縄文人の生活・2
食料の獲得法が多様化したことにより、
人々の生活は安定し、
安住的な生活が始まりました。
彼らは地面を掘りくぼめ、
その上に屋根をかけた
竪穴住居(たてあなじゅうきょ)を
営みました。
住居の中央に炉を設け、
炊事をともにし、
同じ屋根の下に住む
小家族の住まいであったと思われます。
集落は、
日あたりがよく、
飲料水の確保にも便利な
水辺に近い台地上に
営まれました。
それは、広場を囲んで数軒の
竪穴住居が環状に並ぶものが多く、
住居だけでなく、
食料を保存するための
貯蔵穴群(ちょぞうけつぐん)や墓地、
さらに、
青森県・三内丸山遺跡のように、
集合住居と考えられる
大型の竪穴住居がともなう場合もあります。
これらのことから、
縄文時代の社会を構成する基本的な単位は、
竪穴住居4~6軒程度の世帯からなる
20~30人ほどの
集団であると考えられます。
こうした集団は近隣の集団と通婚し、
さまざまな情報を交換しあいました。
また黒曜石などの石器の原材料や
ひすい(硬玉・こうきょく)などの
分布状況から、
かなり遠方の集団との交易も
おこなわれていたことが知られています。
男性は狩猟や石器づくり、
女性は木の実とりや土器づくりにはげみ、
集団には統率者はいても、
身分の上下関係や貧富の差は
なかったと考えられています。
参考)詳説 日本史 B 山川出版
竪穴住居
縄文時代から奈良時代にかけて
一般に用いられた住居。
地面を40~50cmの深さに掘り下げて、
数本の柱を立てて、草などの屋根を葺いた。
内部には炉が作られ、
広さは畳で5~10畳ほどで、
4~5人が生活していたと考えられている。
三内丸山遺跡
青森県青森市の南西部にある
縄文時代前期~中期の大規模な集落遺跡。
紀元前3500年頃から約1500年間に
わたって存在した。
住居跡から、
人口は約500人を数える時期が
あったと推定される。
発掘調査により、
墓や高床式の大型掘立柱建物跡、
この地域では出土しない
多くの遺物が発見された。
また、計画的にクリの栽培が
されていたことも確認され、
それまで考えられていた
縄文時代の人々のイメージを大きく変えた。
出典:Wikipedia
●石材
◯黒曜石
火山岩の一種で、
溶岩が急速に冷却されて
固結するときにできる。
黒曜石は、
石器の材料としてさかんに用いられた。
北海道白滝、長野県和田峠などの
原産地が確認されている。
出典:千葉日報
◯サヌカイト(讃岐石)
火山岩の一種の安山岩で、
主に四国北部・中国地方を中心に分布する。
灰黒石。黒曜石と同様に刃物用石器の材料。
◯ヒスイ(硬玉)
深緑の半透明な宝石の一つ。装身具の石材。
大珠(たいしゅ)・小玉などの飾り玉を製作
出典:Wikipedia
縄文時代の交易
縄文時代には
かなり遠方の集団との交易が
行われていました。
例えば、三内丸山遺跡からは
北海道・青森・秋田・長野産の黒曜石、
新潟県姫川流域産のひすい、
秋田県槻木のアスファルトが出土しています。
いかがだったでしょうか?
縄文時代の生活。
自分が学生の頃とは
縄文時代の常識が変わってきています。
縄文時代のイメージは、
まさに毛皮の服を着て、
狩りをしていたと…
しかし、
発掘調査により
縄文時代がかなり
進んでいた事がわかってきました。
三内丸山遺跡の
大型掘立柱建物跡の写真を見て
超ビッグな穴に驚きましたよ。
どんだけ太い木を使ったんだ、
どうやって木を切った?
どうやって木を運んだのか?
と、目を丸くしました。
うーん。
いつか三内丸山遺跡を訪ねてみたい。
またまた、
訪ねてみたい場所が増えてしまった。
それでは、今日はこれにて。
明日も縄文時代シリーズ続きます。
読んで頂き
ありがとうございました。