≪小林秀雄『鐔』とセンター試験≫
(2022年9月30日投稿)
今回のブログでは、2013年センター試験国語の第一問に出題された小林秀雄の『鐔』を取り上げる。
その解説と解説を書くに際して、次の論説を参照にした。
(いずれも、インターネットで閲覧可能である。)
〇石原千秋「意義を欠いた好みの押しつけ」
(『産経新聞』2013年2月18日付)
〇高野光男(東京都立産業技術専門学校)「小林秀雄教材の今日的意義」
(『高校国語教育』2014年夏号、三省堂)
〇吉岡友治「小林秀雄のために―2013年センター試験第一問解説」
(「吉岡友治の三日坊主通信」2013年4月8日付)
〇吉崎崇史「センター試験2013(本試験)国語第1問(1)」
(「ロジカルノート」2019年2月4日付)
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
【第1問】
次の文章を読んで、後の問い(問1~6)に答えよ。(配点 50)
鐔というものを、ふとした機会から注意して見始めたのは、ここ数年来の事だから、未だ合点のいかぬ節もあり、鐔に関する本を読んでみても、人の話を聞いてみても、いろいろ説があり、不明な点が多いのだが。
鐔の歴史は、無論、刀剣とともに古いわけだが、普通、私達が鐔を見て、好き嫌いを言っているのは、室町時代以後の製作品である。何と言っても、応仁の大乱というものは、史上の大事件なのであり、これを境として、A日本人の鐔というものの見方も考え方も、まるで変って了った。所謂鐔なるものは、この大乱の産物と言ってよいのである。私は鐔を弄ってみて、初めて、この事実に、はっきり気附いた。政令は無きに等しく、上下貴賤の差別なく、ドウ(ア)リョウ親族とても油断が出来ず、毎日が、ただ強い者勝ちの刃傷沙汰に明け暮れるというような時世が到来すれば、主人も従者に太刀を持たせて安心しているわけにもいくまい。いや、太刀を帯取にさげ佩いているようでは、急場の間には合わぬという事になる。やかましい太刀の拵などは、もはや問題ではない。乱世が、太刀を打刀に変えた。打刀という言葉が曖昧なら、特権階級の標格たる太刀が、実用本位の兇器に変じたと言っていい。こんな次第になる以前、鐔は太刀の拵全体のうちの、ほんの一部に過ぎなかったのだが、拵無用の打刀となってみても、実用上、鐔という拵だけは省けない。当然、実用本位の堅牢な鉄鐔の製作が要求され、先ず刀匠や甲冑師が、この要求を満すのである。彼等が打った粗朴な板鐔は、荒地にばらまかれた種のようなものだ。
誰も、乱世を進んで求めはしない。誰も、身に降りかかる乱世に、乱心を以て処する事は出来ない。人間は、どう在ろうとも、どんな処にでも、どんな形ででも、平常心を、秩序を、文化を捜さなければ生きて行けぬ。そういう止むに止まれぬ人心の動きが、兇器の一部分品を、少しずつ、少しずつ、鐔に仕立てて行くのである。やがて、専門の鐔工が現れ、そのうちに名工と言われるものが現れ、という風に鐔の姿を追って行くと、私の耳は、乱世というドラマの底で、不断に静かに鳴っているもう一つの音を聞くようである。
信家作と言われる或る鐔に、こんな文句が彫られている。「あら楽や人をも人と思はねば我をも人は人とおもはぬ。」X現代
人が、言葉だけを辿って、思わせぶりな文句だとか、拙劣な歌だとか、と言ってみても意味がないのである。これは文句ではない。鉄鐔の表情なので、眺めていれば、鍛えた人の顔も、使った人の顔も見えて来る。観念は消えて了うのだ。感じられて来るものは、まるで、それは、荒地に芽を出した植物が、やがて一見妙な花をつけ、実を結んだ、その花や実の尤もな心根のようなものである。
鐔好きの間で、古いところでは信家、金家と相場が決っている。相場が決っているという事は、何となく面白くない事で、私も、初めは、鐔は信家、金家が気に食わなかったが、だんだん見て行くうちに、どうも致し方がないと思うようになった。花は桜に限らないという批評の力は、花は桜という平凡な文句に容易に敵し難いようなものであろうか。信家、金家については、はっきりした事は何も解っていないようだ。銘の切り方から、信家、金家には何代かが、何人かがあったと考えらえるから、室町末期頃、先ず甲府で信家風の鐔が作られ、伏見で金家風の鐔が作られ始めたというくらいの事しか言えないらしい。それに夥しい贋物が交って市場を流通するから、厄介と言えば厄介な事だが、まあ私などは、好き嫌いを言っていれば、それで済む世界にいるのだから、手元にあるものを写して貰った。
井戸茶碗の身元は不詳だが、茶碗は井戸という言葉はある。同じ意味合いで、信家のこれはと思うものは、鐔は信家といい度げな顔をしている。井戸もそうだが、信家も、これほど何でもないものが何故、こんなに人を惹きつけるか、と質問して止まないようである。それは、確定した形というより、むしろ轆轤や槌や鑿の運動の節奏のようなものだ。信家は、武田信玄の鐔師で、信という字は信玄から貰った、と言われている。多分、伝説だろう。Yだが、事実ではあるまいと言ったところで面白くもない事だ。伝説は、何時頃生れたのだろう。「甲陽軍鑑」の大流行につられて生れたのかも知れない。「甲陽軍鑑」を偽書と断じたところで、幾つでも偽書が現れるほど、武田信玄や高坂弾正の思い出という本物は、生き生きとして、当時の人々の心に在った事を想えば、別段面白くもない話である。何時の間にか伝説を生み出していた鐔の魅力と伝説であって事実ではないという実証とは、何んの関係もない。こんな解り切った事に、歴史家は、案外迂闊なものなのだ。魅力に共感する私達の沈黙とは、発言の期を待っている伝説に外なるまい。
信家の鐔にぶら下っているのは、瓢簞で、金家の方の図柄は「野晒し」で、大変異ったもののようだが、両方に共通した何か一種明るい感じがあるのが面白い。髑髏は鉢巻をした蛸鮹のようで、「あら楽や」と歌っても、別段構わぬような風がある。
この時代の鐔の模様には、されこうべの他に五輪塔やら経文やらが多く見られるが、これを仏教思想の影響というような簡単な言葉で片附けてみても、Bどうも知識の遊戯に過ぎまいという不安を覚える。戦国武士達には、仏教は高い宗教思想でもなければ、難かしい形而上学でもなかったであろう。仏教は葬式の為にあるもの、と思っている今日の私達には、彼等の日常
生活に糧を与えていた仏教など考え難い。又、考えている限り、クウ(イ)バクたる問題だろう。だが、彼等の日用品にほどこされた、仏教的主題を持った装飾の姿を見ていると、私達は、何時の間にか、そういう彼等の感受性のなかに居るのである。
何時だったか、田辺尚雄氏に会って、平家琵琶の話になった時、平家琵琶ではないが、一つ非常に古い琵琶を聞かせてあげよう、と言われた。今でも、九州の或る処には、説教琵琶というものが遺っているそうで、地鎮の祭などで、琵琶を弾じながら、経文を誦する、それを、氏の音楽講座で、何日何時に放送するから、聞きなさい、と言われた。私は、伊豆の或る宿屋で、夜、ひとり、放送を聞いた。琵琶は数分で終って了ったが、非常な感動を受けた。文句は解らないが、経文の単調なバスの主調に、絶えず琵琶の(ウ)バンソウが鳴っているのだが、それは、勇壮と言ってもいいほど、男らしく明るく気持ちのよいものであった。これなら解る、と私は感じた。こういう音楽に乗って仏教思想は、学問などに用はない戦国の一般武士達の間に滲透したに違いない、と感じた。仏教を宗教だとか思想だとか呼んでいたのでは、容易に解って来ないものがある。室町期は時宗の最盛期であった。不明なところが多すぎるが、時宗は民衆の芸能と深い関係があった。乱世が来て、庶民的な宗教集団は、庶民とともに最も早く離散せざるを得なかったであろうが、沢山の遊行僧は、従軍僧として戦場に入り込んでいたであろう。彼等は戦うものの最期を見届け、これをその生国の人々に伝え、お札などを売りつけて、生計を立てていたかも知れない。そういう時に、あのような琵琶の音がしたかも知れない。金家の「野晒し」にも、そんな音が聞えるようである。
鉄鐔は、所謂「下剋上」の産物だが、長い伝統的文化の一時の中断なのだから、この新工芸の成長の速度は速かった。平和が来て、刀が腰の飾りになると、鐔は、金工家が腕を競う場所になった。そうなった鐔は、もう私の興味を惹かない。鐔の面白さは、鐔という生地の顔が化粧し始め、やがて、見事に生地を生かして見せるごく僅かの期間にある。その間の経過は、いかにも自然だが、化粧から鐔へ行く道はない。
鉄の地金に、鑿で文様を抜いた鐔を透鐔と言うが、この透というものが鐔の最初の化粧であり、彫や象嵌が発達しても、鐔の基本的な装飾たる事を止めない。刀匠や甲冑師は、ただ地金を丸く薄く固く鍛えれば足りたのだが、いつの間にか、星だとか花だとか或は鎌だとか斧だとか、日常、誰にでも親しい物の形が、文様となって現れて来た。地鉄を鍛えている人がそんな形を抜きたくなったのか、客の註文に答えたのか、そんな事は、決して解る筈がないという処が面白い。Cもし鉄に生があるなら、水をやれば、文様透は芽を出したであろう。装飾は、実用と手を握っている。透の美しさは、鐔の堅牢と軽快とを語り、これを保証しているところにある。様々な流派が出来て文様透がだんだん巧緻になっても、この基本の性質は失われない。又、この性質は、彫や象嵌の世界ででも、消極的にだが守られているのであり、彫でも象嵌でも、美しいと感ずるものは、必ず地金という素材の確かさを保証しているように思われる。戦がなくなり、地金の鍛えもどうでもよくなって来れば、鐔の装飾は、大地を奪われ、クウ(エ)ソな自由に転落する。名人芸も、これに救うに足りぬ。
先日、伊那にいる知人から、高遠城址の桜を見に来ないかと誘われた。実は、この原稿を書き始めると約束の日が来て了ったので出掛けたのである。高遠には、茅野から杖突峠を越えて行く道がある。峠の下に諏訪神社の上社がある。雪を残した八ヶ岳の方から、冷たい強い風が吹いて、神社はシン(オ)カンとしていた。境内の満開の桜も見る人はなかった。私は、高遠の桜の事や、あそこでは信玄の子供が討死したから、信玄の事など考えていたが、ふと神殿の後の森を見上げた。若芽を点々と出した大木の梢が、青空に網の目のように拡がっていた。その上を、白い鳥の群れが舞っていたが、枝には、近附いて見れば大壺ほどもあるかと思われる鳥の巣が、幾つも幾つもあるのに気附いた。なるほど、これは桜より余程見事だ、と見上げていたが、私には何の鳥やらわからない。社務所に、巫女姿の娘さんが顔を出したので、聞いてみたら、白鷺と五位鷺だと答えた。樹は何の樹だと訊ねたら、あれはただの樹だ、と言って大笑いした。私は飽かず眺めた。そのうちに、白鷺だか五位鷺だかは知らないが、一羽が、かなり低く下りて来て、頭上を舞った。両翼は強く張られて、風を捕え、黒い二本の脚は、身体に吸われたように、整然と折れている。嘴は延びて、硬い空気の層を割る。D私は鶴丸透の発生に立会う想いがした。
(小林秀雄「鐔」による)
(注)
1 鐔――日本刀で、柄や刀身の間にはさむ装具(次ページの図を参照)。
2 帯取にさげ佩いている――帯取(太刀を結び付けるひも)で腰からさげている。
3 打刀――相手に打ち当てて切りつける実戦用の刀。
4 標格――象徴(シンボル)。
5 甲冑師――かぶとやよろいなどの武具を作る職人。
6 信家――桃山時代の代表的な鐔工。金家も同じ。
