象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

続・安物買いの銭失いと激安の心理学

2022年06月18日 08時38分59秒 | お題

 前回のWindowsタブレットに引き続き、更に安い1500円で10㌅Androidタブレット(写真)を落としてもた。
 ”安物買いの銭失い”と分かっていても、無意識に指がポチってしまう。
 私にとって、”激安の心理学”とは(切りたくても)切り離せない関係にあるらしい。

 事実、安値で落とせるには、チャンとした理由がある。
 それは超の付く位に人気がないのか?それとも使い物にならないジャンク品か?である。
 前回落としたタブレットは(2013年末に登場した)”8年もの”の古株で、メモリが2GB(ストレージは64GB)とはいえ(使えるソフトは限られるが)そこそこ動いてはくれる。
 しかし、所詮は(ただでさえ重い)Windowsだ。サイト閲覧と動画視聴が目的で落としたつもりだが、(スマホと比べ)モッサリ感は拭えない。それに、長く使ってると(高齢化タブレットの如く)しばしフリーズする。
 やはりAndroidじゃないと、貧相なスペックでは無理なのだろうか・・・


続・安物買いの銭失い

 そこで(あくまで実験的買い物と割り切り)、サイト閲覧とブログ記載用として、幅広でフルHD(1920×1200)のAndroidタブレットが試しかった事もあり、”安物買いの銭失い”を覚悟で、今回の落札に至った。
 届いたのは、テックウィンド製の”CLIDE-A10A”という(2016年登場の)殆ど無名に近い端末である。法人用として配布されてたらしく、時折(Cランクの)中古品が5千円ほどで売られている。1.33GHz(Max1.88)×4/2GB/16GB/Android5.01/8000mAh/USB×2+MiniHDMI/590g(260x9.6x168mm)と、昨今のタブレットに比べると(デカいだけの)ロースペック10インチ端末である。
 それに、液晶の中央部分に(3×6mm程の)楕円状の”にじみ”があり、お陰で競合も殆どなく、激安で手に入れる事ができた。
 実質のジャンク品だが、包装はしっかりとして対応も完璧だった。600g近いので重さが心配だったが、意外に薄く軽く感じたのは救いである。
 販売元は東京にある小さな会社だが、韓国か台湾製らしく、古い機種にしては筐体はしっかりと、そしてバランスが取れてる様にも思えた。
 USB(タイプA)とMicroUSB(タイプC)があるので、充電しながらキーボードを繋ぐ事ができる。実は、これが”買い”の大きなポイントだった。
 今もメモアプリを開き、充電しながらキーボードを叩いてる。お陰で、電池切れを気にする事なくブログが書け、当初の目的は達成された事になる。

 実は、ブログを書く時、老眼が加速したせいか(スマホの文字がより小さく見え)ストレスが貯まる様になっていた。
 それに昨今のスマホは殆どが縦長の画面なので、僅か20字ほどで折り返しになる。しかし、幅広の10インチフルHD(1920×1200)だと、35文字ほどで画面一杯に広がるから、私の(ダラダラと長く理屈っぽい)記事もストレスなく書けるし、殆どスクロールなしで確認できる。
 肝心の動画視聴だが、(大画面の分)立ち上がりこそもたつくが、やはり10インチあれば迫力が増す。但し、フルHDタブの大きさとしては、これ(26×17センチ)が限界だろう。Amazonビデオもアプリが導入でき、Windows版よりも軽快である。流石に動画の解像度は480p程度に落ちるが、(Windowsに比べ)コマ落ちは全くない。
 但し、音源をケチってる為に音が弱くてしょぼい。それでも流石Android、Windowsに比べれば(全ての面で)使い勝手はいい。

 前回もそうだが、出品者に良識があれば(激安のジャンク品扱いでも)大きなハズレを引く事はない(多分)。しかし、起動時に結構な時間が掛かり、サイト立ち上げのモッサリ感は拭えないが、(嬉しい事に)タブレットは”大きいだけのスマホ”ではなかったのだ。
 フルHDで幅広表示の為に、縦置きならモバイル版サイトが一気に読める。これがデスクトップPCだとモニタは20インチを超え、更に横置きに限定されるから、横の余分なスペースがストレスになり、こうは行かない。
 実はブログを書く為に、(なかなか値崩れしない)中古のiPadminiを買おうかなと思ってただけに、今回は少し得した気分になった。勿論、(駅弁と同じく)iPad端末には高価なだけの付加価値はある。
 しかし今の私には、3リットルの二級酒の価格帯に近い中古端末で十分過ぎるのだ。


激安の心理学

 所詮、モノは(一度手にすれば)一銭の値打ちも存在しない(多分)。
 存在するのは、自己満足という幻想に近い価値感だけである。「価格の心理学」(リー・コールドウェル著)じゃないが、購買というのは”値段とそのポジショニングが支配する”世界なのである。故に、高価でもポジショニングというマーケティングがしっかりとしてれば、iPadみたいにバカ売れするのだろう。
 事実、アップルは顧客を支配層や上級層に設定(ポジショニング)する事で世界一のシェアを獲得してきた。つまり、負け犬や貧乏人は”安い中華Androidを買え”って事なのだろうか。

