歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

《「ミロのヴィーナス」考 その10 ケネス・クラーク氏のヴィーナス論3》

2019-12-15 19:02:40 | 西洋美術史
《「ミロのヴィーナス」考 その10 ケネス・クラーク氏のヴィーナス論3》
 


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執筆項目は次のようになる。



・【もう一つの流れとしてのゴシック的裸体像(腹部の曲線に特徴的)】
・<ギリシャ的な女性観とゴシック的な女性観の対比>
・<「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」に見えるエヴァ>
・<ドイツの画家によるゴシック的ヴィーナス像>
・<オランダのレンブラントの場合 >
・<ロダンの彫刻の場合>
・<「クニドスのヴィーナス」の対立物としてのルオーの絵>

・【まとめ】
・【補論 ウォルター・ペイター『ルネサンス』にみえるヴィーナス】








【もう一つの流れとしてのゴシック的裸体像(腹部の曲線に特徴的)】


<ギリシャ的な女性観とゴシック的な女性観の対比>


クラークの芸術観の特徴として、裸体像を建築的なイメージを利用して捉えている点が挙げられる。すなわち、裸体像は、建物に似て、理想的図式と機能的必要性との均衡の表現にほかならないとクラークは理解している。裸体像芸術家は人体各部の構成物を常に考え、その形状や組み合わせのもつヴァリエーションを模索している(芸術家は建築家と7同様に、数学的法則に従っているともいわれる)。

ミケランジェロは、裸体像の素描家として、また建築家として、ルネサンス期の比肩するものなき芸術家であった。彼は、裸体像と建築という二つの秩序の間に相関関係を感じ取り、この感覚を表わすために、「ディペンデンツァ」(Dipendenza イタリア語で一般に依存、依存関係の意)という言葉を使ったといわれる。つまり、建築と裸体像との相関関係を「ディペンデンツァ」「ディペンデンツァ」と表現した。

さて、人体の比例関係の代表的なものとしては、古典的比例とゴシック的比例の二つをクラークは想定している。それぞれ、ギリシャ的な女性観とゴシック的な女性観にみられる人体比例を対比させて考えている。例えば、前者の例として、プラクシテレスの「クニドスのヴィーナス」のポーズをとった「16世紀鋳造の古代ヴィーナス」、そして後者の例としてウィーンのメムリンクの「エヴァ」(15世紀の典型的な裸体像)とを挙げている。

古典的比例の規準(カノン)のひとつは、女性裸体像に関して、二つの乳房の間の距離と低い位置の方の乳房から臍までの距離、さらに臍から両腿の付け根までの距離が、尺度単位として同じ長さをもっていたことであるとクラークは指摘している。こうした構成が古典期および西暦1世紀までは慎重に維持されていた。

一方、ゴシック的比例の方は、臍が古典的な構成の場合よりも身体の下方についている(メムリンクの場合2倍)。そしてその人体は大層長い胴体や長い腹部の曲線をもつ。ゴシック的裸体像は、ふつう「自然主義的」とよびなされている(クラーク、1971年[1980年版]、36頁~39頁)。

クラークは、古典的で優美なヴィーナス像とは異なる、「もう一つの流れ」として、ゴシック的裸体像を想定している。ここではその流れを、具体的な作品を紹介しながら、みてゆきたい。

<「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」に見えるエヴァ>


さて、「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」は、中世フランス王国の王族ベリー公ジャン1世が作らせた装飾写本で、1410年頃に、ド・ランブールによって作られた。「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」は、フランス語でいえば、Les Très Riches Heures du Duc Berryである(日本語の訳語が難しそうな言葉であるが、フランス語では基本語からなる。単語としては、Très(adv.)とても(very)、Riches(adj.)豊かな(rich)の複数形、Heures(m)時間(hour)の複数形、Duc(m)公爵(duke)である)。

その中の挿絵のひとつに、蛇の誘惑と人間の堕落の物語を表したものがある。エデンの園の中で、エヴァは海老のようにはだかで、しかもそのはだかの状態を全く意識していないように見える。しかし、全能の神から叱責されるうちに恥ずかしさを意識するようになり、ゴシック式飾り格子のある楽園の門から追放される時には、無花果(いちじく)の葉を前にあてて「貞潔のヴィーナス」のポーズをとっている。

ケネス・クラークによれば、このはだかのエヴァは、その後200年間にわたって北方の趣味を満足させることになる新しい女性像の形となり、ド・ランブールはそれを意識的に創り出したという。
ド・ランブールの描いたエヴァは、ポンペイの三美神のような、引き伸ばされた胴部をもっている。しかし、エヴァの身体の本質的な構造はいかに東方化されているとはいえ、ヘレニスティック期芸術のもっているそれとはまったく違うようだ。その骨盤はいっそう広く、その胴はいっそう狭く、その腰はいっそう高い。そして何よりも腹部が大きく突き出ている。この点こそが、ゴシックの女体の理想像の特色であるとクラーク氏はみている。すなわち、古代の裸体像においては支配的なリズムは臀部の曲線であるが、もうひとつの流れにおいては、腹部の曲線であるというのである(クラーク、1971年[1980年版]、400頁~401頁、514頁~515頁原註124)。

