リートリンの覚書

日本書紀 巻第二 神代 下 第九段 一書群 三

三・一書に曰く、
兄の火酢芹命(ほすせり)は、
海の幸(獲物)を得る能力があったので、
海幸彦とよばれました。

弟の彦火火出見尊は、
山の幸(獲物)を得る能力があったので、
山幸彦とよばれました。

兄は風雨があるごとに
その利(獲物)を失いました。

弟は雨風があっても、
その幸(獲物)
変わりはありませんでした。

そこで兄は弟に語り、
「試みに俺とお前、
(道具)を交換してみないか」
といいました。

弟は承諾し、
交換をしました。

兄は弟の弓矢を取り、
山に入って獣を狩り、

弟は兄の釣針を取り、
海に入って魚を釣りました。

しかし、
お互いに利(獲物)
得ることができず、
手ぶらで帰ってきました。

兄はすぐに弟の弓矢を返し、
自分の釣針を返せと責めました。

しかし、
弟はすでに釣針を
海中に失くしてしまいましたが、
探し当てる術をもちませんでした。

そこで弟は
別に新しい釣針を数千作りました。

しかし、
これに兄は怒って受け取らず、
もともとの針を(返せ)
責めたてました。
云々。

この時、海浜へ行き、
うなだれ憂いて行ったり来たりし、
心配のあまり呻きました。

そのときに川雁が
罠にかかり困りはてていました。

憐れみの心が起こり、
解き放してあげました。

しばらくして鹽土老翁がやって来て、

すぐに目の無い堅く編んだ
籠の小舟をつくり、
彦火火出見尊を乗せて
海中に押し放しました。

(小舟は)すぐに自ずと沈んでいきました。

たちまち美しい路地(みち)があり、
その路地をたずねていますと、
自然と海神の宮に到着しました。

海神は自ら迎えにでて、
(山幸彦を)引き入れて、

海驢(あしか)の皮を重ねて敷いた、
その上に坐らせました。

また、百以上の台にのせた食物を設け、
主人の礼をつくしました。

その上で、ゆっくりと、
「天神の孫、
どうして申し訳ないと
思っているのですか」
と問いました。

別伝では、
「このごろわが子が「天孫が海浜でかなしんでいる」と話していたのですが、誠なのか偽りなのか、どうなのでしょうか」

彦火火出見尊は
事の詳細を話しました。

そして(海神の宮に)留まり、
休息しました。

海神はその娘豊玉姫を
妻(め)あわせました。

仲は睦まじく、親しみ愛し合い、
早三年が経ちました。

(彦火火出見尊が地上に)
帰る時になり、
海神は鯛女を召して、
その口を探ると、
即ち、釣針を得ました。

この釣針を彦火火出見尊に差し上げ、
こう教えました。
「お前の兄にこの釣針を与える際、
こう唱えなさい。
『ぼんやり針、あわて針、貧しい針』。
言い終えたなら、
後ろ手に投げて与えなさい」
といいました。

鰐を召集して、こう問いました。
「天神が今、帰るところだ。
お前たちは、
幾日のうちに送ることができるのか」

そのとき諸鰐魚たちは、
それぞれの長短のままに、
その日数を定めました。

その中に一尋の鰐がいて、
自ら
「一日の内に着くことができるでしょう」
といいました。

それですぐに
一尋鰐魚をやって送り奉りました。

また潮満瓊、潮涸瓊の二種の宝物を奉り、
瓊の用法を教えました。
また、
「兄が高田を作ったなら、
あなたは窪田を作りなさい。

兄が窪田を作ったなら、
あなたは高田を作りなさい」
とも教えました。

海神が誠を尽くし
助け奉ったのはこのようでした。

彦火火出見尊は、
すでに帰ってきて、
海神の教えに従い、行動しました。

その後、火酢芹命(ほすせり)は、
日に日にやつれて、憂いて、
「俺はすっかり貧乏になってしまった」
といいました。

そして弟に従いました、

弟が潮満瓊を出したとき、
兄は手を挙げて溺れ苦しみ、
希望にこたえ潮涸瓊を出すと、
潮が止み平常に戻ったのです。

これより先、豊玉姫は、天孫に、
「私はたしかに妊娠しています。
天孫の胤を、

どうして海中で
産むことができましょうか。

産む時がきましたら、
必ずあなたの処まで行きます。

もし私のために産屋を浜辺に造って、
待っていてくれるなら、
と私の望みです」
と話しました。

そこで彦火火出見尊は郷に帰ってくる
とすぐに、鵜の羽で屋根を葺いて、
産屋と作りました。

屋根がまだ葺き終わらないうちに、
豊玉姫が自ら大亀を操り、
それに乗り

妹の玉依姫(たまよりひめ)を連れて、
海を照らしてやってきました。

産み月満ちて、
まさに産む時がまさに急にやってきました。

それゆえ、
まだ屋根が葺き上がるのを待たずに、
急いで入っていきました。

そしておもむろに天孫に、
「私が産むさい、
どうか見ないでください」
といいました。

天孫は、その言葉を怪しんで、
ひそかにうかがうと、

豊玉姫は八尋の大鰐となっていました。
そして天孫がのぞき見しているのを知り、
深く恥じ、恨みに思いました。

子が生まれたのちに、
天孫はやって来て、問いました。
「子の名前はどう呼んだらよいだろうか」
「彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊
(ひこなきさたけうかや
ふきあわせすのみこと)
と名付けたらいいでしょう」
と答えました。

そして言い終えるとすぐに、
海を渡りいそぎ去って行きました。
彦火火出見尊は歌を詠いました。

沖の鳥 鴨の寄りつく島で
共に寝た 妻は忘れられないだろう 
この世の限り

別伝では、彦火火出見尊は、
婦人を取って乳母、
湯を呑ませる湯母(ゆをも)、
飯を噛み食べさせる飯嚙(いいかみ)、
湯浴させる湯坐(ゆえひと)と

諸々の部(ともの)を準備して、
養い奉りました。

時に、他の婦(おんな)を用いて、
乳で皇子を養う。
これが、世に乳母を取って子を
養う起源なのです。

こののち、その子が端正と聞き、
とても憐れに思った豊玉姫は、
(地上に)帰り
養いたいと思いました。

しかし、
それは理に反することです。

そこで妹の玉依姫を
(地上に)遣わし、
養ったのです。

この時、豊玉姫命は玉依姫に寄せて、
返し歌を奉りました。

明珠(あかだま)は 光があると
人は言うが
君の装いこそ 貴くあるよ

あわせてこの贈答歌二首を、挙歌(あげうた)と名付けました。

海驢(かいろ)これは美知(みち)といいます。踉髈之鉤(らうはうしこう)これは須須能美𧸐癡騃鉤(すすみのみちとちかいこう)これは于樓該𧸐(うるけち)といいます。



日本書紀に登場する神様一覧 第九段〜は、
こちら



うーむ
また、
本文とあまり変わりないですね。

山幸彦と海幸彦の話しは、
どうしてこんなに
詳しく書いてあるのでしょうか?

謎。

明日も異伝続きます。











・独り言

いつからでしょうか?

何故かアベガーが、
公共の場にチラシ貼っても
話題にならない。
(言論の自由だけど、これは無い。
マジ、目悪いし👎)

京都の男性が
🇨🇳の悪口を書いたら
捕まってニュースで話題。
(何故、日本人は、
本音を語ったらダメなの?)

横浜中華街の悪口の手紙が話題。
(これは、ダメだけど)

コロナウイルスの話題をすると
YouTubeで広告が付きづらいらしい。

言いたい事が言えない日本。
おかし過ぎる!

変!





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