7 写して貰った――この文章にはもともと写真が添えられていた。ただし、ここでは省略した。
8 井戸茶碗――朝鮮半島産の茶碗の一種。
9 節奏――リズム。
10 甲陽軍鑑――武田信玄・勝頼二代の事績、軍法などを記した、江戸時代初期の書物。
11 高坂弾正――高坂昌信(1527~1578)。武田家の家臣。「甲陽軍鑑」の元となった文書を遺したとされる。
12 野晒し――風雨にさらされた白骨。特に、されこうべ(頭骨)。
13 五輪塔――方・円・三角・半月・団の五つの形から成る塔。平安中期頃から供養塔・墓塔として用いた。
14 形而上学――物事の本質や存在の根本原理を探求する学問。
15 田辺尚雄――東洋音楽を研究した音楽学者(1883~1984)。
16 平家琵琶――「平家物語」を語るのに合わせて演奏する琵琶の音曲。
17 バス――低音の男声。
18 時宗――浄土教の一派。一遍(1229~1289)を開祖とする。
19 遊行僧――諸国を旅して修行・教化した僧。
20 象嵌――金属などの地に貝殻など別の材料をはめ込んで模様を作る技法。
21 鉄の地金のこと。
問1 傍線部(ア)~(オ)の漢字と同じ漢字を含むものを、次の各群の①~⑤のうちから、それぞれ一つずつ選べ。解答番号は( 1 )~( 5 )。
(ア)ドウリョウ ( 1 )
①若手のカンリョウ ②チリョウに専念する ③荷物をジュリョウする
④なだらかなキュウリョウ ⑤セイリョウな空気
(イ)クウバク ( 2 )
①他人にソクバクされる ②冗談にバクショウ ③サバクを歩く
④江戸にバクフを開く ⑤バクガトウを分解する
(ウ)バンソウ ( 3 )
①家族ドウハンで旅をする ②ハンカガイを歩く ③資材をハンニュウする
④見本品をハンプする ⑤著書がジュウハンされる
(エ)クウソ ( 4 )
①ソエンな間柄になる ②ソゼイ制度を見直す ③緊急のソチをとる
④被害の拡大をソシする ⑤美術館でソゾウを見る
(オ)シンカン ( 5 )
①証人をカンモンする ②規制をカンワする ③ユウカンな行為をたたえる
④勝利にカンキする ⑤広場はカンサンとしている
問2 傍線部A「日本人の鐔というものの見方も考え方も、まるで変って了った」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。解答番号は( 6 )。
①鐔は応仁の大乱以前には富や権力を象徴する刀剣の拵の一部だったが、それ以後は命をかけた実戦のための有用性と、乱世においても自分を見失わずしたたかに生き抜くための精神性とが求められるようになったということ。
②鐔は応仁の大乱以前には特権階級の富や権力を象徴する日常品としての美しさを重視されていたが、それ以後は身分を問わず使用されるようになり、平俗な装飾品としての手ごろさが求められるようになったということ。
③鐔は応仁の大乱以前には実際に使われる可能性の少ない刀剣の一部としてあったが、それ以後は刀剣が乱世を生き抜くために必要な武器となったことで、手軽で生産性の高い簡素な形が鐔に求められるようになったということ。
④鐔は応仁の大乱以前には権威と品格とを表現する装具であったが、それ以後、専門の鐔工の登場によって強度が向上してくると、乱世において生命の安全を保証してくれるかのような安心感が求められるようになったということ。
⑤鐔は応仁の大乱以前には刀剣の拵の一部に過ぎないと軽視されていたが、乱世においては武器全体の評価を決定づけるものとして注目され、戦いの場で士気を鼓舞するような丈夫で力強い作りが求められるようになったということ。
問3 傍線部B「どうも知識の遊戯に過ぎまいという不安を覚える」とあるが、そこには筆者のどのような考えがあるか。最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。解答番号は( 7 )。
①仏教を戦国武士達の日常生活の糧となっていた思想と見なすのは軽率というほかなく、彼等と仏教との関係を現代人が正しく理解するには、説教琵琶のような、当時滲透していた芸能に携わるのが最も良い手段であるという考え。
②この時代の鐔にほどこされた五輪塔や経文の意匠は、戦国武士達にとっての仏教が、ふだん現代人の感じているような暗く堅苦しいものではなく、むしろ知的な遊びに富むものであることを示すのではないかという考え。
③戦国武士達に仏教がどのように滲透していたかを正しく理解するには、文献から仏教思想を学ぶことに加えて、例えば説教琵琶を分析して当時の人々の感性を明らかにするような方法を重視すべきだという考え。
④この時代の鐔の文様に五輪塔や経文が多く用いられているからといって、鐔工や戦国武士達が仏教思想を理解していたとするのは、例えば仏教を葬式のためにあると決めつけるのと同じくらい浅はかな見方ではないかという考え。
⑤戦国武士達の日用品と仏教の関係を現代人がとらえるには、それを観念的に理解するのではなく、説教琵琶のような、当時の生活を反映した文化にじかに触れることで、その頃の人々の心を実感することが必要だという考え。
問4 傍線部C「もし鉄に生があるなら、水をやれば、文様透は芽を出したであろう。」とあるが、それはどういうことをたとえているか。最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。解答番号は( 8 )。
①実用的な鐔を作るためには鉄が最も確かな素材であったので、いくつもの流派が出現することによって文様透の形状は様々に変化していっても、常に鉄のみがその地金であり続けたことをたとえている。
②刀剣を実戦で使用できるようにするために鐔の強度と軽さとを追求していく過程で、鉄という素材の質に見合った透がおのずと生み出され、日常的な物をかたどる美しい文様が出現したことをたとえている。
③乱世において武器として活用することができる刀剣の一部として鉄を鍛えていくうちに、長い伝統を反映して必然的に自然の美を表現するようになり、それが美しい文様の始原となったことをたとえている。
④「下剋上」の時代において地金を鍛える技術が進歩し、鐔の素材に巧緻な装飾をほどこすことができるようになったため、生命力をより力強く表現した文様が彫られるようになっていったことをたとえている。
⑤鐔が実用品として多く生産されるようになるにしたがって、刀匠や甲冑師といった人々の技量も上がり、日常的な物の形を写実的な文様として硬い地金に彫り抜くことが可能になったことをたとえている。
問5 傍線部D「私は鶴丸透の発生に立会う想いがした。」とあるが、その理由として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。解答番号は( 9 )。
①戦乱の悲劇が繰り返された土地の雰囲気を色濃くとどめる神社で、巣を守り続けてきた鳥の姿に、この世の無常を感じ、繊細な鶴をかたどった鶴丸透が当時の人々の心を象徴する文様として生まれたことが想像できたから。
②桜が咲きほこる神社の大樹に棲む鳥がいくつも巣をかけているさまを見て、武士達も太刀で身を守るだけでなく、鐔に鶴の文様を抜いた鶴丸透を彫るなどの工夫をこらし、優雅な文化を作ろうとしていたと感じられたから。
③神社の森で巣を守る鳥が警戒しながら飛びまわる姿を見ているうちに、生命を守ろうとしている生き物の本能に触発された金工家達が、翼を広げた鶴の対称的な形象の文様を彫る鶴丸透の構想を得たことに思い及んだから。
④参拝者もない神社に満開の桜が咲く華やかな時期に、大樹を根城とする一羽の鳥が巣を堅く守る様子を見て、討死した信玄の子供の不幸な境遇が連想され、鶴をかたどる鶴丸透に込められた親の強い願いに思い至ったから。
⑤満開の桜を見る者もいない神社でひたむきに巣を守って舞う鳥に出会い、生きるために常に緊張し続けるその姿態が力感ある美を体現していることに感銘を受け、鶴の文様を抜いた鶴丸透の出現を重ね見る思いがしたから。
問6 この文章の表現と構成について、次の(i)・(ii)の問いに答えよ。
(i) 波線部X「現代人が、言葉だけを辿って、思わせぶりな文句だとか、拙劣な歌だとか、と言ってみても意味がないのである。」と、波線部Y「だが、事実ではあるまいと言ったところで面白くもない事だ。」とに共通する表現上の特徴について最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。解答番号は( 10 )。
①「言葉だけ」の「だけ」や「面白くも」の「も」のように、限定や強調の助詞により、問題点が何かを明確にして論じようとするところに表現上の特徴がある。
②「と言ってみても」や「と言ったところで」のように、議論しても仕方がないと、はぐらかしたうえで、自説を展開しようとするところに表現上の特徴がある。
③「意味がない」や「面白くもない」のように、一般的にありがちな見方を最初に打ち消してから、書き手独自の主張を推し進めるところに表現上の特徴がある。
④「思わせぶりな」や「拙劣な」、「事実ではあるまい」のように、消極的な評価表現によって、読み手に不安を抱かせようとするところに表現上の特徴がある。
(ii) この文章は、空白行によって四つの部分に分けられているが、その全体の構成のとらえ方として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。解答番号は( 11 )。
①この文章は、最初の部分が全体の主旨を表し、残りの三つの部分がそれに関する具体的な話題による説明という構成になっている。
②この文章は、四つの部分が順に起承転結という関係で結び付き、結論となる内容が最後の部分で示されるという構成になっている。
③この文章は、それぞれの部分の最後に、その部分の要点が示されていて、全体としてはそれらが並立するという構成になっている。
④この文章は、人間と文化に関する一般的な命題を、四つのそれぞれ異なる個別例によって論証するという構成になっている。
【国語の第1問解答】
問1 (ア)① (イ)③ (ウ)① (エ)① (オ)⑤
問2 ①
問3 ⑤
問4 ②
問5 ⑤
問6 (i)③ (ii)①
・以前のブログで石原千秋氏の次のような著作を紹介した。
〇石原千秋『秘伝 大学受験の国語力』新潮選書、2007年[2008年版]
〇石原千秋『教養としての大学受験国語』ちくま新書、2000年[2008年版]
・その石原千秋氏は、『産経新聞』(2013年2月18日付)において、「意義を欠いた好みの押しつけ」と題して、小林秀雄の『鐔』がセンター試験に出題されたことについて、コメントをしている。おおよそ、次のような内容である。
・大学入試センター試験の現代文に、小林秀雄の随筆が出題されたが、問題を見て、妙な思想を持った素人が作ったことがすぐに分かった、と酷評をしている。
・小林秀雄の文章にはある種の型があって、「学問」や「現代」を否定しながら、その時代の実用性が美を鍛えたという結論に至る。出題された文章も、刀の鐔が美しさを持ったのは美についての思想があったからではなく、実用性の中から自然に生み出されたものだと言っている。
ただし、いかなる根拠が示されるわけでもなく、そういう文章の型があるだけだという。
その型を知っていれば、設問は難しいものではなかったとする。
しかし、根拠のない文章は好みの押しつけにすぎない、と厳しく評している。
