親戚と隣組を放射性廃棄物の如く毛嫌いする私は、お正月の親戚同士が集まる大げさな行事(おせち料理を含む)が未だに馴染めないし、特に、子供らに贈る”お年玉”というのが未だに理解できない。
直感的に、金品の受け渡しと判断する所があるからなのだろうか、60年以上生きてきた私だが、親戚や近所の子供らにお年玉を上げた記憶がない。
子供の頃は、親父が生きててそこそこ資産もあったからだろうか、お年玉を貰って(当時は高価だった)野球盤を買った記憶がある。が、それ以外にもお年玉を貰った事は何度かあるのだろうが、殆ど記憶にはない。
特に、母方の親族は超の付く貧乏だったので、お年玉の欠片すらなかった。父方の親族も商売で(我が家を含め)そこそこの財を成してたが、今の様にお年玉が活発に行き交うシーンはなかった様に思う。
それに大人になると、貧乏になったせいもあるが、親戚付き合いが疎遠になり、お年玉を贈るという事もなくなったし、私の記憶の中ではお年玉は完全に消え去っていた。
勿論、お年玉に理解や関心がないのもあるが、そうした日本古来の風習をアホ臭とバカにする自分がいるのも確かである。
つまり、お年玉を贈る日本人は愚かであり、その行為自体が子供騙しに思えるのだ。
お年玉って、日本だけ?
因みに、お年玉とは日本古来の風習ではなく、中国が発祥らしく、紙幣に呪術的な力がある事から、漢代以降になると”子供を災いから守る”一種のお守りとして、当時は”圧歳銭”と呼んで貨幣を子供に持たせた。但し、貨幣や紙幣を入れる袋は”紅包”と呼ばれた。
中国文化の影響が強い日本では、明治頃からこうした”お年玉”の風習が始まったとされるが、最初は貨幣ではなく”お餅”だった。
日本では、元々お正月は”年神様”を家に迎える行事で、年神様の魂がお餅に宿るとして”年魂”となり、”お年魂”から”お年玉”として分け与える風習が始まったという。お金が主流となったのは、昭和30年代後半頃からで、お年玉は比較的新しい慣習である事が判る。
一方、欧米諸国やロシアや豪州などのキリスト教圏では、お正月を祝う習慣自体がない為にお年玉の慣習はないとされる。が、クリスマスを盛大に祝うので、その時に子供に渡すプレゼントがお年玉とも言える。
また、日本の様にお正月にお年玉としてお金を贈る風習は、中国文化の影響が強いアジア諸国に多く、日本の様に太陽暦(新暦)ではなく、古来から伝わる太陰暦(旧暦)の旧正月(1/1)を盛大に祝う地域が多いとされる。
本場中国では、子供に渡すのは”圧歳銭”で、大人に渡すお年玉は”紅包”となるそうで、元々は小遣いやチップ、ご祝儀との意味だったらしい。気になるお年玉の相場だが、100元(約2000円)が一般的で、香港では10香港㌦(約170円)~20香港㌦程度、台湾では台湾元で200元(約890円)~800元(約3500円)。
お隣の韓国では3万㌆(約3000円)~5万㌆(約5000円)だという。以上、22年12月掲載の毎日小学生新聞から抜粋でした。
では、肝心の日本はどうなのだろう?
某ネット事業者が今年11月に”お年玉事情に関する調査”を実施し、20代以上の2万人から有効回答を得た結果がある。
まず、お年玉をあげる予定の人は全体の44%で、あげる予定がない人(44%)と全くの半々であった。また、お年玉をあげる対象は小学生(51.5%)が最多で、次いで未就学児(38.2%)、中学生(33.3%)と続き、社会人も1割ほどいた。
お年玉の平均金額は5654円で、お年玉を渡す人数は平均3人。内訳は親戚の子ども(62.1%)、自分の子ども(36.3%)、孫(20.0%)と続く。更に、お年玉を渡す方法は”現金をポチ袋に入れて渡す”が95.2%と圧倒的に多く、理由は”現金で渡す事が礼儀だと思うから”が66.1%で多くを占めた。
お年玉のキャッシュレス化が進む中、”遠方で直接渡せない”などの特段の事情がない限り、日本ではしきたりを重んじる傾向がある(HUFFPOSTより)。
お年玉は収賄か?合法か?
