事を書きたいなと毎年夏になると思っていたのに書いてこなかった。10年も先延ばしになっていたのかよ!あたし!
ちょっと長めの夏休みだったので、青春18きっぷで暑い夏の広島に行ってみよう!と、出かけたのでした。
何故かあたしは東京の子どもが修学旅行で必ず行く広島に行っていないのでした。
中学3年の時は出来たばかりの瀬戸大橋を見に、岡山・京都。
高校ではもはや珍しいくらい地味な京都・奈良。
それはそれで楽しかったけれど。
「8月6日快晴の朝の広島」はさぞかし暑かっただろうなー、と。自分なりに臨体験?したくなったのでした。
京都の祖母の家と、広島の間にもう一か所挟もう、温泉かなーなんて思って瀬戸内海辺りを調べたら、第1次大戦から第2次大戦まで毒ガス製造を目的として軍の管理下におかれ、国家機密として地図から消されていた島、大久野島というのがある、しかも温泉もある!という事を知り、そこにも行ってきました!!
そんなこんなで自称反戦平和の旅になったわけです。
台風が来ていたのかただの天候不順だったのか忘れてしまいましたが、あたしが到着した日の朝の広島は曇り空で、じりじりした西日本の夏の暑さは無く、むしろ涼し目、たまに小雨。(←ライム❤)
初めて見た原爆ドームは思っていたよりも小さく。
公園の中に突然、銅像とかのように立っていました。
街に馴染むように建っていると思っていたのかなーあたし。
なんか、あまりにも切り取られた空間のようでした。
それが悪いとか、良いとかそういう事では無く。
思っていたのと違ったなー。というか。
少なくとも原爆ドームの話をする時にあたしが思い浮かべる図が変わったことは確かだな。というか。
原爆資料館は、想像していた通りというのも変だけれど。
あたしが子どもの頃は、有志による?小さな原爆写真展みたいのがちょいちょい公園で開かれていたり、夏休み子ども反戦上映会みたいのもあったり、まあ、家にもそういった本があったので、それほどショッキングな新情報でもなく。まあ、来ることに意義はあるか。くらいの。
そして公園をぶらぶらしていると不思議な地下への入り口みたいのがあって、
というか、普通に資料館だと思うのでなんで不思議に思ったのか、あまり覚えていないのですが。
今調べたら、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館という事が判明。
ここには原爆を経験した人たちが、当時の事を語った文書が読めたり、朗読を聞いたりできる資料館でした。
詳しくは忘れてしまいましたが、
爆弾が落ちて、こらまずい、子どもらを呼びに行かねば、と慌てたお母さんが台所のどこかに頭を打ってしまって、痛いー!でも子どもらを探さねば!と、頭を手で押さえながらも子どもを探すお母さんの記録。
原爆は、戦争は、特別な人、あるいは準備が出来ている人の所で起こるのではない。
原爆が落ちるなんて特別なことだけれど、その下では慌てて頭を打ったりというちょっと間抜けな日常がある。まさにトイレで用を足している最中の人もいるだろうし、普通にグーグー良い気分で寝ている人もいるだろうし。
原爆の熱で溶けた瓶や止まった時計を見るより、強烈なリアル。
どう想像したって、想像でしかないのだけれど。
素肌感をもって物事を考えたいな。と日々思います。
ウェブサイト見てみたら、それらの被爆体験談がネットで読めるようです。
http://www.global-peace.go.jp/taikenki/
是非読んでみてください。
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