・石原千秋氏によれば、大学の入試問題には二つの意義があるはずだとする。
①高校までの学習が身についているかを確かめること。
②大学に入学してから研究ができる能力があるかを確かめること。
今回の問題は、いずれの観点からしても失格であるという。
(つまり、高校の国語にはこの手の文章は収録されていないし、大学に入学してからこの手の文章を書いたのでは研究にはならない。事実を示した実証にせよ論理的な実証にせよ、ある種の根拠を示さなければ、研究として議論さえできない。大学は好きか嫌いかを押しつけ合う場ではないと釘をさしている)
・そもそも、問題文の選定がまちがっているという。注が21。これだけ注をつけなければならない文章を選ぶべきではないと主張している。
(しかも、はじめの一字「鐔」にいきなり注がついている)
⇒ということは、出題者はテーマになっている「鐔」を受験生が知らない可能性があると認識しながら、問題文を選んだことになる。受験生が知らないかもしれないものについて書いた文章を解かせようとするとは、非常識であるとする。
・また、冒頭からいきなり傍線が施してあって、その部分を問う問題は、かつては、邪道として叱りとばされた作問だという。作問のノウハウを持っていなかった素人が作った問題であると批判している。
・文章も読点「、」が非常に多く読みにくい。小林秀雄の文章としても、十八番の型にそったお手軽に書いた拙劣な部類であるという。「この文章を選んだことを、小林秀雄のためにも悲しむ」と石原氏は結んでいる。
石原千秋氏のコメントは、このように手厳しいものであった。
予備校の先生や受験生も、小林秀雄の『鐔』がセンター試験に出題されたことに対して、批判的なコメントが多かったようだ。
そのような中で、次に紹介する高野光男氏は、小林秀雄の文章に好意的である。
〇高野光男(東京都立産業技術専門学校)「小林秀雄教材の今日的意義」
(『高校国語教育』2014年夏号、三省堂)
高野氏は、石原千秋氏の『産経新聞』(2013年2月18日付)の記事を受けて、次のようなコメントを付している。
・石原氏は、「鐔」における小林の主張には「いかなる根拠が示されているわけでもなく」、「根拠のない文章は好みの押しつけにすぎない」と批判し、大学入試問題には二つの意義があり、「いずれの観点からも失格である」と出題者を断じている。
⇒石原氏の主張は、入試問題という観点からの正論だとする。
・しかし、小林秀雄教材の価値・可能性について考えるとき、積極的な意義も見いだせると高野氏はいう。
現行高校評論教材の主なものは言語論・身体論・メディア論など、言語論的転回以降の思想状況を基盤として成立したポストモダンの文章である。ポストモダンの限界が指摘され、ポスト・ポストモダンの模索が課題となっている現在、ポストモダン的な発想をどう超えるかという観点から小林秀雄は読み直される価値があると主張している。
・小林のいう「物」は、「フォーム」「姿」「文体」「実感」「絶対言語」などと言い換えられている概念である。「美を求める心」では「言葉を使って整えて、安定した動かぬ姿にした……」という文脈の中で登場している。
(この、言葉に対する「実感」は、茂木健一郎によって「クオリア」(感覚的体験に伴う独特で鮮明な質感であり、脳科学で注目されている概念だという)として再評価されてもいるようだ)
・新しい文芸批評の創造という小林秀雄の批評的営為のジャンル特性を捉えつつ、現代の思想・文化の相対化という真の意味での「古典」としての読み方が要請されている、と高野氏はいう。
〇吉岡友治氏は、東京大学社会学科からシカゴ大学人文科学へ留学した経験があるという。駿台予備校・代々木ゼミの元国語・小論文の講師である。その吉岡氏が、「小林秀雄のために―2013年センター試験第一問解説」(「吉岡友治の三日坊主通信」2013年4月8日付)と題して、2013年のセンター試験の第一問(小林秀雄『鐔』)について、詳しく解説している。
・2013年のセンター試験は、第一問の小林秀雄『鐔』のおかげで、思うように点数がとれず、平均点が下がった、と大騒ぎになった。
受験生だけではなく、予備校の解説者まで、「そもそも小林秀雄には、論理性がないんじゃないか」とか「根拠が見当たらない随筆だからね」などと論評する人も少なくない。
・しかし、吉岡氏は、こういう解説や意見は、自分の理解力のなさを棚に上げて、文句を言っている場合がほとんどであると、批判している。
高校生のときに小林秀雄のシャープなロジックにイカれた吉岡氏としては、こういう中傷を放っておくのは腹立たしいという。そこで、私淑した「小林秀雄のために」、解説を試みたという。どういう風に論理がつながっているかを示したそうだ。
シンプルによく出来た問題なのに、解く方が基礎的読解の原理が分っていないので、得点がとれない。人のせいにする前に、自分の力を反省すべきだという。
・この文章は、論理的文章と随筆の混合形であると主張している。
前者は評論などで、問題+解決+根拠の形を取る。後者は随筆・エッセイなどで、その基本は、体験+感想+思考という要素からなるとする。この読み分けが、問題の一番の肝であるという。
〇課題文の構造を簡単な表にまとめている。
表の左側に、言いたいことの中心(ポイント)、右側に、その説明・例示などの補助的情報(サポート)を記している。
矢印は、どちらが先に書いてあるかを示す。
コロンの前の「説明」「対比」などは、要素の名前を表す。
課題文を横に置きながら、どこと対応しているか、見てほしいという。
※なお、こういう用語の意味と用法については、吉岡友治『いい文章には型がある』(PHP新書)を参照してほしいと記す。
【課題文の構造】
<要約>
・刀は、室町時代の応仁の乱を境に、権力の象徴から凶器に変わっていった。鐔のとらえ方も、それにつれて実用本位に変わっていった。だが、乱世でも人間は平常心・秩序・文化を探すので、凶器の部分品である鐔も、自然に美しい文様や透で飾られるようになった。その魅力は、装飾しつつ素材を生かしてみせるバランスにある。そういうものをじっと眺めることで、その時代の人々の感受性が、観念ではなく、じかに伝わってくるのだ。(198字)
問1
当然省略。辞書を見よ。
問2
変化は、前と後を比べて、その違いを認識するところから始まる。
「応仁の大乱」を「境として」変わったのであるから、その前と後を比べる。
2行後から、その比較があることはすぐ分かるはず。刀の変化があり、それにつれて鐔の意味も変わった。
時代 刀 鐔
乱以前 太刀=特権階級の標格(注によれば、象徴・シンボル) 拵えの一部
乱以後 打刀=実用本位の凶器 実用本位の堅牢な鉄鐔
しかし、変化はこれに終わらない。第三段落を見れば、「人間はどう在ろうと平常心を、秩序を、文化を探さなければ生きていけぬ。…凶器の一部分品を…鐔に仕立てて行く」とある。
前の図式にそれを入れれば、次のようになるという。
時代 刀 鐔
乱以前 太刀=特権階級の標格(注によれば、象徴・シンボル) 拵えの一部
乱以後1 打刀=実用本位の凶器 実用本位の堅牢な鉄鐔
乱以後2 同上 平常心・秩序・文化
だから、鐔の美しさとは、実用本位の凶器でありながら、平常心・秩序・文化を求めて装飾されているバランスにあるわけである。
【選択肢の吟味】
この図式に合わせて、選択肢を検討する。
選択肢を前後に区切って、前・後のそれぞれが以上のまとめと対応しているかどうかを見る。
〇1~「拵の一部」 後1「実戦のための有用性」 後2「自分を見失わず…精神性」と、上のまとめに対応する部分がある。
×2~前「特権階級…象徴する日用品」。「象徴」はいいが「日用品」が「実用」とは違う。
後1「身分を問わず使用」に対応する本文なし。後2「平俗な装飾品」が「平俗」が余計。
×3~前「実際に使われる可能性の少ない」が怪しい。後1「武器」はO.K。
後2「手軽で生産性の高い」は文化的側面を無視している。
×4~前「権威と品格を表現する装具」はやや危ないがO.K。
しかし、「専門の鐔工…によって強度が向上してくる」は変化の原因の取り違え。
後2「安心感」も感覚・感情であり、文化とは言えないとする。
×5~前「軽視されていた」が余計な記述。後1「武器全体の評価を決定づける」に対応する本文なし。後2「丈夫で力強い」は文化的側面を無視。
問3
傍線部Bのすぐ後を見ると、次のようなつながりになっているとする。
戦国武士達には、仏教は…思想でもなければ、…形而上学でもなかったろう。…だが、彼らの日用品…装飾の姿を見ていると…彼らの感受性のなかに居るのである
形而上学は、ものごとの第一原因を思考するなど、空疎な観念の意味である。つまり、筆者にとって、思想・形而上学などを手がかりとした観念的理解はダメで、感受性というアプローチがいいらしい。つまり、本文は、次のような対比構造になっている。
宗教思想・形而上学⇔感受性
もちろん、Bの後の段落の話「説教琵琶」は、Bを含む段落の裏付けとなる体験と感想になっている。
【選択肢の吟味】
問2と同じで、選択肢を前半・後半の二つに分けて検討する。
×1~「思想と見なすのは軽率」は一見よさそうだが、「軽率」は軽はずみという意味である。
本文にそれに対応するところはない。
後半「芸能に携わるのが最も早い」は「感受性」の例に過ぎないので不正確。
そもそも「最も」と言えるほど、他の可能性を吟味していないはず。
×2~前半「暗く堅苦しい」は思想・形而上学の本来の意味ではなく、そのニュアンスにずれている。
後半「知的な遊び」も「感受性」と同義ではない。
×3~前半「思想を学ぶことに加えて」の「加えて」は接続がダメ。「思想を学ぶことではなく」でなくてはならない。
後半「感性」は悪くないが、「分析」(=細かく調べること)は「感受性」の反対なのでダメ。
×4~前半「思想を理解…浅はか」という続き具合は間違っていないが、後半「同じくらい」という比較は本文にはない。
〇5~前半「観念的に理解するのではなく」はO.K。後半「実感する」も「感受性」に近い表現である。
問4
比喩表現の問題の設問である。
傍線部Cの二文前からの言い換えを見ればすぐ解るとする。
一般に、接続の言葉がないまま続く二文は同じ意味と考えるのが、論理的文章を読む際の基本であるという。つまり、以下のような言い換えが成立する。
いつの間にか…文様となって現れてきた。
=地金を鍛えている人(職人)が抜きたくなったのか、客の註文に答えたのか、…解る筈がない
=Cもし鉄に生があるなら、水をやれば、文様透は芽を出しただろう。
傍線部Cは「鉄に生があるなら」と、わざと非現実的な仮定をして、鐔を植物にたとえている。「水をやれば…芽を出す」のは、植物の自然だから、鐔の文様透も自然にできたのだ、と言っている。
実際、Cの前の文では「誰が主体なのか解らない」、さらにその前の文も「いつの間にか」と、誰かが格別に何かしたのが原因ではなく、自然に文様ができたことを言っている。
【選択肢の吟味】
×1~「文様透…変化していっても」と逆接仮定条件になっているので、この文全体の帰結が文様透と関係ないことが解る。もちろん「鉄のみがその地金」など書いていない。
〇2~「おのずと…出現した」が比喩に合っている。
×3~「自然の美の表現」ではない。「表現」をするなら、その主体がいるはずという。
