日本書紀 巻第二十三 息長足日広額天皇 十二
・舒明天皇3~5年の出来事
三年春二月十日、
掖玖人(やくのひと)が帰化しました。
三月一日、
百濟王の義慈(ぎじ)は、
王子・豊章(ほうしょう)を入れて
質(しち)としました。
秋九月十九日、
津国の有間温湯(ありまのゆ)に
幸しました。
冬十二月十三日、
天皇は温湯からかえりました。
四年秋八月、
大唐(もろこし)は、
高表仁(こうひょうじん)を遣わして、
三田耜(みたすき)を送らせました。
共に、
對馬に泊まりました。
この時、
學問僧の霊雲(りょううん)、
僧旻(そうみん)及び
勝鳥養(すぐりのとりかい)や、
新羅の送使等も従って来ました。
冬十月四日、
唐国の使人・高表仁等が、
難波津(なにわのつ)に泊まっていました。
則ち、
大伴連馬養
(おおとものむらじうまかい)を遣わして、
江口に迎えに行かせました。
船三十二艘及び鼓、笛、旗幟、
皆倶に整え飾りました。
便ち、高表仁等に告げて、
「天子が命じた使が、
天皇の朝に到たると聞いて、
迎えに来ました」
といいました。
時に、
高表仁は答えて、
「風寒(ふうかん)の日、
船を飾り整え、
迎え賜ったこと、
よろこび、
かしこまります」
といいました。
ここにおいて、
難波吉士小槻
(なにわのきしおつき)、
大河内直矢伏
(おおかふちのあたいやふし)に命じて
導者としました、
館の前に到りました。
乃ち、
伊岐史乙等
(いきのふびとおと)、
難波吉士八牛
(なにわのきしやつし)を遣わして、
客等を引いて、
館に入りました。
卽日、
神酒を給わりました。
五年春正月二十六日、
大唐の客、
高表仁等が帰国しました。
送使(おくるつかい)の
吉士雄摩呂(きしのおまろ)、
黒摩呂(くろまろ)等が對馬に到り、
還りました。
・掖玖人(やくのひと)
屋久島の人
・大唐(もろこし)
中国
・三田耜(みたすき)
=犬上御田鍬
・風寒(ふうかん)
風と寒さ。また、風が吹いて寒いこと
(感想)
舒明天皇3年春2月10日、
掖玖人が帰化しました。
3月1日、
百濟王の義慈は、
王子・豊章を入れて人質としました。
秋9月19日、
摂津国の有馬温泉に行幸しました。
冬12月13日、
天皇は温湯から帰りました。
4年秋8月、
大唐は高表仁を派遣して、
犬上御田鍬を送らせました。
共に、
対馬に停泊しました。
この時、
学問僧の霊雲、
僧旻および勝鳥養、
新羅の送使らも従って来ました。
冬10月4日、
唐国の使人・高表仁らが、
難波の港に停泊していました。
この時、
大伴連馬養を派遣して、
河口に迎えに行かせました。
船三十二艘
および鼓、笛、旗幟、
皆ともに整え飾りました。
そして、
高表仁等に告げて、
「天子が命じた使が、
天皇の朝廷に到着すると聞いて、
迎えに来ました」
といいました。
この時、
高表仁は答えて、
「風が吹いて寒いの日に、
船を飾り整え、
迎えていただいたこと、
よろこび、
かしこまります」
といいました。
ここに、
難波吉士小槻、大河内直矢伏に命じて
案内役とし、
館の前に到着しました。
この時、
伊岐史乙等、難波吉士八牛を派遣して、
客らを導いて、
館に入りました。
その日、神酒を与えました。
舒明天皇5年春1月26日、
大唐の客・高表仁らが帰国しました。
送る使者の
吉士雄摩呂、黒摩呂らが対馬に到着し、
帰りました。
有馬温泉に行幸。
いいですね。
明日に続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
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