魏志倭人伝・現代語訳 2
倭国への道 対馬国
原文從郡至倭、循海岸水行、歴韓国、乍南乍東、到其北岸狗邪韓国、七千餘里。始度一海千餘里、至対馬国。其大官曰卑狗、副曰卑奴母離。所居絶島、方可四百餘里、土地山険、多深林、道路如禽鹿径。有千餘戸、無良田、食海物自活、乗船南北市糴。
書き下し文郡(帯方郡)より倭に至るには、海岸に循(そ)いて水行(すいこうし)、韓国を歴(ふ)るに、南し乍(なが)ら東し乍ら、その北岸の狗邪韓国(くやかんこく)に到るに七千餘なり。始めて一海を渡り、千餘里にして対馬(つしま)国に至る。その大官は卑狗(ひこ)といい、副は卑奴母離(ひなもり)という。居(お)る所は絶島(ぜっとう)にして、方(ほう)四百餘里可(ばかり)、土地は山険しく、深林多く、道路は禽鹿(きんろく)の径(みち)の如し。千餘戸あり、良田なく、海物(かいぶつ)を食して自活し、船に乗りて南北に市糴(してき)す。
現代語訳
郡(帯方郡)から倭に至るには、
海岸に沿って水上を行き、
韓国を通り過ぎて、
南へ行ったり、東へ行ったりしながら、
その(倭国の)北側の狗邪韓国に到着します。
(帯方郡から隔たること)七千里余り。
そこから始めて、一海を渡り、
千余里で対馬国に到着します。
その大官は卑狗(ひこ)といい、
副は卑奴母離(ひなもり)といいます。
人々の住む所は絶海の孤島で、
四方はおよそ四百里余り。
その土地の山は険しく、深い林が多く、
道路は獣道のようです。
千余りの家があり、実り良い田はなく、
海産物を食べて自活しています。
船に乗り南や北(九州や朝鮮半島)へ行き、
商いをして米を買い入れています。
・狗邪韓国(くやかんこく)
三世紀中頃に朝鮮半島の南部にあった弁韓の一部で、後に加羅(から)または伽耶(かや)と称された地
・大官
高い地位の官職
・卑狗(ひこ)
「彦」のこと
・卑奴母離(ひなもり)
「夷守」のこと。僻地の国を治める官吏。
・禽鹿(きんろく)
鳥とけもの
・海物
海に産する物。海産物。
・市糴(してき)
米を買う。
対馬
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/5f/6d7edf69c22daff1c5ebfc7065fad111.jpg)
南北82㎞の細長い島。
山林88%、耕地はわずか0・3%の島です。
大麦が99%を占めており主食としていました。
藩政時代の年貢も麦であったと
いわれています。
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参考
かくも明快な魏志倭人伝 木佐 敬久
富士房インターナショナル
倭人・倭国伝全釈 鳥越 憲三朗
中央公論新社
Wikipedia