×4~同上の理由でダメ。「生命力をより力強く表現」ではない。「表現」をするなら、その主体がいるはずという。
×5~「写実的」(=現実に似せる)が比喩の意味と対応していない。
問5
最後の所は、まったく体験と感想の部分。第三パートの主張「文様透は(誰が作ったというのではなく)自然に現れた」を裏付けている部分なのである。
これだけで、選択肢の吟味は可能であるという。
※選択肢は、本文に書いていない余計な情報が含まれている種類が多いと注意している。
【選択肢の吟味】
×1~「この世の無常」が余計。
×2~「優雅な文化」も余計。
×3~「生き物の本能に触発された」が余計。
×4~「不幸な境遇を連想」は、鳥に気づく前の状態であるという。
〇5~読点のところで三つに分かれるが、選択肢の「巣を守って舞う鳥」「力感ある美」は課題文の「かなり低く降りてきて」「強く張られて」と対応するとする。
問6
(i) 選択肢の「表現上の特徴がある」はすべて共通なので、カットして考える。
波線部については、X[「…と言ってみても意味はない」、Y「…と言ったところで面白くない」とかなり強く批判していることに注意したい。
【選択肢の吟味】
×1~「限定や強調の助詞」を使えば「問題点が…明確」になるわけではない。
これでは、そもそも助詞の意味理解が間違っているという。
×2~「はぐらかし」てはいない。強く明確に否定しているのである。
〇3~「ありがちな見方を…打ち消し」が強い批判に該当。
×4~「ホラーやサスペンス小説ではないのだから、論理的文章なので『読み手に不安を抱かせ』るはずがない」と、吉岡氏は解説している。
(ii) 全体構成については、最初の「課題文の構造」を見てほしいという。
最初のパートだけが論理的文章(評論)の構造「問題+解決+根拠」になっているが、
後は、ほとんど直観的文章(エッセイ・随筆)の「体験+感想+思考」になっている。
論理的文章としては、最初のパートで言いたいことは尽きている。
したがって、冒頭の要約でも最初のパートを主にまとめ、後は補足として使えばよいという。
第二パート移行は、第一パートから派生した論点に関連して、鐔に対する観念的味方を批判したり(第二パート)、鐔の美しさとは素材と装飾(化粧)のバランスにあると考えたり(第三パート)、鶴丸透の発生について感じたり(第四パート)している。
ここから正解はただちに分かるという。
【選択肢の吟味】
〇1~「最初…全体の主旨を表し」はO.K。「残りの三つの部分がそれに関する具体的な話題による説明」も、上の説明と対応しているとする。
×2~もちろん「起承転結」が間違い
「起承転結」は、漢詩の構造で、感情が高まって、どんでん返しから結末に至る、というような仕組みを言うと、吉岡氏は解説している。
×3~「最後に…要点が示されて」はポイント・ラストの意味だろうが、「課題文の構造」を見ればそうなっていないことが分かる。
×4~「命題」とは「…は~である」という言明の形である。
「人間と文化に関する一般的命題」とは、「人間と文化は~である」という形の文になる。
それに当たるのは「人間は、どんな時代・状況でも文化を求める」というところだろうが、この文章の話題は「鐔」であって、「人間と文化に関する一般的命題」ではない。
それに「論証」とは、命題の変形によって、結論を導き出すことで、例示はその補助になるだけである。だから、そもそも「個別例によって論証する」ことはできないという。
<吉岡友治氏のアドバイス>
小林秀雄の主張や思想をより深く知るためには、どうすればいいのか。
この点について、吉岡氏は次のようなアドバイスをしている。
①読解の方法は共通。それを把握しないで、勘とか知識とかで解いているから、間違う。
ちょっと古ぼけた表現が使われていようが、見かけにだまされてはいけないと警告している。
②どうせ、知識を言うなら、小林秀雄の精神形成過程で、マルクス主義が大きな影響を及ぼしたことくらいは知っておくべきだろうという。
小林秀雄の初期の作品は、ほとんど、当時流行だったプロレタリア文学や、その亜流の実証主義・歴史主義への反発だったことを知っているべきであるという。
(だから、途中で形而上学や実証主義が激しく批判されているわけである)
今から考えれば、小林秀雄が何でこんなに「学者・観念はダメだ」的なことを言いつのるか分かりにくいが、学者はすべて唯物史観もどきだった時代状況がある。そのあたりの事情は、小林秀雄の『ドストエフスキイの生活』の難解な序文「歴史について」を読んでも分かると、吉岡氏はいう。
・吉崎崇史氏は、「センター試験2013(本試験)国語第1問(1)」(「ロジカルノート」2019年2月4日付)において、問4について、次のような解説をしている。
・粗探しをする思考に基づく消去法ではなく、問題の指示(何が聞かれているのか)をもとに答に必要な情報(何を言えばよいのか)を考える方法も大切である。
(この方法だと情報の発信力を試す記述型問題にも対応できる)
問4で具体的に考えてみよう。
・問4は「もし鉄に~」という比喩表現についての問題である。
「鉄に生命があるならば、『水をやれば』すなわち『生き続けていれば』、文様透が出現しただろう」と言っている。
「『鉄』を素材にして鐔を作ったこと」から「『文様透』という装飾に辿り着くこと」は自然の流れであるということである。
その理由については、「装飾は…」以下で述べられている。
「ただ綺麗なだけではダメで、実際に使用する場面を想定した装飾でないといけない」と読み替えてもよい。
その後、「透の美しさは、鐔の堅牢と軽快とを語り、それを保証しているところにある」という表現が続く。
→「透という装飾が美しいのは、鐔の堅牢と軽快を実現しているからだ」という内容である。
・刀という武器の一部分であるから、鐔は堅牢でないといけない。鐔が堅くないと、手を守ること、命を守ることができない。そのニーズに応えるために鉄を素材にして鐔を作ることになったのだろう。
しかしながら、鉄を素材にして鐔を作ると、重さの問題が生じる。
鐔が重いと実戦の場面で刀を扱うのに支障が生じるので、「堅さと軽さを両立させよう」と考えた結果、鉄の鐔を鑿でくり抜くことになった。
Q:「もり鉄に生があるなら、水をやれば、文様透は芽を出したであろう」とあるが、それはどういうことをたとえているか。
A:「鉄を素材にして鐔を作ったことによって堅さと軽さを両立させる必要が生じ、その結果として透というアイデアに至ったのは自然なことだ」ということをたとえている。
・上記のQ&Aをもとに考えると、問4の答に必要な情報は「堅さと軽さの両立」となる。
⇒では、選択肢を確認してみよう。
答に必要な情報である「堅さと軽さの両立」について言及しているのは選択肢②のみとなる。
※仮にこの問題を「『×』を探す消去法」で解くとなると、何度も課題文と選択肢の見比べ作業が必要となり、非常に時間がかかる。
「『◎』を探す一本釣り的な解き方」であれば、短時間で正確に辿り着くことができると、
吉崎氏は強調している。
※消去法の練習ばかりを続けて「どのような情報を示すべきなのか」を考えるトレーニングをしてこないと、このような事態に陥る。
粗探しのスキルだけでなく、「何を言えばよいのか」を考えるトレーニングもしてほしいという。
かつて、私のブログでは、小林秀雄の文章について言及したことがある。
それは、「【雑感】小林秀雄とその文章」(2021年6月16日付、ブログのカテゴリー:文章について)である。
そこでは、次のように述べている。今回のセンター試験の問題と関連するので、引用しておこう。
国立国語研究所室長をへて、早稲田大学の教授でもあった中村明の『名文』(ちくま学芸文庫、1993年)でも指摘しているように、小林秀雄独特の修辞が用いられている点は注意しておいてよい。
たとえば、「ゴッホの手紙」(昭和26~27年)において、
「理想を抱くとは、眼前に突入すべきゴールを見る事ではない、決してそんな事ではない。」
「これはゴッホの個性的着想という様なものではない。その様なものは、彼の告白には絶えて現れて来ない。」
これらは反復否定で、「~ではない」と一度打ち消したあと、「決して~ではない」「絶えて~ない」と強く念を押し、強調的に駄目を押す文の展開である。これは批評家小林秀雄が多用する極言のひとつの方法である。極言は非常に危険な修辞であるが、小林は恐れずに用いていると中村明は解説している。
また極言は、人を驚かす内容にふさわしい形式であるともいう。たとえば、「当麻」で、世阿弥の美論に言及した際には、「美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない」という表現がこれに相当する(小林、1969年、252頁。新潮社編、2007年、106頁)
これは「ロダンの言葉」の「美しい自然がある。自然の美しさという様なものはない」を転用したものといわれる。小林という批評家は、こうした方法で人に訴えるときの効果が、それをどういう形式で表すかよりも、どこにその方法を用いるかにかかっていることは注目されるべきだと中村は説く。強調すべき点の見定めに、小林は天才的な冴えを示す批評家であったというのである(中村明『名文』ちくま学芸文庫、1993年、258頁~264頁)。
【中村明『名文』ちくま学芸文庫はこちらから】
名文 (ちくま学芸文庫)
つまり、批評家の小林秀雄が多用する修辞として、反復否定がある。
反復否定で、「~ではない」と一度打ち消したあと、「決して~ではない」「絶えて~ない」と強く念を押し、強調的に駄目を押す文の展開である。これは批評家小林秀雄が多用する極言のひとつの方法である。極言は非常に危険な修辞であるが、小林は恐れずに用いていると、早稲田大学の教授でもあった中村明氏は、『名文』(ちくま学芸文庫、1993年)でも指摘していたのである。
【ブログのリンク~「【雑感】小林秀雄とその文章」(2021年6月16日付)はこちらから】
「【雑感】小林秀雄とその文章」(2021年6月16日付)
かつて、私のブログでは、小林秀雄の思想や歴史観について言及したことがある。
それは、「饗庭孝男の小林秀雄論 その1」(2021年6月1日投稿、ブログのカテゴリー:文章について)である。
饗庭孝男『小林秀雄とその時代』(小沢書店、1997年)で論じられた饗庭孝男の小林秀雄論を紹介してみた。あわせて、小林の文章観、歴史観について解説した。
【ブログのリンク~「饗庭孝男の小林秀雄論 その1」(2021年6月16日投稿)はこちらから】
「饗庭孝男の小林秀雄論 その1」(2021年6月1日投稿)
【饗庭孝男『小林秀雄とその時代』(小沢書店、1997年)はこちらから】
小林秀雄とその時代
(2022年9月30日投稿)
【はじめに】
今回のブログでは、2013年センター試験国語の第一問に出題された小林秀雄の『鐔』を取り上げる。
その解説と解説を書くに際して、次の論説を参照にした。
(いずれも、インターネットで閲覧可能である。)
〇石原千秋「意義を欠いた好みの押しつけ」
(『産経新聞』2013年2月18日付)
〇高野光男(東京都立産業技術専門学校)「小林秀雄教材の今日的意義」
(『高校国語教育』2014年夏号、三省堂)
〇吉岡友治「小林秀雄のために―2013年センター試験第一問解説」
(「吉岡友治の三日坊主通信」2013年4月8日付)