<ドイツの画家によるゴシック的ヴィーナス像>


ところで、この腹部の曲線を強調する約束事に従って描いた画家として、15世紀フランドル人画家ファン・アイクとファン・デル・グースを挙げている。ファン・アイクは、ゲントの祭壇画の「エヴァ」を“球根のような肉体”として描き、ファン・デル・グースはウィーンにある小品「人間の堕落」の中にエヴァを、ヒルデスハイムの聖堂門扉のエヴァ(1010年頃)とよく似た比例で描いたとする。

15世紀の末期、北方の芸術家たちは、イタリア芸術では30年ほど前から肉体解放の動きが進行中であることに衝撃を受けた。その一人が、ドイツのルネサンス期の画家アルブレヒト・デューラー(1471-1528)である。
1496年に描かれた「女たちの入浴」のデッサンにおいては、ゴシック的好奇心と驚愕とが全体を支配しているとクラーク氏はみている。すなわち、左手の人物はほとんどミケランジェロ的であり、中央で髪を梳く女は「水から上るヴィーナス」を踏襲したが、前景で膝をついている女や、右手の太った怪物のような女は、ドイツ的であるという(腹部が大きく突き出ており、球根のような比例の肉体である)。
また「四人の魔女」の題名で知られる1497年の版画は、古典主義に対する好奇心を示しているものの、肉体のもつ重々しい不規則な特性に惹かれており、古典的図式を滅茶滅茶にしていると評している。

そして同じくルネサンス期のドイツの画家クラナッハ(1472-1553)はゴシックの身体に新しい様式を与えた。マニエリスムと、復活したゴシック趣味との両方の要素が混じり合った人工的な作品を創り出した。例えばクラナッハの「ヴィーナス」という作品がある。これは15世紀写本装飾のエヴァの発展したかたちであるとクラーク氏はみている(実際、クラナッハは優れた考古趣味の持主で、15世紀の作品を模写している)。
クラナッハの肉体美に対する個人的趣味は、幅の狭い肩と大きく突き出た腹部とをもつゴシック風の身体を材料として、それに長いしなやかな脚と、ほっそりした腰と、優しくうねるような輪郭線とを与えたものであった。クラナッハは肉体の美についてのわれわれの想像力のレパートリーに新しいものをつけ加えた稀な芸術家のひとりであるとクラーク氏は評価している(クラーク、1971年[1980年版]、394頁、400頁~406頁)。

<オランダのレンブラントの場合 >


また、古典主義に挑戦したオランダの画家レンブラント(1606-1669)も、肉体のもつみじめな不恰好さを仮借なく描き出した。神話上の「ダイアナ」や、古代の美女「クレオパトラ」といった作品では、肉体に対する中世的見方=ゴシックの約束事を受け入れている(この点、「可愛い女(ラ・プティト)」という新しい裸体像の美の理想を完成した18世紀のブーシェ[1703-1770]の「ダイアナ」(ルーヴル美術館蔵)と比較してみると一目瞭然であろう。そこでは、甘美なロココ絵画を代表する画家らしく、繊麗な若々しい肉体をもつダイアナが優雅なポーズをとり、洗練された印象を受ける。ブーシェの第一のパトロンはあのポンパドゥール夫人であった!)。

そしてレンブラントは、女性のみならず、男の裸体像も、フォン・デル・グースの描くアダムのように、薄っぺらで平らに描いた。つまりレンブラントの男性像のモデルは、女たちがみっともないほど太っているのと同じ程度に、みじめなほど痩せていた。古典的優美さという考えは、レンブラントを悩ませたようだが、若い肉体の整った比例より、年老いた身体のゴシック的な太った塊りの方を好んだとクラーク氏はみている。

ルーヴル美術館にあるレンブラントの至高の芸術作品のひとつである「バテシバ」(「ダビデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴」Bethsabée au bain tenant la lettre de David)という絵は、若い女性の身体(レンブラントの愛するヘンドリッキエがモデルとされる)を描いている。
実際、ケネス・クラークは、この作品を「レンブラントが描いた裸婦画の最高傑作」と高く評価している。ただし、この裸体像についてのレンブラントの考え方はまったく非古典的であるともいう。例えば、その豊かな腹部、その重々しい実用的な手と脚は、ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」の理想的な形態と比較すれば明らかであるが、それらは偉大な高貴さを実現していると主張している。そして、こうした不幸な肉体に対するこのキリスト教的受け入れは、同時に魂に対するキリスト教的特権をもたらしたとする(クラーク、1971年[1980年版]、192頁~194頁、420頁~426頁)。