一方で、日本ではお年玉を贈る事に関しては、賛否両論真っ二つに分かれた結果となったが、私からしたら、今の時代にお年玉を贈る人種がいる事自体が信じられない事で、このアンケート結果をどう受け止めるか?は、色んな意見があるだろう。
個人的には、お正月に一度のお年玉とは言え、プレゼントという形でモノを贈るべきであり、それも贈る対象は小学生までに限定すべきである。でないと、戦後アメリカに依存したままの日本や裏金に依存する昨今の政治屋みたいに、日本の子供達は一向に自立、いや自律しない。
つまり、子供の頃から自分で物事を考え、様々を判断し、自分の中に規範やルールを作り、知能的にも精神的にも自律する事が理想とも言える。
確かに、自律と自立(独立)を両立する事は難しく、世界的文豪であるドストエフスキーですら、賭博グセとてんかん気質が抜けきれず、最後まで金銭的には苦しんだ。
一方で、お年玉は賄賂に当たるのか?という私個人の純粋な疑問だが、よく実例で上げられるのが、官公庁の役人らに”お年玉つき”年賀はがきを送るケースが、しばし問題になる。
贈賄罪は、刑法第198条に規定する”賄賂を供与した者は3年以下の懲役又は250万円以下の 罰金に処する”とあるが、”賄賂”の定義には”財物のみに限らず又有形たると無形たるとを問わず<人の需要若しくは欲望を充たす>に足るべき一切の利益を包含する”とある。
但し”中元や歳暮等の社交儀礼の範囲内であれば賄賂にあたらない”とあるから、お年玉つき年賀はがき自体は年賀状による年頭の挨拶に過ぎず、”社交儀礼の範囲内”となり、賄賂には当たらない。但し、当選した物品が社交儀礼の範囲外であれば、考える必要がある。
勿論、”度を越した贅沢品でなければ”って声もあるが、因みに2024年の1等商品は現金30万円又は電子マネー等31万円分、又は2023年発行特殊切手集&現金20万円だったというから、法律ではどう判断するのだろう?
一方で香港でのケースだが、香港競馬会の元職員の男が勤務期間中(2018~19)の2年間に客から毎回200香港㌦(約3400円)、計8回に渡りチップを受け取った他、旧正月には同じ客から”お年玉”2000香港㌦を貰い、計3600香港㌦(約50400円)を得た。香港検察は、その職員が合法的な権限と合理的な理由なく報酬を得た”公職者の収賄にあたる”と判断し、男を起訴したという(香港ポスト)。
確かに、5万と言えば、日本ではご祝儀の範囲内の金額だが、かつて、韓国の議員が知人の披露宴で、5万を超えるご祝儀を包んだとして、収賄容疑で逮捕されるという日本では考えられない事件があった。
勿論、お国柄の違いもあるが、少なくとも日本では(ご祝儀を含む)お年玉なら、贈る金額や贈る相手の年齢も法的制限はなく、その行為が違法か合法かも問われないだろう。
最後に〜お年玉も度が過ぎると・・
同じ中国の古い文化や伝統を色濃く受けつぐアジア諸国の中でも、香港や韓国の様に、お年玉やご祝儀でも、法を無視すれば違法となり、収賄罪で起訴され、又は逮捕される。
一方で、日本では収賄と贈り物の境界は不透明で曖昧である。”裏金”が当り前の様に蔓延る自民党内でも様々な声があるのも事実で、日本独自に発達し、エスカレートしつつある”お年玉文化”は見直す時期に来てるのだろう。
何時までも子供の様に、お年玉をせびる日本人はもう少し大人になった方がいい。
”猫に小判”じゃないが、これじゃ”バカ息子にお年玉”である。お年玉に甘やかされた子供達が大人になれば、”無能な政治家に裏金”、いや”無学な議員に収賄”という笑えないおバカな大人になるのは目に見えている。
つまり、可愛い娘にはお年玉ではなく、自律を促す人生の旅をさせるのが一番なのかもしれない。
少なくとも、社交儀礼の範囲内とは言え、子供の欲望を満たす為のお年玉なら渡すべきではないし、たとえ法的には賄賂でないにしても、お年玉を賄賂として判断する規律や規範を子供達に教えるべきである。
つまり、正義が正当である為には、そういう所から教えるべきであろう。
故に、お年玉を贈る事は使用期限がとっくに切れた腐った風習に過ぎず、古来から伝わる伝統行事も度が過ぎれば、賄賂と判断すべき犯罪行為とも言えなくもない。
世界に誇れる”美しい日本”である為には、こうした腐った風習から排除し、美化していく必要があるのだろう。
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