〇吉崎崇史「センター試験2013(本試験)国語第1問(1)」
(「ロジカルノート」2019年2月4日付)
【参考文献】
〇石原千秋「意義を欠いた好みの押しつけ」
(『産経新聞』2013年2月18日付)
〇高野光男(東京都立産業技術専門学校)「小林秀雄教材の今日的意義」
(『高校国語教育』2014年夏号、三省堂)
〇吉岡友治「小林秀雄のために―2013年センター試験第一問解説」
(「吉岡友治の三日坊主通信」2013年4月8日付)
〇吉崎崇史「センター試験2013(本試験)国語第1問(1)」
(「ロジカルノート」2019年2月4日付)
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
・2013年センター試験【国語】第一問の問題と解答
・石原千秋氏と高野光男氏のコメント
・吉岡友治氏の解説
・吉崎崇史氏の解説
・【補足】小林秀雄の文章について(私のブログより)~「【雑感】小林秀雄とその文章」(2021年6月16日付)
・【補足】小林秀雄の思想や歴史観について(私のブログより)~「饗庭孝男の小林秀雄論 その1」(2021年6月1日付)
2013年センター試験【国語】第一問の問題と解答
【第1問】
次の文章を読んで、後の問い(問1~6)に答えよ。(配点 50)
鐔というものを、ふとした機会から注意して見始めたのは、ここ数年来の事だから、未だ合点のいかぬ節もあり、鐔に関する本を読んでみても、人の話を聞いてみても、いろいろ説があり、不明な点が多いのだが。
鐔の歴史は、無論、刀剣とともに古いわけだが、普通、私達が鐔を見て、好き嫌いを言っているのは、室町時代以後の製作品である。何と言っても、応仁の大乱というものは、史上の大事件なのであり、これを境として、A日本人の鐔というものの見方も考え方も、まるで変って了った。所謂鐔なるものは、この大乱の産物と言ってよいのである。私は鐔を弄ってみて、初めて、この事実に、はっきり気附いた。政令は無きに等しく、上下貴賤の差別なく、ドウ(ア)リョウ親族とても油断が出来ず、毎日が、ただ強い者勝ちの刃傷沙汰に明け暮れるというような時世が到来すれば、主人も従者に太刀を持たせて安心しているわけにもいくまい。いや、太刀を帯取にさげ佩いているようでは、急場の間には合わぬという事になる。やかましい太刀の拵などは、もはや問題ではない。乱世が、太刀を打刀に変えた。打刀という言葉が曖昧なら、特権階級の標格たる太刀が、実用本位の兇器に変じたと言っていい。こんな次第になる以前、鐔は太刀の拵全体のうちの、ほんの一部に過ぎなかったのだが、拵無用の打刀となってみても、実用上、鐔という拵だけは省けない。当然、実用本位の堅牢な鉄鐔の製作が要求され、先ず刀匠や甲冑師が、この要求を満すのである。彼等が打った粗朴な板鐔は、荒地にばらまかれた種のようなものだ。
誰も、乱世を進んで求めはしない。誰も、身に降りかかる乱世に、乱心を以て処する事は出来ない。人間は、どう在ろうとも、どんな処にでも、どんな形ででも、平常心を、秩序を、文化を捜さなければ生きて行けぬ。そういう止むに止まれぬ人心の動きが、兇器の一部分品を、少しずつ、少しずつ、鐔に仕立てて行くのである。やがて、専門の鐔工が現れ、そのうちに名工と言われるものが現れ、という風に鐔の姿を追って行くと、私の耳は、乱世というドラマの底で、不断に静かに鳴っているもう一つの音を聞くようである。
信家作と言われる或る鐔に、こんな文句が彫られている。「あら楽や人をも人と思はねば我をも人は人とおもはぬ。」X現代
人が、言葉だけを辿って、思わせぶりな文句だとか、拙劣な歌だとか、と言ってみても意味がないのである。これは文句ではない。鉄鐔の表情なので、眺めていれば、鍛えた人の顔も、使った人の顔も見えて来る。観念は消えて了うのだ。感じられて来るものは、まるで、それは、荒地に芽を出した植物が、やがて一見妙な花をつけ、実を結んだ、その花や実の尤もな心根のようなものである。
鐔好きの間で、古いところでは信家、金家と相場が決っている。相場が決っているという事は、何となく面白くない事で、私も、初めは、鐔は信家、金家が気に食わなかったが、だんだん見て行くうちに、どうも致し方がないと思うようになった。花は桜に限らないという批評の力は、花は桜という平凡な文句に容易に敵し難いようなものであろうか。信家、金家については、はっきりした事は何も解っていないようだ。銘の切り方から、信家、金家には何代かが、何人かがあったと考えらえるから、室町末期頃、先ず甲府で信家風の鐔が作られ、伏見で金家風の鐔が作られ始めたというくらいの事しか言えないらしい。それに夥しい贋物が交って市場を流通するから、厄介と言えば厄介な事だが、まあ私などは、好き嫌いを言っていれば、それで済む世界にいるのだから、手元にあるものを写して貰った。
井戸茶碗の身元は不詳だが、茶碗は井戸という言葉はある。同じ意味合いで、信家のこれはと思うものは、鐔は信家といい度げな顔をしている。井戸もそうだが、信家も、これほど何でもないものが何故、こんなに人を惹きつけるか、と質問して止まないようである。それは、確定した形というより、むしろ轆轤や槌や鑿の運動の節奏のようなものだ。信家は、武田信玄の鐔師で、信という字は信玄から貰った、と言われている。多分、伝説だろう。Yだが、事実ではあるまいと言ったところで面白くもない事だ。伝説は、何時頃生れたのだろう。「甲陽軍鑑」の大流行につられて生れたのかも知れない。「甲陽軍鑑」を偽書と断じたところで、幾つでも偽書が現れるほど、武田信玄や高坂弾正の思い出という本物は、生き生きとして、当時の人々の心に在った事を想えば、別段面白くもない話である。何時の間にか伝説を生み出していた鐔の魅力と伝説であって事実ではないという実証とは、何んの関係もない。こんな解り切った事に、歴史家は、案外迂闊なものなのだ。魅力に共感する私達の沈黙とは、発言の期を待っている伝説に外なるまい。
信家の鐔にぶら下っているのは、瓢簞で、金家の方の図柄は「野晒し」で、大変異ったもののようだが、両方に共通した何か一種明るい感じがあるのが面白い。髑髏は鉢巻をした蛸鮹のようで、「あら楽や」と歌っても、別段構わぬような風がある。
この時代の鐔の模様には、されこうべの他に五輪塔やら経文やらが多く見られるが、これを仏教思想の影響というような簡単な言葉で片附けてみても、Bどうも知識の遊戯に過ぎまいという不安を覚える。戦国武士達には、仏教は高い宗教思想でもなければ、難かしい形而上学でもなかったであろう。仏教は葬式の為にあるもの、と思っている今日の私達には、彼等の日常
生活に糧を与えていた仏教など考え難い。又、考えている限り、クウ(イ)バクたる問題だろう。だが、彼等の日用品にほどこされた、仏教的主題を持った装飾の姿を見ていると、私達は、何時の間にか、そういう彼等の感受性のなかに居るのである。
何時だったか、田辺尚雄氏に会って、平家琵琶の話になった時、平家琵琶ではないが、一つ非常に古い琵琶を聞かせてあげよう、と言われた。今でも、九州の或る処には、説教琵琶というものが遺っているそうで、地鎮の祭などで、琵琶を弾じながら、経文を誦する、それを、氏の音楽講座で、何日何時に放送するから、聞きなさい、と言われた。私は、伊豆の或る宿屋で、夜、ひとり、放送を聞いた。琵琶は数分で終って了ったが、非常な感動を受けた。文句は解らないが、経文の単調なバスの主調に、絶えず琵琶の(ウ)バンソウが鳴っているのだが、それは、勇壮と言ってもいいほど、男らしく明るく気持ちのよいものであった。これなら解る、と私は感じた。こういう音楽に乗って仏教思想は、学問などに用はない戦国の一般武士達の間に滲透したに違いない、と感じた。仏教を宗教だとか思想だとか呼んでいたのでは、容易に解って来ないものがある。室町期は時宗の最盛期であった。不明なところが多すぎるが、時宗は民衆の芸能と深い関係があった。乱世が来て、庶民的な宗教集団は、庶民とともに最も早く離散せざるを得なかったであろうが、沢山の遊行僧は、従軍僧として戦場に入り込んでいたであろう。彼等は戦うものの最期を見届け、これをその生国の人々に伝え、お札などを売りつけて、生計を立てていたかも知れない。そういう時に、あのような琵琶の音がしたかも知れない。金家の「野晒し」にも、そんな音が聞えるようである。
鉄鐔は、所謂「下剋上」の産物だが、長い伝統的文化の一時の中断なのだから、この新工芸の成長の速度は速かった。平和が来て、刀が腰の飾りになると、鐔は、金工家が腕を競う場所になった。そうなった鐔は、もう私の興味を惹かない。鐔の面白さは、鐔という生地の顔が化粧し始め、やがて、見事に生地を生かして見せるごく僅かの期間にある。その間の経過は、いかにも自然だが、化粧から鐔へ行く道はない。
鉄の地金に、鑿で文様を抜いた鐔を透鐔と言うが、この透というものが鐔の最初の化粧であり、彫や象嵌が発達しても、鐔の基本的な装飾たる事を止めない。刀匠や甲冑師は、ただ地金を丸く薄く固く鍛えれば足りたのだが、いつの間にか、星だとか花だとか或は鎌だとか斧だとか、日常、誰にでも親しい物の形が、文様となって現れて来た。地鉄を鍛えている人がそんな形を抜きたくなったのか、客の註文に答えたのか、そんな事は、決して解る筈がないという処が面白い。Cもし鉄に生があるなら、水をやれば、文様透は芽を出したであろう。装飾は、実用と手を握っている。透の美しさは、鐔の堅牢と軽快とを語り、これを保証しているところにある。様々な流派が出来て文様透がだんだん巧緻になっても、この基本の性質は失われない。又、この性質は、彫や象嵌の世界ででも、消極的にだが守られているのであり、彫でも象嵌でも、美しいと感ずるものは、必ず地金という素材の確かさを保証しているように思われる。戦がなくなり、地金の鍛えもどうでもよくなって来れば、鐔の装飾は、大地を奪われ、クウ(エ)ソな自由に転落する。名人芸も、これに救うに足りぬ。
先日、伊那にいる知人から、高遠城址の桜を見に来ないかと誘われた。実は、この原稿を書き始めると約束の日が来て了ったので出掛けたのである。高遠には、茅野から杖突峠を越えて行く道がある。峠の下に諏訪神社の上社がある。雪を残した八ヶ岳の方から、冷たい強い風が吹いて、神社はシン(オ)カンとしていた。境内の満開の桜も見る人はなかった。私は、高遠の桜の事や、あそこでは信玄の子供が討死したから、信玄の事など考えていたが、ふと神殿の後の森を見上げた。若芽を点々と出した大木の梢が、青空に網の目のように拡がっていた。その上を、白い鳥の群れが舞っていたが、枝には、近附いて見れば大壺ほどもあるかと思われる鳥の巣が、幾つも幾つもあるのに気附いた。なるほど、これは桜より余程見事だ、と見上げていたが、私には何の鳥やらわからない。社務所に、巫女姿の娘さんが顔を出したので、聞いてみたら、白鷺と五位鷺だと答えた。樹は何の樹だと訊ねたら、あれはただの樹だ、と言って大笑いした。私は飽かず眺めた。そのうちに、白鷺だか五位鷺だかは知らないが、一羽が、かなり低く下りて来て、頭上を舞った。両翼は強く張られて、風を捕え、黒い二本の脚は、身体に吸われたように、整然と折れている。嘴は延びて、硬い空気の層を割る。D私は鶴丸透の発生に立会う想いがした。
(小林秀雄「鐔」による)
(注)
1 鐔――日本刀で、柄や刀身の間にはさむ装具(次ページの図を参照)。