<ロダンの彫刻の場合>


その後、19世紀末になって、憐みの裸体像として最も完全に出来上っている芸術作品は、ロダン(1840-1917)の「美しかりしオーミエール」である。レンブラントの老婆の身体は優美さに欠けていたとはいえ、なお力強く、仕事にも堪えられるものであったが、ロダンの老婆は老衰の最後の姿であり、ひとつの「死を忘れるな」(memento mori)の訓えであり、ある種のゴシックの人物像を思わせると評している。つまりロダンは、オーミエールの皺だらけの身体に、ゴシックの構成の偉大さを見出したとクラーク氏はいう(クラーク、1971年[1980年版]、192頁~194頁、406頁~427頁)。

ロダンは、自分はギリシャ人とゴシックの彫刻家の弟子であると主張していた。しかし、クラークは、ロダンを「偉大なロマン派の巨匠たちの最後の後継者」とみている。すなわち、長い歴史の中で見れば、ロダンは、ミケランジェロの創意を受け継ぎながら、それを瞬間的・絵画的なものに変えつつ、ジェリコーとドラクロワの悲劇性を彫刻の世界にまで拡げて行った芸術家であると捉えている。ロダンの形態感覚は驚くほどドラクロワのそれに近いし、「地獄の門」の中のある種の人間像が、ダンテの小舟にしがみつく亡者たちの魂から影響を受けているという(クラーク、1971年[1980年版]、339頁)。

<「クニドスのヴィーナス」の対立物としてのルオーの絵>


近代西洋美術史では、一般にフォーヴィスムに分類される、フランスの画家ルオー(1871-1958)は、シャルトル大聖堂のステンドグラス修復に従事したことだけはあって、ステンドグラス風の太い黒の線で輪郭を描く特有の重厚な筆触で、宗教画の傑作を数多く残した。

ルオーが、1903~04年にかけて描き出した、はだかの娼婦の絵は、おそろしいイメージで迫ってくる。そこで、クラークは、「いったいどのような理由でギュスターヴ・モローのおとなしい弟子が聖書の情景やレンブラント風の風景からこの粗野な堕落の怪物に向うようになったのだろうか」という問いを投げかけている。この問いに次のように答えている。1903年前後の物質的な社会においては、世間的な体裁による誤魔化よりも絶対的な堕落の方が贖罪に近いとする彼の友人のネオ・カソリック教義がその理由であったとする。
ただ、興味深いのは、この信仰を伝える手段として、ルオーが裸体像を選んだ事実である。ルオーがそうしたのは、それが最も大きな苦痛を与えるために、敢えて粗暴に描き出したという。

理想化された人間の肉体(例えばボッティチェリとかジョルジョーネのヴィーナス)を見る時に感じる喜びに満ちた繊細な感情は、ルオーの「娼婦」を見ると、脅かされ、卑しめられる(欲望の昇華は汚辱そのものの存在にとって代られた)。
形態の点から言えば、その最初の創造の時から裸体像に実現されていたもの(すなわち健康な構造の感覚、明確で幾何学的な形と調和のとれたその配置)は、ふくれ上がった無気力な肉の塊りのためにすっかり見捨てられてしまったとクラークはルオーのこの絵を解説している(クラーク、1971年[1980年版]、427頁~430頁)。

 そして、次のように述べる。
「しかしそれでもなお、このおぞましいイメージが必要だということを、ルオーはわれわれに納得させてくれる。それは≪クニドスのヴィーナス≫の究極的な対立物であって、二千年ほど遅れて登場はしたが、しかしそれと同じように避け難いものなのである。あらゆる理想はすべて崩壊する。一九0三年という時点においては、肉体の美に対するギリシャの理想は、すでに一世紀にわたって奇妙な破壊作用を蒙っていた。その真理を裏から確認させてくれるものとしては、おそらく娼家で描いたドガのデッサンがその最初のものとして挙げられるであろう。このようにして、アカデミックな裸体像の形態上の偽りは、ある程度までは道徳上の偽りでもあったということがはっきりと暗示された。というのは、カバネルやブーグローの裸体像を称揚していた愛好者たちも、実はメゾン・テリエにおいて真実の姿を見ていた筈だからである。ドガの娼婦たちは、エジプトの彫刻家の手になる淫らな昆虫の像のように生きた存在であるし、同じ主題を扱ったトゥールーズ=ロートレックのパステルは、あるひとつの時代と社会の性格をわれわれに伝えてくれる。だが、ルオーの人間像は別の世界に属している。≪クニドスのヴィーナス≫と同じように、それは「礼拝の対象」である。ただそれを支える信仰は、クニドスのそれよりもむしろメキシコのそれに近い。彼女は、われわれに憐みよりもむしろ恐怖の念を抱かせる怪物のような偶像である。この点において、ルオーは、肉体の醜さの探求における最も大胆な先駆者であり、ルオー自身も深く尊敬していたレンブラントとも、まったく違っている。レンブラントの態度は道徳的であった。ルオーのそれは宗教的である。それなればこそ、彼の脅かすような娼婦が、われわれにとってきわめて重要なものとなる。彼女のおぞましい肉体は、深い畏怖の精神にもとづいて生み出されたものである故に、やはり理想的なのである。」
(クラーク、1971年[1980年版]、431頁)。