 仮に、どんな糞ワインでもグラスに注がれて提供されたら、580円の値をつけても大衆は喜んで飲む。(洒落たレストランなら)シャンパングラスに注がれれば980円でもバカは飲む。それに対し、1リッターのペットボトルや紙パックで無造作に提供されたら、僅か千円でも尻込みする。
 つまり、同じ糞ワインでもポジショニング次第では、容量に換算すれば(実質の)価格で3倍近くの開きがある。
 これと同じ事が、スマホやタブレット端末でも言えやしないか?
 どんなモノの価値も、最終的には”楽しさ”と”苦しさの回避”という2つの基本的な感情と、”時間”と”金銭”という2つの現実的な利便性から派生するという。つまり、これらの心理学的な要素を踏まえ、モノとその価格のポジショニングが決まる。

 人それぞれに購入理由があり、異なる購買(顧客)層が存在する。
 それぞれのニーズを満たす為の選択肢も様々で、顧客層が変われば戦う価格領域も異なる。故に、顧客層の選択とそれに合わせたポジショニング次第では、全く異なる価格を設定できる。
 つまり、購入理由に合わせた価値を提供する商品やサービスを、単価が最も高いものに合わせてポジショニングすれば、一番高い価格が設定できる。このような価値分析は、心理効果を利用した価格設定やマーケティングを理解する基本になると。

 タブレットの例で言えば、単に”ブログを書く”為だけであれば、(ジャンクに近い)激安中古タブレットでいい。いや、紙と鉛筆ならタダで済む。実際に(特に)長く堅い記事を書く時は、大まかな要約を紙に書く。
 しかし、”仲間と一緒に楽しむ”(人に自慢する為だけの)社交ツールとして考えるなら、高価なiPadは必要だろう。いや、洒落たカフェでコーヒーを飲み、(まるで見せびらかす様に)軽快に記事を書きたいなら、iPadminiは必須かもしれない。
 薄暗い萎れたパブで安酒を飲みながら、小難しい記事を書くのなら、最新の薄型軽量のAndroidタブレットでも十分映えるだろう。周りはどんな端末かではなく、どんな内容の記事を書いてるかに関心を寄せるのだ。

 企業側が、この様な顧客の(浅はかな)ポジショニングを重視する様に、我らモノを買い漁る顧客も、より見栄のいいポジショニングを意識する。
 ”顧客は自分の考えをわかっていないし、自分がわかっている事を言わないし、言った通りに実行しない”・・・これは、広告会社「オグルヴィ・アンド・メイザー」の創業者デイヴィット・オグルヴィの言葉である。
 つまり、優秀な企業家は”顧客はバカ(神様)だ”とみなしている。
 それでも、”この商品にいくら払えますか?”という直接的な(企業側にリスクの高い)質問をすれば、どんな顧客でも”価格を下げてもらおう”と意識的に低い金額を答える。
 市場調査のように、顧客の潜在的な支払許容限度額を知り、抵抗なく支払う価格帯を区分する事は価格戦略上の重要な作業ではある。が、顧客のこうした先入観や主観を排除する為に、企業側は実際の状況を再現しながら(第三者的な)質問をする事を心がける。
 たとえば、(本人だったらではなく)”友人だったらどうするか”を聞く。そうすれば本人の利害は関係なく、客観的な価格帯を推測する事が出来る。
 以上、「なぜ、カフェのコーヒーは”高い”と思わないのか?」を参考にまとめました。


最後に

 如何に買い物が”自己満足の悲しい心理”であるかを教えてもらった気がする。
 「価格の掟」(ハーマン・サイモン著)でも、同じような事が書かれている。
 あえてリスクを冒して高価な買い物を選択するか?それとも無難に安い買い物でごまかすか?
 自己満足という視点で言えば、高価な買い物も悪くはない。先述した”楽しさ”と”苦しさの回避”という基本的な感情を満たしてくれるからだろう。
 一方で安い買い物は、”時間”と”金銭”という現実的な利便性を満たす。
 つまり、”安物買いの銭失い”とは、ある種の現実的なポジショニングであり、企業側から見た客観的な視点かもしれない。
 この反意語になるかはわからないが、”贅沢買いの自己満足”とすれば、モノを買う事に現実を見るのか?それとも妄想や幻想を見出すのか?

 安い買い物も積み重なれば高くつくし、高い買い物も注意深く戦略を練れば、コスパの高い自己満足が得られるのだろう。
 現実も自己満足も、結局は高くつくという事なのだろうか。
 そういう私は(悲しいかな)、今までのこれからも”安物買いの銭失い”という激安の心理学に囚われ続けるのだ。



2 コメント

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Unknown (1948219suisen)
2022-06-19 04:45:09
買い物のポイントを押さえた文章だと思いました。

私も激安品を買うのは好きです。それは、これだけ安物で、どれだけ価値があるかということを楽しむために買うときが多いです。

以前、500円とかいう腕時計を買いましたが、見た目立派なものでしたが、実際刻む時刻は遅れまくりで、お陰で私は高速バスの集合時間に乗り遅れて、知らない親切な家族に高速バスまで追いかけてもらってお礼にお茶代にと数千円を渡して返って高い買い物になりました。そういうこともりながら、やはり安物を買うことは楽しいです。
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1948219さん (象が転んだ)
2022-06-19 05:38:07
私からすれば
1948219さんの買い物は、まだまだ贅沢買いの領域ですかね(笑)。
そういう私もたまには高価な買い物をとも思うんですが、父親と同じで根が”ケチの王道”に出来てますから・・・

腕時計ですが、凝る人は凝るんですよね。
人も腕時計も見た目では全くわからないという事で、コメントありがとうです。
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