2 帯取にさげ佩いている――帯取(太刀を結び付けるひも)で腰からさげている。
3 打刀――相手に打ち当てて切りつける実戦用の刀。
4 標格――象徴(シンボル)。
5 甲冑師――かぶとやよろいなどの武具を作る職人。
6 信家――桃山時代の代表的な鐔工。金家も同じ。
7 写して貰った――この文章にはもともと写真が添えられていた。ただし、ここでは省略した。
8 井戸茶碗――朝鮮半島産の茶碗の一種。
9 節奏――リズム。
10 甲陽軍鑑――武田信玄・勝頼二代の事績、軍法などを記した、江戸時代初期の書物。
11 高坂弾正――高坂昌信(1527~1578)。武田家の家臣。「甲陽軍鑑」の元となった文書を遺したとされる。
12 野晒し――風雨にさらされた白骨。特に、されこうべ(頭骨)。
13 五輪塔――方・円・三角・半月・団の五つの形から成る塔。平安中期頃から供養塔・墓塔として用いた。
14 形而上学――物事の本質や存在の根本原理を探求する学問。
15 田辺尚雄――東洋音楽を研究した音楽学者(1883~1984)。
16 平家琵琶――「平家物語」を語るのに合わせて演奏する琵琶の音曲。
17 バス――低音の男声。
18 時宗――浄土教の一派。一遍(1229~1289)を開祖とする。
19 遊行僧――諸国を旅して修行・教化した僧。
20 象嵌――金属などの地に貝殻など別の材料をはめ込んで模様を作る技法。
21 鉄の地金のこと。
問1 傍線部(ア)~(オ)の漢字と同じ漢字を含むものを、次の各群の①~⑤のうちから、それぞれ一つずつ選べ。解答番号は( 1 )~( 5 )。
(ア)ドウリョウ ( 1 )
①若手のカンリョウ ②チリョウに専念する ③荷物をジュリョウする
④なだらかなキュウリョウ ⑤セイリョウな空気
(イ)クウバク ( 2 )
①他人にソクバクされる ②冗談にバクショウ ③サバクを歩く
④江戸にバクフを開く ⑤バクガトウを分解する
(ウ)バンソウ ( 3 )
①家族ドウハンで旅をする ②ハンカガイを歩く ③資材をハンニュウする
④見本品をハンプする ⑤著書がジュウハンされる
(エ)クウソ ( 4 )
①ソエンな間柄になる ②ソゼイ制度を見直す ③緊急のソチをとる
④被害の拡大をソシする ⑤美術館でソゾウを見る
(オ)シンカン ( 5 )
①証人をカンモンする ②規制をカンワする ③ユウカンな行為をたたえる
④勝利にカンキする ⑤広場はカンサンとしている
問2 傍線部A「日本人の鐔というものの見方も考え方も、まるで変って了った」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。解答番号は( 6 )。
①鐔は応仁の大乱以前には富や権力を象徴する刀剣の拵の一部だったが、それ以後は命をかけた実戦のための有用性と、乱世においても自分を見失わずしたたかに生き抜くための精神性とが求められるようになったということ。
②鐔は応仁の大乱以前には特権階級の富や権力を象徴する日常品としての美しさを重視されていたが、それ以後は身分を問わず使用されるようになり、平俗な装飾品としての手ごろさが求められるようになったということ。
③鐔は応仁の大乱以前には実際に使われる可能性の少ない刀剣の一部としてあったが、それ以後は刀剣が乱世を生き抜くために必要な武器となったことで、手軽で生産性の高い簡素な形が鐔に求められるようになったということ。
④鐔は応仁の大乱以前には権威と品格とを表現する装具であったが、それ以後、専門の鐔工の登場によって強度が向上してくると、乱世において生命の安全を保証してくれるかのような安心感が求められるようになったということ。
⑤鐔は応仁の大乱以前には刀剣の拵の一部に過ぎないと軽視されていたが、乱世においては武器全体の評価を決定づけるものとして注目され、戦いの場で士気を鼓舞するような丈夫で力強い作りが求められるようになったということ。
問3 傍線部B「どうも知識の遊戯に過ぎまいという不安を覚える」とあるが、そこには筆者のどのような考えがあるか。最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。解答番号は( 7 )。
①仏教を戦国武士達の日常生活の糧となっていた思想と見なすのは軽率というほかなく、彼等と仏教との関係を現代人が正しく理解するには、説教琵琶のような、当時滲透していた芸能に携わるのが最も良い手段であるという考え。
②この時代の鐔にほどこされた五輪塔や経文の意匠は、戦国武士達にとっての仏教が、ふだん現代人の感じているような暗く堅苦しいものではなく、むしろ知的な遊びに富むものであることを示すのではないかという考え。
③戦国武士達に仏教がどのように滲透していたかを正しく理解するには、文献から仏教思想を学ぶことに加えて、例えば説教琵琶を分析して当時の人々の感性を明らかにするような方法を重視すべきだという考え。
④この時代の鐔の文様に五輪塔や経文が多く用いられているからといって、鐔工や戦国武士達が仏教思想を理解していたとするのは、例えば仏教を葬式のためにあると決めつけるのと同じくらい浅はかな見方ではないかという考え。
⑤戦国武士達の日用品と仏教の関係を現代人がとらえるには、それを観念的に理解するのではなく、説教琵琶のような、当時の生活を反映した文化にじかに触れることで、その頃の人々の心を実感することが必要だという考え。
問4 傍線部C「もし鉄に生があるなら、水をやれば、文様透は芽を出したであろう。」とあるが、それはどういうことをたとえているか。最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。解答番号は( 8 )。
①実用的な鐔を作るためには鉄が最も確かな素材であったので、いくつもの流派が出現することによって文様透の形状は様々に変化していっても、常に鉄のみがその地金であり続けたことをたとえている。
②刀剣を実戦で使用できるようにするために鐔の強度と軽さとを追求していく過程で、鉄という素材の質に見合った透がおのずと生み出され、日常的な物をかたどる美しい文様が出現したことをたとえている。
③乱世において武器として活用することができる刀剣の一部として鉄を鍛えていくうちに、長い伝統を反映して必然的に自然の美を表現するようになり、それが美しい文様の始原となったことをたとえている。
④「下剋上」の時代において地金を鍛える技術が進歩し、鐔の素材に巧緻な装飾をほどこすことができるようになったため、生命力をより力強く表現した文様が彫られるようになっていったことをたとえている。
⑤鐔が実用品として多く生産されるようになるにしたがって、刀匠や甲冑師といった人々の技量も上がり、日常的な物の形を写実的な文様として硬い地金に彫り抜くことが可能になったことをたとえている。
問5 傍線部D「私は鶴丸透の発生に立会う想いがした。」とあるが、その理由として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。解答番号は( 9 )。
①戦乱の悲劇が繰り返された土地の雰囲気を色濃くとどめる神社で、巣を守り続けてきた鳥の姿に、この世の無常を感じ、繊細な鶴をかたどった鶴丸透が当時の人々の心を象徴する文様として生まれたことが想像できたから。
②桜が咲きほこる神社の大樹に棲む鳥がいくつも巣をかけているさまを見て、武士達も太刀で身を守るだけでなく、鐔に鶴の文様を抜いた鶴丸透を彫るなどの工夫をこらし、優雅な文化を作ろうとしていたと感じられたから。
③神社の森で巣を守る鳥が警戒しながら飛びまわる姿を見ているうちに、生命を守ろうとしている生き物の本能に触発された金工家達が、翼を広げた鶴の対称的な形象の文様を彫る鶴丸透の構想を得たことに思い及んだから。
④参拝者もない神社に満開の桜が咲く華やかな時期に、大樹を根城とする一羽の鳥が巣を堅く守る様子を見て、討死した信玄の子供の不幸な境遇が連想され、鶴をかたどる鶴丸透に込められた親の強い願いに思い至ったから。
⑤満開の桜を見る者もいない神社でひたむきに巣を守って舞う鳥に出会い、生きるために常に緊張し続けるその姿態が力感ある美を体現していることに感銘を受け、鶴の文様を抜いた鶴丸透の出現を重ね見る思いがしたから。
問6 この文章の表現と構成について、次の(i)・(ii)の問いに答えよ。
(i) 波線部X「現代人が、言葉だけを辿って、思わせぶりな文句だとか、拙劣な歌だとか、と言ってみても意味がないのである。」と、波線部Y「だが、事実ではあるまいと言ったところで面白くもない事だ。」とに共通する表現上の特徴について最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。解答番号は( 10 )。
①「言葉だけ」の「だけ」や「面白くも」の「も」のように、限定や強調の助詞により、問題点が何かを明確にして論じようとするところに表現上の特徴がある。
②「と言ってみても」や「と言ったところで」のように、議論しても仕方がないと、はぐらかしたうえで、自説を展開しようとするところに表現上の特徴がある。
③「意味がない」や「面白くもない」のように、一般的にありがちな見方を最初に打ち消してから、書き手独自の主張を推し進めるところに表現上の特徴がある。
④「思わせぶりな」や「拙劣な」、「事実ではあるまい」のように、消極的な評価表現によって、読み手に不安を抱かせようとするところに表現上の特徴がある。
(ii) この文章は、空白行によって四つの部分に分けられているが、その全体の構成のとらえ方として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。解答番号は( 11 )。
①この文章は、最初の部分が全体の主旨を表し、残りの三つの部分がそれに関する具体的な話題による説明という構成になっている。
②この文章は、四つの部分が順に起承転結という関係で結び付き、結論となる内容が最後の部分で示されるという構成になっている。
③この文章は、それぞれの部分の最後に、その部分の要点が示されていて、全体としてはそれらが並立するという構成になっている。
④この文章は、人間と文化に関する一般的な命題を、四つのそれぞれ異なる個別例によって論証するという構成になっている。
【国語の第1問解答】
問1 (ア)① (イ)③ (ウ)① (エ)① (オ)⑤
問2 ①
問3 ⑤
問4 ②
問5 ⑤
問6 (i)③ (ii)①
石原千秋氏と高野光男氏のコメント
・以前のブログで石原千秋氏の次のような著作を紹介した。
〇石原千秋『秘伝 大学受験の国語力』新潮選書、2007年[2008年版]
〇石原千秋『教養としての大学受験国語』ちくま新書、2000年[2008年版]
・その石原千秋氏は、『産経新聞』(2013年2月18日付)において、「意義を欠いた好みの押しつけ」と題して、小林秀雄の『鐔』がセンター試験に出題されたことについて、コメントをしている。おおよそ、次のような内容である。
・大学入試センター試験の現代文に、小林秀雄の随筆が出題されたが、問題を見て、妙な思想を持った素人が作ったことがすぐに分かった、と酷評をしている。
・小林秀雄の文章にはある種の型があって、「学問」や「現代」を否定しながら、その時代の実用性が美を鍛えたという結論に至る。出題された文章も、刀の鐔が美しさを持ったのは美についての思想があったからではなく、実用性の中から自然に生み出されたものだと言っている。