ルオーの「娼婦」は、「クニドスのヴィーナス」の究極的な対立物であったとクラークは捉えている。
肉体の美に対するギリシャの理想は、娼家で描いたドガのデッサンあたりから、1世紀にわたって破壊され始めた。カバネルやブグローといったアカデミックな裸体像の形態上の偽りに気づき、ドガやトゥールーズ=ロートレックが、デッサンやパステルで、真実の姿を表現しようと模索し始め、あるひとつの時代と社会の性格を伝えた。

だが、ルオーの人間像は別の世界に属していたという。「クニドスのヴィーナス」と同じように、「礼拝の対象」であったが、それを支える信仰は古代ギリシャの信仰より、メキシコのそれに近く、恐怖の念を抱かせる怪物のような偶像であるとクラークは説明している。
この点、ルオーは「肉体の醜さの探求における最も大胆な先駆者」であるとする(ルオーが尊敬していたレンブラントの態度は道徳的であったため、この点、ルオーとは違うという)。
娼婦のおぞましい肉体は、「深い畏怖の精神にもとづいて生み出されたものである故に、やはり理想的なのである」と、クラークは逆説的にルオーの裸婦像を理解している。


【むすび】


以上、ケネス・クラークの『ザ・ヌード』の内容を紹介しながら、ヴィーナス論をみてきた。
 ケネス・クラークの『ザ・ヌード』は、500頁をこえる大著であり、古代から近代にまで及ぶ幅広い時代の中から、裸体像に関する西洋美術の作例を解説した名著である。
 目次からみると、第2章の「アポロン」で男性裸体像、第3、4章の「ヴィーナス」で女性裸体像を考察し、これらの主題が、その後の各章に通底しているという構成であった。
 ヴィーナス像の歴史を見た場合、紀元前4世紀半ばのプラクシテレス「クニドスのヴィーナス」は、肉体の欲望を穏やかに甘美に形象化したという意味で、画期的な彫像で、美しい人体表現によってギリシャ世界を豊かにした。
後期ヘレニスティックの芸術家によって制作された「ミロのヴィーナス」は、「最も複雑かつ技巧的な産物のひとつ」であり、「古典的な効果をもったバロック的構造物」「最も輝かしい人体の肉体的理想のひとつ」( 122頁)としてクラークは捉えている。また「「麦畑に立つ楡の木を想わせる」( 122頁)とも喩えている。
ルネサンス以降のヴィーナス像の歴史をみてみると、「ヴィーナスの最大の詩人のひとり」( 131頁)として、ボッティチェリが、「春」「ヴィーナスの誕生」を描く。
 そしてレオナルド・ダ・ヴィンチは「生殖的な生命のシンボルとして表現」「生殖のアレゴリーの表現」( 159頁)として「レダと白鳥」という素描を残した。そして、「ヴィーナスの至上の巨匠」( 122頁)として位置づけられるラファエロは、古典世界以後におけるプラクシテレスたるべき天分を賦与され( 143頁)、「ヴィーナス」「レダ」といったデッサンを描いている。
その後、ジョルジョーネが、古代彫刻「クニドスのヴィーナス」の地位に匹敵する名画「眠るヴィーナス」(ドレスデンのヴィーナス)を描く( 153頁)。また「官能の叙事詩人」ティツィアーノが「水から上るヴィーナス」を矩形的なデザインに変更して描き、ルノワールの主題を先駆した( 168頁)。そしてバロックの大家ルーベンスが「ヴィーナスとアレア」を描くが、そのアレアの姿勢には「うずくまるヴィーナス」の影響が認められる( 186頁)。 
 近代以降では、アングルがヴィーナスを解放し「クニドスのヴィーナス」に返す試みを実現した画家としてクラークは捉えている( 196~197頁)。「水から上るヴィーナス」そして「泉」(美術史上最も名高い裸婦のひとつ)を描いた。
 また、ルノワールが、プラクシテレスの「クニドスのヴィーナス」の版画から着想を得て、同じポーズをとらせた「浴女とグリフォンテリアの犬」を描く。ただ寸法は異なり、豊かな肉付きでルノワールらしい女性像を残した( 211頁、216頁、218頁) 
 こうした流れの一方で、「もうひとつ流れ」があり、「肉体の醜さの探求における最も大胆な先駆者」として位置づけられるルオーが、「クニドスのヴィーナス」の究極的な対立物ともいえる「娼婦」という作品を残した(431頁)。
 
 以上の要約を簡単な表にまとめてみたので、掲載しておく。

【クラークのヴィーナス論のまとめ表】










































































芸術 クラークの評価 作品
プラクシテレス 肉体の欲望を穏やかに甘美に形象化( 113頁) 脚に衣を巻きつけて彫像の足場を堅固にすることに成功( 119頁) 「クニドスのヴィーナス」「アルルのヴィーナス」(テスピアイのアフロディテ)
後期ヘレニスティックの芸術家 「美」のシンボル( 120頁) 「麦畑に立つ楡の木を想わせる」( 122頁)
最も複雑かつ技巧的な産物のひとつ( 122頁) 古典的な効果をもったバロック的構造物( 122頁) 最も輝かしい人体の肉体的理想のひとつ( 122頁)
「ミロのヴィーナス」
ボッティチェリ ヴィーナスの最大の詩人のひとり( 131頁) 「春」(ゴシック的) 「ヴィーナスの誕生」
レオナルド・ダ・ヴィンチ 生殖的な生命のシンボルとしての表現 生殖のアレゴリーの表現(159頁) 「レダと白鳥」
ラファエロ ヴィーナスの至上の巨匠( 122頁) 古典世界以後におけるプラクシテレスたるべき天分を賦与( 143頁) デッサンの「ヴィーナス」
ジョルジョーネ 古代彫刻「クニドスのヴィーナス」の地位に匹敵( 153頁) 「眠るヴィーナス」(ドレスデンのヴィーナス)
ティツィアーノ 官能の叙事詩人(ルノワールの主題を先駆) 矩形的なデザインに変更( 168頁) 「水から上るヴィーナス」
ルーベンス 「自然のヴィーナス」の巨匠(182頁) バロックの大家( 186頁) 「ヴィーナスとアレア」
アングル ヴィーナスを解放し「クニドスのヴィーナス」に返す試みを実現した画家( 1196~197頁) 「水から上るヴィーナス」「泉」(美術史上最も名高い裸婦のひとつ)
ルオー 肉体の醜さの探求における最も大胆な先駆者 「クニドスのヴィーナス」の究極的な対立物( 431頁) 「娼婦」



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【補論 ウォルター・ペイター氏によるヴィーナス論】


ウォルター・ペイターと『ルネサンス』


ウォルター・ペイターは美の理念の追求に生涯をかけた19世紀末の英国の批評家である。処女作『ルネサンス』は、芸術としての批評、いわゆる創造的批評を開花させた名高い著作である。『ルネサンス』は、ルネサンスをギリシャ精神とキリスト教とが融合した究極の芸術と捉え、代表的なルネサンスの芸術家の肖像を描いた印象主義批評の古典である。

「すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる」という有名な言葉(「ジョルジョーネ派」より、富士川訳138頁)、「千年ものあいだに男たちが欲望の対象」であった「モナ・リザ」への賛美(「レオナルド・ダ・ヴィンチ」より、富士川訳128頁)などがよく知られている。
オスカー・ワイルドは、ペイターを「創造的な印象主義批評家」と呼んだ。
「訳者あとがき」で富士川義之氏も解説しているように、「ペイターは、ちょうど突然日光が射したために平凡な田園風景が一瞬のうちに変容して見えるときのように、一見ささやかとも見える日常的な事物や情景のなかにひそむ美を知覚したり発見することに重要な意味や価値を見い出し」たといわれる。瞬間の微妙な美的印象に執着した。
ルネサンスの芸術家たちは、いわば印象主義的な「瞬間の美学」を芸術の基盤にしていたと見ている。そしてその基盤を支えていたのが、ヘレニズムとキリスト教の融合という状態であったとする。ペイターは、こうした前提をもって、その批評を展開しているようだ(ウォルター・ペイター(富士川義之訳)『ルネサンス 美術と詩の研究』白水社、2004年、253頁~254頁)。


ルネサンス―美術と詩の研究 (白水uブックス)


ヴィーナスについて


ペイターは『ルネサンス』の「フランスの古い物語二篇」の中でヴィーナスについて、次のように言及している。

「中世における理性と想像力の急激な出現、心の自由の確認、それを私は中世のルネサンスと名づけたのだが、その最も強烈な特徴のひとつは、信仰至上主義、すなわち時代の道徳的・宗教的理念に対する反逆や反抗の精神である。感覚と想像力の快楽を求め、美を愛し、肉体を崇拝するとき、人びとはキリスト教の境界を踏み越えざるをえなかった。しかも彼らの愛は、ときには奇妙な偶像崇拝、キリスト教の競争相手である奇妙な宗教になったのである。それは、死ぬことなく、ヴェヌスベルクの洞窟にしばらく姿を隠していただけの、あの古代のウェヌス(ヴィーナス)の復帰であった。あらゆる種類の装いに身をやつして、地上をいまなおあちこち往来している古い異教の神々の復帰であったのだ。」
 (ウォルター・ペイター(富士川義之訳)『ルネサンス 美術と詩の研究』白水社、2004年、34頁)。
  
 One of the strongest characteristics of that outbreak of the
reason and the imagination, of that assertion of the library of the
heart, in the middle age, which I have termed of a medieval
Renaissance, was its antinomianism, its spirit of rebellion and
revolt against the moral and religious ideas of the time. In their
search after the pleasures of the senses and the imagination, in
their care for beauty, in their worship of the body, people were
impelled beyond the bounds of the Christian ; and their
love became sometimes a strange idolatry, a strange rival reli-
gion. It was the return of that ancient Venus, not dead, but only
hidden for a time in the caves of the Venusberg, of those old
pagan gods still going to and fro on the earth, under all sorts of
disguises.
(Walter Pater, The Renaissance : Studies in Art and Poetry, Dover Publications, INC.,1893[2005], p.20.)