ただし、いかなる根拠が示されるわけでもなく、そういう文章の型があるだけだという。
その型を知っていれば、設問は難しいものではなかったとする。
しかし、根拠のない文章は好みの押しつけにすぎない、と厳しく評している。
・石原千秋氏によれば、大学の入試問題には二つの意義があるはずだとする。
①高校までの学習が身についているかを確かめること。
②大学に入学してから研究ができる能力があるかを確かめること。
今回の問題は、いずれの観点からしても失格であるという。
(つまり、高校の国語にはこの手の文章は収録されていないし、大学に入学してからこの手の文章を書いたのでは研究にはならない。事実を示した実証にせよ論理的な実証にせよ、ある種の根拠を示さなければ、研究として議論さえできない。大学は好きか嫌いかを押しつけ合う場ではないと釘をさしている)
・そもそも、問題文の選定がまちがっているという。注が21。これだけ注をつけなければならない文章を選ぶべきではないと主張している。
(しかも、はじめの一字「鐔」にいきなり注がついている)
⇒ということは、出題者はテーマになっている「鐔」を受験生が知らない可能性があると認識しながら、問題文を選んだことになる。受験生が知らないかもしれないものについて書いた文章を解かせようとするとは、非常識であるとする。
・また、冒頭からいきなり傍線が施してあって、その部分を問う問題は、かつては、邪道として叱りとばされた作問だという。作問のノウハウを持っていなかった素人が作った問題であると批判している。
・文章も読点「、」が非常に多く読みにくい。小林秀雄の文章としても、十八番の型にそったお手軽に書いた拙劣な部類であるという。「この文章を選んだことを、小林秀雄のためにも悲しむ」と石原氏は結んでいる。
石原千秋氏のコメントは、このように手厳しいものであった。
予備校の先生や受験生も、小林秀雄の『鐔』がセンター試験に出題されたことに対して、批判的なコメントが多かったようだ。
そのような中で、次に紹介する高野光男氏は、小林秀雄の文章に好意的である。
〇高野光男(東京都立産業技術専門学校)「小林秀雄教材の今日的意義」
(『高校国語教育』2014年夏号、三省堂)
高野氏は、石原千秋氏の『産経新聞』(2013年2月18日付)の記事を受けて、次のようなコメントを付している。
・石原氏は、「鐔」における小林の主張には「いかなる根拠が示されているわけでもなく」、「根拠のない文章は好みの押しつけにすぎない」と批判し、大学入試問題には二つの意義があり、「いずれの観点からも失格である」と出題者を断じている。
⇒石原氏の主張は、入試問題という観点からの正論だとする。
・しかし、小林秀雄教材の価値・可能性について考えるとき、積極的な意義も見いだせると高野氏はいう。
現行高校評論教材の主なものは言語論・身体論・メディア論など、言語論的転回以降の思想状況を基盤として成立したポストモダンの文章である。ポストモダンの限界が指摘され、ポスト・ポストモダンの模索が課題となっている現在、ポストモダン的な発想をどう超えるかという観点から小林秀雄は読み直される価値があると主張している。
・小林のいう「物」は、「フォーム」「姿」「文体」「実感」「絶対言語」などと言い換えられている概念である。「美を求める心」では「言葉を使って整えて、安定した動かぬ姿にした……」という文脈の中で登場している。
(この、言葉に対する「実感」は、茂木健一郎によって「クオリア」(感覚的体験に伴う独特で鮮明な質感であり、脳科学で注目されている概念だという)として再評価されてもいるようだ)
・新しい文芸批評の創造という小林秀雄の批評的営為のジャンル特性を捉えつつ、現代の思想・文化の相対化という真の意味での「古典」としての読み方が要請されている、と高野氏はいう。
吉岡友治氏の解説
〇吉岡友治氏は、東京大学社会学科からシカゴ大学人文科学へ留学した経験があるという。駿台予備校・代々木ゼミの元国語・小論文の講師である。その吉岡氏が、「小林秀雄のために―2013年センター試験第一問解説」(「吉岡友治の三日坊主通信」2013年4月8日付)と題して、2013年のセンター試験の第一問(小林秀雄『鐔』)について、詳しく解説している。
・2013年のセンター試験は、第一問の小林秀雄『鐔』のおかげで、思うように点数がとれず、平均点が下がった、と大騒ぎになった。
受験生だけではなく、予備校の解説者まで、「そもそも小林秀雄には、論理性がないんじゃないか」とか「根拠が見当たらない随筆だからね」などと論評する人も少なくない。
・しかし、吉岡氏は、こういう解説や意見は、自分の理解力のなさを棚に上げて、文句を言っている場合がほとんどであると、批判している。
高校生のときに小林秀雄のシャープなロジックにイカれた吉岡氏としては、こういう中傷を放っておくのは腹立たしいという。そこで、私淑した「小林秀雄のために」、解説を試みたという。どういう風に論理がつながっているかを示したそうだ。
シンプルによく出来た問題なのに、解く方が基礎的読解の原理が分っていないので、得点がとれない。人のせいにする前に、自分の力を反省すべきだという。
・この文章は、論理的文章と随筆の混合形であると主張している。
前者は評論などで、問題+解決+根拠の形を取る。後者は随筆・エッセイなどで、その基本は、体験+感想+思考という要素からなるとする。この読み分けが、問題の一番の肝であるという。
〇課題文の構造を簡単な表にまとめている。
表の左側に、言いたいことの中心(ポイント)、右側に、その説明・例示などの補助的情報(サポート)を記している。
矢印は、どちらが先に書いてあるかを示す。
コロンの前の「説明」「対比」などは、要素の名前を表す。
課題文を横に置きながら、どこと対応しているか、見てほしいという。
※なお、こういう用語の意味と用法については、吉岡友治『いい文章には型がある』(PHP新書)を参照してほしいと記す。
【課題文の構造】
<要約>
・刀は、室町時代の応仁の乱を境に、権力の象徴から凶器に変わっていった。鐔のとらえ方も、それにつれて実用本位に変わっていった。だが、乱世でも人間は平常心・秩序・文化を探すので、凶器の部分品である鐔も、自然に美しい文様や透で飾られるようになった。その魅力は、装飾しつつ素材を生かしてみせるバランスにある。そういうものをじっと眺めることで、その時代の人々の感受性が、観念ではなく、じかに伝わってくるのだ。(198字)
問1
当然省略。辞書を見よ。
問2
変化は、前と後を比べて、その違いを認識するところから始まる。
「応仁の大乱」を「境として」変わったのであるから、その前と後を比べる。
2行後から、その比較があることはすぐ分かるはず。刀の変化があり、それにつれて鐔の意味も変わった。
時代 刀 鐔
乱以前 太刀=特権階級の標格(注によれば、象徴・シンボル) 拵えの一部
乱以後 打刀=実用本位の凶器 実用本位の堅牢な鉄鐔
しかし、変化はこれに終わらない。第三段落を見れば、「人間はどう在ろうと平常心を、秩序を、文化を探さなければ生きていけぬ。…凶器の一部分品を…鐔に仕立てて行く」とある。
前の図式にそれを入れれば、次のようになるという。
時代 刀 鐔
乱以前 太刀=特権階級の標格(注によれば、象徴・シンボル) 拵えの一部
乱以後1 打刀=実用本位の凶器 実用本位の堅牢な鉄鐔
乱以後2 同上 平常心・秩序・文化
だから、鐔の美しさとは、実用本位の凶器でありながら、平常心・秩序・文化を求めて装飾されているバランスにあるわけである。
【選択肢の吟味】
この図式に合わせて、選択肢を検討する。
選択肢を前後に区切って、前・後のそれぞれが以上のまとめと対応しているかどうかを見る。
〇1~「拵の一部」 後1「実戦のための有用性」 後2「自分を見失わず…精神性」と、上のまとめに対応する部分がある。
×2~前「特権階級…象徴する日用品」。「象徴」はいいが「日用品」が「実用」とは違う。
後1「身分を問わず使用」に対応する本文なし。後2「平俗な装飾品」が「平俗」が余計。
×3~前「実際に使われる可能性の少ない」が怪しい。後1「武器」はO.K。
後2「手軽で生産性の高い」は文化的側面を無視している。
×4~前「権威と品格を表現する装具」はやや危ないがO.K。
しかし、「専門の鐔工…によって強度が向上してくる」は変化の原因の取り違え。
後2「安心感」も感覚・感情であり、文化とは言えないとする。
×5~前「軽視されていた」が余計な記述。後1「武器全体の評価を決定づける」に対応する本文なし。後2「丈夫で力強い」は文化的側面を無視。
問3
傍線部Bのすぐ後を見ると、次のようなつながりになっているとする。
戦国武士達には、仏教は…思想でもなければ、…形而上学でもなかったろう。…だが、彼らの日用品…装飾の姿を見ていると…彼らの感受性のなかに居るのである
形而上学は、ものごとの第一原因を思考するなど、空疎な観念の意味である。つまり、筆者にとって、思想・形而上学などを手がかりとした観念的理解はダメで、感受性というアプローチがいいらしい。つまり、本文は、次のような対比構造になっている。
宗教思想・形而上学⇔感受性
もちろん、Bの後の段落の話「説教琵琶」は、Bを含む段落の裏付けとなる体験と感想になっている。
【選択肢の吟味】
問2と同じで、選択肢を前半・後半の二つに分けて検討する。
×1~「思想と見なすのは軽率」は一見よさそうだが、「軽率」は軽はずみという意味である。
本文にそれに対応するところはない。
後半「芸能に携わるのが最も早い」は「感受性」の例に過ぎないので不正確。
そもそも「最も」と言えるほど、他の可能性を吟味していないはず。
×2~前半「暗く堅苦しい」は思想・形而上学の本来の意味ではなく、そのニュアンスにずれている。
後半「知的な遊び」も「感受性」と同義ではない。
×3~前半「思想を学ぶことに加えて」の「加えて」は接続がダメ。「思想を学ぶことではなく」でなくてはならない。
後半「感性」は悪くないが、「分析」(=細かく調べること)は「感受性」の反対なのでダメ。
×4~前半「思想を理解…浅はか」という続き具合は間違っていないが、後半「同じくらい」という比較は本文にはない。
〇5~前半「観念的に理解するのではなく」はO.K。後半「実感する」も「感受性」に近い表現である。
問4
比喩表現の問題の設問である。
傍線部Cの二文前からの言い換えを見ればすぐ解るとする。
一般に、接続の言葉がないまま続く二文は同じ意味と考えるのが、論理的文章を読む際の基本であるという。つまり、以下のような言い換えが成立する。
いつの間にか…文様となって現れてきた。
=地金を鍛えている人(職人)が抜きたくなったのか、客の註文に答えたのか、…解る筈がない
=Cもし鉄に生があるなら、水をやれば、文様透は芽を出しただろう。
傍線部Cは「鉄に生があるなら」と、わざと非現実的な仮定をして、鐔を植物にたとえている。「水をやれば…芽を出す」のは、植物の自然だから、鐔の文様透も自然にできたのだ、と言っている。
実際、Cの前の文では「誰が主体なのか解らない」、さらにその前の文も「いつの間にか」と、誰かが格別に何かしたのが原因ではなく、自然に文様ができたことを言っている。