The Renaissance: Studies in art and poetry (Works of Walter Pater)

ペイターがルネサンスを考える際に、
・中世における理性と想像力の急激な出現
・心の自由の確認
・信仰至上主義に対する反逆や反抗の精神
を挙げている。
キリスト教の理想と古い異教とを対置させ、その古い異教とは、「感覚と想像力の快楽を求め、美を愛し、肉体を崇拝する」宗教である。「奇妙な偶像崇拝」「古い異教の神々」の一つが古代のウェヌス(ヴィーナス)であり、ルネサンスとは、「古い異教の神々の復帰」「代のウェヌス(ヴィーナス)の復帰」(the return of that ancient Venus)という特徴があったというのである。この反抗、心の自由という側面をもち、「美を愛し、肉体を崇拝する」存在が、ヴィーナスであったとペイターは捉えている。

「ミロのヴィーナス」について


ペイターは、「ルカ・デッラ・ロッビア」を論じた中に、「ミロのヴィーナス」について言及している。

「時と偶然により、ミロのヴィーナスは「小さなミロの畑」の畝の下で暗黒の数世紀を過ごしたために、その表面が磨滅し線が和らげられて驚くべき巧妙な仕上がりぶりを見せている。そのため、そのなかに潜むある精神がつねにいまにも外へ現われ出そうに見え、あたかも、古代彫刻がこの作品においてはすでに神秘的なキリスト教時代に一歩近づいたかのような観を呈しているのだが、この作品の表現は、古代作品全体のなかで、ミケランジェロ自身の表現に最もよく似かよっている。これと同じ効果をミケランジェロは、ほとんどすべての彫刻作品を、現実の形態を実現するというよりもむしろ暗示するような、一種謎めいた未完成な状態に放置することによって、獲得する。」
(ウォルター・ペイター(富士川義之訳)『ルネサンス 美術と詩の研究』白水社、2004年、205頁)。

What time and accident, its centuries of darkness under
the furrows of the “little Melian farm,” have done with singular
felicity of touch for the Venus of Melos, fraying its surface and
softening its lines, so that some spirit in the thing seems always
on the point of breaking out, as though in it classical sculpture
had advanced already one step into the mystical Christian age,
its expression being in the whole range of ancient work most like
that of Michelangelo’s own: ― this effect Michelangelo gains by
leaving nearly all his sculpture in a puzzling sort of incomplete-
ness, which suggests rather than realises actual form.
(Walter Pater, The Renaissance : Studies in Art and Poetry, Dover Publications, INC.,1893[2005], pp.47-48.)

ここでは、ミケランジェロの完成された彫刻作品に見られる「暗示的で、未完成な状態」からミロのヴィーナスと同様の効果が生まれているとも語られる。


ペイターはルネサンスの定義にはヴィーナスを重要な要素として挙げているが、ヴィーナス像そのものに対する興味・関心は薄かったようである。
ペイターは19世紀後半の人であるので、「ミロのヴィーナス」にも言及している。例えば、「ヴィンケルマン」を論じた中に、次のようにある。

 「ところがギリシア美術の作品を例にとってみよう――たとえばミロのヴィーナス。これは、いかなる意味においても、それ自体の圧倒的な美しさ以外の何かの象徴とか、暗示ではない。心は有限のイメージで始まり有限のイメージで終わり、しかもその精神的動機のいかなる部分も失うことがない。その動機は、意味が寓意(アレゴリー)に付着しているような具合に、感覚的形態に軽くゆるやかに付着しているというのではなく、その形態に浸透し、それとひとつになっているのである。ギリシア精神は、自己省察の一定の段階までは達したが、注意深く、その段階を超えることはなかった。」
(ウォルター・ペイター(富士川義之訳)『ルネサンス 美術と詩の研究』白水社、2004年、205頁)。

 But take a work of Greek art, ― the Venus of Melos. That is in
no sense a symbol, a suggestion, of anything beyond its own vic-
tortious fairness. The mind begins and ends with the finite
image, yet loses no part of the spiritual motive. This motive is
not lightly and loosely attached to the sensuous form, as its
meaning to an allegory, but saturates and is identical with it. The
Greek mind had advanced to a particular stage of self-reflection,
but was careful not to pass beyond it.
(Walter Pater, The Renaissance : Studies in Art and Poetry, Dover Publications, INC.,1893[2005], pp.134-135.)

ペイターが、ここでギリシャ美術の作品の例として、「ミロのヴィーナス」を挙げているのは、ギリシャ美術とキリスト教中世の神秘的な美術との間の相違を考えた場合の例示としてである。
中世美術の作品の例としては、フィレンツェのサン・マルコ教会の僧房にあるアンジェリコの「聖母戴冠」を挙げている。アンジェリコのフレスコ画には、感覚的なもの(羊毛のような髪の毛、薔薇色の光輪、真珠の冠など)が描かれているが、表現不能な世界の象徴ないしは類型にすぎない。中世においては過剰な内面性のゆえに、芸術によって提示された内容が処理しきれていない。感覚的形態で何とか表現しようとして苦闘するが、なかなかうまくいかないという。つまり感覚的形態はせいぜいのところ意味を詰め込んだ象徴、観念を暗示する手段にすぎない。

それに対して、ギリシャ美術の作品はどうか。「ミロのヴィーナス」は、「それ自体の圧倒的な美しさ」であり、それ以外の象徴とか暗示ではないというのである。「心は有限のイメージで始まり有限のイメージで終わり」、その動機は、感覚的形態に浸透し、それとひとつになっているとペイターは述べている。ギリシャ思想は、「内面的にすぎるというところまではいっていない。精神はまだ肉体からの独立を誇ることを知ってはいない」(206頁)という。

古代ギリシャのヴィーナス像について


「また、最もすぐれたギリシア彫刻では、アルカイックな不動性に活が入れられて、その形態に動きが出ているが、その動きは常に抑制されたもので、何らかの明確な行為をあらわしていることは滅多にない。ギリシア彫刻の姿態は実に多種多様で、この方面でのギリシア人の創作は何とも申し分のないものだが、許容されている動作や状態は、単純で少ない。ギリシアには聖母はいない。女神はいつも子供がいない。作者が選んだ動作は、神々に近い人物以外には、取るに足らぬものばかりである――たとえばサンダルを紐でゆわえるとか、入浴の準備をするとか。もっと複雑で意味のある行為が許されるときでも、その行為がちょうど終わったところを描いたものが大部分であって、そのため作品からはどうなるのかという熱心な期待が取り除かれている。たとえば、大蛇ピュトンを殺したばかりのアポロンの姿とか、あるいはすでにパリスのりんごを手にもっているヴィーナスの像とか。ラオコーンの像は、忍耐強いありとあらゆる研究によって、ほとんど処理不可能な題材を克服したものだが、従来は目を楽しませるがゆえに絵画においてのみ正当と認められていた効果を、いまや彫刻が目指しはじめることになったひとつの新紀元を画する作品である。」
(ウォルター・ペイター(富士川義之訳)『ルネサンス 美術と詩の研究』白水社、2004年、215頁)。

Again, in the best Greek sculpture, the archaic immobility has
been stirred, its forms are in motion ; but it is a motion ever kept
in reserve, and very seldom committed to any definite action.
Endless as are the attitudes of Greek sculpture, exuquisite as is
the invention of the Greeks in this direction, the actions or situ-
ations it permits are simple and few. There is no Greek
Madonna ; the goddesses are always childless. The actions
selected are those which would be without significance, except
in a divine person ― binding on a sandal, or preparing for the
bath. When a more complex and significant action is permitted,
it is most often represented as just finished, so that eager
expectancy is excluded, as in the image of Apollo just after the
slaughter of the Python, or of Venus with the apple of Paris
already in her hand. The Laocoon, with all that patient science
through which it has triumphed over an almost unmanageable
subject, marks a period in which sculpture has begun to aim at
effects legitimate, because delightful, only in painting.

(Walter Pater, The Renaissance : Studies in Art and Poetry, Dover Publications, INC.,1893[2005], pp.141-142.)

ギリシャ彫刻の姿態は多種多様であるが、作者が選んだ動作は神々に近い人物以外には、取るに足らないとペイターはみている。
 ・サンダルを紐でゆわえる(binding on a sandal)
・入浴の準備をする(preparing for the bath)
・「その行為がちょうど終わったところを描いたもの」として、「すでにパリスのりんごを手にもっているヴィーナスの像」([the image ] of Venus with the apple of Paris already in her hand.)
を例示に挙げている。
ハヴロックの著作を紹介した際に説明したように、「サンダルを紐でゆわえる」の方は、「サンダルを履くアフロディテ」、「入浴の準備をする」の方は、「クニドスのアフロディテ」または「カピトリーノのアフロディテ」などを指すのであろう。
そして「すでにパリスのりんごを手にもっているヴィーナスの像」は、訳者が註を施しているように、「パリスの審判」でトロイア王の息子パリスから勝利の黄金のりんごを与えられたアフロディテ(ヴィーナス)を指す(富士川訳、2004年、250頁訳者註56)。

【コメント】
ハヴロックも、ウォルター・ペイターの見解について、「第4章 その後:クニディアに触発された諸作品」において言及していた。
「ロダンもほめたたえ、1872年には、ウォルター・ペーターが、この作品によって彫刻という芸術が「キリスト教時代の精神的象徴に向けて一歩」踏み出したと宣言している」(ハヴロック、2002年、110頁)。

また、ここでペイターは、「ギリシアには聖母はいない」(There is no Greek Madonna)という味わい深い一文を記している。
このことは、歴史を少し学んだ人なら、余りにも自明の理である。ただ、後述するように、若桑みどりのヴィーナス論、聖母マリアとヴィーナスの関係で見る時、この一文の意味するところは、示唆的で含蓄深いことに思いあたろう。