【選択肢の吟味】
×1~「文様透…変化していっても」と逆接仮定条件になっているので、この文全体の帰結が文様透と関係ないことが解る。もちろん「鉄のみがその地金」など書いていない。
〇2~「おのずと…出現した」が比喩に合っている。
×3~「自然の美の表現」ではない。「表現」をするなら、その主体がいるはずという。
×4~同上の理由でダメ。「生命力をより力強く表現」ではない。「表現」をするなら、その主体がいるはずという。
×5~「写実的」(=現実に似せる)が比喩の意味と対応していない。
問5
最後の所は、まったく体験と感想の部分。第三パートの主張「文様透は(誰が作ったというのではなく)自然に現れた」を裏付けている部分なのである。
これだけで、選択肢の吟味は可能であるという。
※選択肢は、本文に書いていない余計な情報が含まれている種類が多いと注意している。
【選択肢の吟味】
×1~「この世の無常」が余計。
×2~「優雅な文化」も余計。
×3~「生き物の本能に触発された」が余計。
×4~「不幸な境遇を連想」は、鳥に気づく前の状態であるという。
〇5~読点のところで三つに分かれるが、選択肢の「巣を守って舞う鳥」「力感ある美」は課題文の「かなり低く降りてきて」「強く張られて」と対応するとする。
問6
(i) 選択肢の「表現上の特徴がある」はすべて共通なので、カットして考える。
波線部については、X[「…と言ってみても意味はない」、Y「…と言ったところで面白くない」とかなり強く批判していることに注意したい。
【選択肢の吟味】
×1~「限定や強調の助詞」を使えば「問題点が…明確」になるわけではない。
これでは、そもそも助詞の意味理解が間違っているという。
×2~「はぐらかし」てはいない。強く明確に否定しているのである。
〇3~「ありがちな見方を…打ち消し」が強い批判に該当。
×4~「ホラーやサスペンス小説ではないのだから、論理的文章なので『読み手に不安を抱かせ』るはずがない」と、吉岡氏は解説している。
(ii) 全体構成については、最初の「課題文の構造」を見てほしいという。
最初のパートだけが論理的文章(評論)の構造「問題+解決+根拠」になっているが、
後は、ほとんど直観的文章(エッセイ・随筆)の「体験+感想+思考」になっている。
論理的文章としては、最初のパートで言いたいことは尽きている。
したがって、冒頭の要約でも最初のパートを主にまとめ、後は補足として使えばよいという。
第二パート移行は、第一パートから派生した論点に関連して、鐔に対する観念的味方を批判したり(第二パート)、鐔の美しさとは素材と装飾(化粧)のバランスにあると考えたり(第三パート)、鶴丸透の発生について感じたり(第四パート)している。
ここから正解はただちに分かるという。
【選択肢の吟味】
〇1~「最初…全体の主旨を表し」はO.K。「残りの三つの部分がそれに関する具体的な話題による説明」も、上の説明と対応しているとする。
×2~もちろん「起承転結」が間違い
「起承転結」は、漢詩の構造で、感情が高まって、どんでん返しから結末に至る、というような仕組みを言うと、吉岡氏は解説している。
×3~「最後に…要点が示されて」はポイント・ラストの意味だろうが、「課題文の構造」を見ればそうなっていないことが分かる。
×4~「命題」とは「…は~である」という言明の形である。
「人間と文化に関する一般的命題」とは、「人間と文化は~である」という形の文になる。
それに当たるのは「人間は、どんな時代・状況でも文化を求める」というところだろうが、この文章の話題は「鐔」であって、「人間と文化に関する一般的命題」ではない。
それに「論証」とは、命題の変形によって、結論を導き出すことで、例示はその補助になるだけである。だから、そもそも「個別例によって論証する」ことはできないという。
<吉岡友治氏のアドバイス>
小林秀雄の主張や思想をより深く知るためには、どうすればいいのか。
この点について、吉岡氏は次のようなアドバイスをしている。
①読解の方法は共通。それを把握しないで、勘とか知識とかで解いているから、間違う。
ちょっと古ぼけた表現が使われていようが、見かけにだまされてはいけないと警告している。
②どうせ、知識を言うなら、小林秀雄の精神形成過程で、マルクス主義が大きな影響を及ぼしたことくらいは知っておくべきだろうという。
小林秀雄の初期の作品は、ほとんど、当時流行だったプロレタリア文学や、その亜流の実証主義・歴史主義への反発だったことを知っているべきであるという。
(だから、途中で形而上学や実証主義が激しく批判されているわけである)
今から考えれば、小林秀雄が何でこんなに「学者・観念はダメだ」的なことを言いつのるか分かりにくいが、学者はすべて唯物史観もどきだった時代状況がある。そのあたりの事情は、小林秀雄の『ドストエフスキイの生活』の難解な序文「歴史について」を読んでも分かると、吉岡氏はいう。
吉崎崇史氏の解説
・吉崎崇史氏は、「センター試験2013(本試験)国語第1問(1)」(「ロジカルノート」2019年2月4日付)において、問4について、次のような解説をしている。
・粗探しをする思考に基づく消去法ではなく、問題の指示(何が聞かれているのか)をもとに答に必要な情報(何を言えばよいのか)を考える方法も大切である。
(この方法だと情報の発信力を試す記述型問題にも対応できる)
問4で具体的に考えてみよう。
・問4は「もし鉄に~」という比喩表現についての問題である。
「鉄に生命があるならば、『水をやれば』すなわち『生き続けていれば』、文様透が出現しただろう」と言っている。
「『鉄』を素材にして鐔を作ったこと」から「『文様透』という装飾に辿り着くこと」は自然の流れであるということである。
その理由については、「装飾は…」以下で述べられている。
「ただ綺麗なだけではダメで、実際に使用する場面を想定した装飾でないといけない」と読み替えてもよい。
その後、「透の美しさは、鐔の堅牢と軽快とを語り、それを保証しているところにある」という表現が続く。
→「透という装飾が美しいのは、鐔の堅牢と軽快を実現しているからだ」という内容である。
・刀という武器の一部分であるから、鐔は堅牢でないといけない。鐔が堅くないと、手を守ること、命を守ることができない。そのニーズに応えるために鉄を素材にして鐔を作ることになったのだろう。
しかしながら、鉄を素材にして鐔を作ると、重さの問題が生じる。
鐔が重いと実戦の場面で刀を扱うのに支障が生じるので、「堅さと軽さを両立させよう」と考えた結果、鉄の鐔を鑿でくり抜くことになった。
Q:「もり鉄に生があるなら、水をやれば、文様透は芽を出したであろう」とあるが、それはどういうことをたとえているか。
A:「鉄を素材にして鐔を作ったことによって堅さと軽さを両立させる必要が生じ、その結果として透というアイデアに至ったのは自然なことだ」ということをたとえている。
・上記のQ&Aをもとに考えると、問4の答に必要な情報は「堅さと軽さの両立」となる。
⇒では、選択肢を確認してみよう。
答に必要な情報である「堅さと軽さの両立」について言及しているのは選択肢②のみとなる。
※仮にこの問題を「『×』を探す消去法」で解くとなると、何度も課題文と選択肢の見比べ作業が必要となり、非常に時間がかかる。
「『◎』を探す一本釣り的な解き方」であれば、短時間で正確に辿り着くことができると、
吉崎氏は強調している。
※消去法の練習ばかりを続けて「どのような情報を示すべきなのか」を考えるトレーニングをしてこないと、このような事態に陥る。
粗探しのスキルだけでなく、「何を言えばよいのか」を考えるトレーニングもしてほしいという。
【補足】小林秀雄の文章について
かつて、私のブログでは、小林秀雄の文章について言及したことがある。
それは、「【雑感】小林秀雄とその文章」(2021年6月16日付、ブログのカテゴリー:文章について)である。
そこでは、次のように述べている。今回のセンター試験の問題と関連するので、引用しておこう。
国立国語研究所室長をへて、早稲田大学の教授でもあった中村明の『名文』(ちくま学芸文庫、1993年)でも指摘しているように、小林秀雄独特の修辞が用いられている点は注意しておいてよい。
たとえば、「ゴッホの手紙」(昭和26~27年)において、
「理想を抱くとは、眼前に突入すべきゴールを見る事ではない、決してそんな事ではない。」
「これはゴッホの個性的着想という様なものではない。その様なものは、彼の告白には絶えて現れて来ない。」
これらは反復否定で、「~ではない」と一度打ち消したあと、「決して~ではない」「絶えて~ない」と強く念を押し、強調的に駄目を押す文の展開である。これは批評家小林秀雄が多用する極言のひとつの方法である。極言は非常に危険な修辞であるが、小林は恐れずに用いていると中村明は解説している。
また極言は、人を驚かす内容にふさわしい形式であるともいう。たとえば、「当麻」で、世阿弥の美論に言及した際には、「美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない」という表現がこれに相当する(小林、1969年、252頁。新潮社編、2007年、106頁)
これは「ロダンの言葉」の「美しい自然がある。自然の美しさという様なものはない」を転用したものといわれる。小林という批評家は、こうした方法で人に訴えるときの効果が、それをどういう形式で表すかよりも、どこにその方法を用いるかにかかっていることは注目されるべきだと中村は説く。強調すべき点の見定めに、小林は天才的な冴えを示す批評家であったというのである(中村明『名文』ちくま学芸文庫、1993年、258頁~264頁)。
【中村明『名文』ちくま学芸文庫はこちらから】
名文 (ちくま学芸文庫)
つまり、批評家の小林秀雄が多用する修辞として、反復否定がある。
反復否定で、「~ではない」と一度打ち消したあと、「決して~ではない」「絶えて~ない」と強く念を押し、強調的に駄目を押す文の展開である。これは批評家小林秀雄が多用する極言のひとつの方法である。極言は非常に危険な修辞であるが、小林は恐れずに用いていると、早稲田大学の教授でもあった中村明氏は、『名文』(ちくま学芸文庫、1993年)でも指摘していたのである。
【ブログのリンク~「【雑感】小林秀雄とその文章」(2021年6月16日付)はこちらから】
「【雑感】小林秀雄とその文章」(2021年6月16日付)
【補足】小林秀雄の思想や歴史観について
かつて、私のブログでは、小林秀雄の思想や歴史観について言及したことがある。
それは、「饗庭孝男の小林秀雄論 その1」(2021年6月1日投稿、ブログのカテゴリー:文章について)である。
饗庭孝男『小林秀雄とその時代』(小沢書店、1997年)で論じられた饗庭孝男の小林秀雄論を紹介してみた。あわせて、小林の文章観、歴史観について解説した。
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「饗庭孝男の小林秀雄論 その1」(2021年6月1日投稿)
【饗庭孝男『小林秀雄とその時代』(小沢書店、1997年)はこちらから】
小林秀雄とその時代
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