若桑は、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品はとても少ないが、その80%が「聖母子」であり、これはちょっと驚くべきことであると指摘している(若桑、1983年、22頁)。レオナルドは、ギリシャ神話の「レダ」の素描は描いたが、ヴィーナスを描いた形跡は認められず、もっぱら「聖母子」と女性の肖像画などに集中していたことになる。

ミケランジェロは「ダビデ像」のような秀逸な彫像を残したのにもかかわらず、ヴィーナス像を彫ることはなく、若桑も指摘するように、アポロン像が関心事で、男性美に惹かれた彫刻家であった(ただ、クラークが指摘しているように、「ピエタ」像は、図らずもブロンツィーノのヴィーナス像に影響を与えたとみられている)。

こうした画題に対する志向には、レオナルドとミケランジェロにある種の共通性があるような気がする。「プリマヴェーラ」や「ヴィーナスの誕生」でヴィーナス像を追求したボッティチェリとは明らかに異なるのである。
今後も、「ギリシャには聖母はいない」という一文は深く掘り下げて考えるべき命題であろう。


ウォルター・ペイターの題辞とヴィーナス


ウォルター・ペイターの『ルネサンス』の題辞とヴィーナスの関係を論じた、興味深い論文がある。それは上村盛人「「鳩の翼」が意味するもの―『ルネサンス』の題辞(エピグラフ)をめぐって」日本ペイター協会編『ペイター『ルネサンス』の美学』論創社、2012年所収、86頁~98頁)である。

ペイターは、『ルネサンス ―芸術と詩の研究』(1873年初版、1893年第4版)によって、審美主義の代表的批評家・作家としてのゆるぎない地位を確保した。
ペイターは、1893年の第4版で、
「だがあなたたちは鳩の翼のようになるのです。」
(“Yet shall ye be as the wings of a dove.”)
という一文を書物全体の題辞(エピグラフ)として新たなに付け加えている。ペイターがこのような題辞をつけた理由を上村論文は考察している。

ペイターが題辞として用いた文章は、旧約聖書『詩篇』(第68篇13節)に由来すると従来見なされてきた。
しかし、反キリスト教的道徳律廃棄論者であったペイターが、旧約聖書を出典としたとは考え難いようで、そうではなく、スウィンバーンの古典ギリシャ的な悲劇『カリドンのアタランタ』(1865年、富士川義之の訳者註248頁参照のこと)の中に、この謎めいた題辞に関わる鍵があると上村氏は主張している。
その中には、愛と美の女神アフロディテ(ヴィーナス)を讃えた歌の一節に、
「あなたの翼は、鳩の翼のように、空中に輝きながら舞って行きます。」
 (Thy wings make light in the air as the wings of a dove.)
とある。
この文をペイターは『ルネサンス』の題辞に応用したという。そして、先に引用したペイターの「ウェヌス(ヴィーナス)の復帰」の文章は、スウィンバーンの『アタランタ』の詩行の内容と一致していると説明している。
ところで、1890年前後の英国社会は、同性愛などをめぐる性の問題を市民社会および文化に関わるものとして問い直す動きが際立つ時代であったとされる(同性愛をめぐって1895年にはオスカー・ワイルドの裁判があったが、ペイターはその1年前に死去している)。

ペイターが『ルネサンス』の第4版を出版したのは1893年頃の社会状況は、審美主義者と保守主義者がマスメディアを通じて議論を繰り広げていた。ペイターのような審美主義者は、キリスト教に代わるものとして、古代ギリシャ芸術を理想化する新しい美の崇拝、フランス文化の受容、同性愛への理解などを主張したという。
『ルネサンス』の第4版を出すに当たって、ペイターは勇気を振り絞って新たに付け加えたのが、「だがあなたたちは鳩の翼のようになるのです」(富士川訳では、「汝らは鳩の翼のごとく」[2頁])という題辞だったのではないかと考えられる。

ともあれ、『ルネサンス』の題辞は、見かけ上は聖書からの引用というポーズを採りながら、「鳩の翼のように」は、スウィンバーンの『アタランタ』を出典としていて、題辞全体でヴィーナスを始めとする異教の神々の復活を称えるというのが、審美主義を理解する人々に向けて、ペイターが仕掛けたひそかな目論見だったと解釈されている。題辞全体でヴィーナスを始めとする異教の神々の復活を称えるというメッセージがあるとみられている。

そして、題辞の中の「鳩」が、ヴィーナス(アフロディテ)の鳥、アトリビュートであることはいうまでもない(ここで、「ミロのヴィーナス」の復元案の一つとして、中村るいは「第3案 左ひじを台にのせ、リンゴをもち、右手に鳩ととまらせている」という案があることも想起したい。中村、2017年[2018年版]、199頁)。
ケネス・クラークは、ペイターが公然たる異教徒であると同時に、儀式的なイギリス国教会(アングリカン・チャーチ)に対して感覚的な魅力を感じていたと指摘している。更にクラークは、ペイターの『ルネサンス』が、ワイルド、プルースト、イエイツ、ベレンソンなど、後代の文学者や美術研究家に決定的な影響を与えた書物であったと述べている(上村、2012年、86頁~98頁参照のこと)。








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