「コメは安くならない」に寄せられたコメントに、”安倍首相は07年の第1次内閣の時も減反廃止を検討したが、米価が下がった事ですぐに撤回。そして13年の2度目の減反廃止の撤回・・・安倍はトランプから言われなくても減反を廃止すべきだった”というのがあった。
全くの図星である。
確かに、減反を廃止する機会は過去に幾らでもあった筈だ。が、安倍にはその度胸も覚悟もなかった。名ばかりの減反廃止宣言は(アベノミクス同様に聞こえはいいが)、逆に減反政策を強化したに過ぎなかった。
米価格よりも米の流通を優先し、米専業農家を保護して米食の自給率を上げるべきだったのに、農水省や農協という中央組織を保護する為に減反政策に拘り続け、自民党政権は未だに同じ失態を繰り返してきた。そして、その延長上に今回のコメ騒動が浮上する。
元々減反政策とは、国税を無駄にバラまく一時的なもので、その有効性も見通しも結局は不透明なままである。
色々とサイトを調べると、コメ価格が下がらないのは、日本政府による減反政策の失敗に尽きる事が判る。
減反廃止はウソだった?
少し月日を遡るが、2016年12月13日の日経新聞の社説には”コメの減反廃止を看板倒れにするな”とあった。18年から減反を廃止する予定なのに”減反を強化する政策を実行しようとしているのはおかしい”との主張である。
減反廃止に全くの異存はないが、問題なのは政府が減反廃止を宣言しながら、減反をダラダラと存続させる、その矛盾である。
以下、「減反は廃止すべきである」より一部抜粋です。16年12月と、少し古いコラムですが、今回の米騒動の本質を見事に突いてるので紹介します。
2013年、政府与党は”減反(米の生産調整)を見直す”としたが、これは自民党の農林族議員と農林水産省が合意したものだった。だが、某新聞が農林族議員や農水省の照会もなしに、”減反廃止”と一面で報道し、他の主要紙もこの報道に追随した。
当時の(第1次)安倍政権は、この政策決定に殆ど関与しなかったが、安倍総理はこれを”減反廃止”と打ち上げ、”40年間誰も出来なかった事を成し遂げた”と胸を張った。国会の方針演説だけでなく、スイスのダボス会議にも出かけた際もこれをアピール。
減反廃止との報道が行われた直後、農水省の担当に”今回の見直しは減反廃止の筈だが・・”と問い詰めると、”私たちは減反廃止など一言も言っていない”と反論した。
一方で、日本農業新聞だけが、最も正確で冷静な報道をしていた。
同紙は”減反が必要だ”とする林農林水産大臣(当時)の国会答弁を紹介し、それを見る限り、今回の減反見直しについてだけは、農水省と農協と(コラム主の)山下一仁氏の意見が一致していた。
後に安倍総理は、2014年2月の衆議院予算委で、野党から減反の必要性を強調する自民党農林幹部や農水省の発言と自身の発言の食い違いを指摘され、”一般の人に分り易く発言しただけだ”と減反廃止発言を撤回する。当然、大きな騒ぎになると思われたが、そうはならなかった。
こうして(行われもしない)減反廃止が定着してしまった。事実、”減反を廃止すべきだ”と山下氏が番組で主張しても、”減反廃止は決定済みなのでは?”と、TV局から跳ねつけられてしまう。
2013年の減反廃止報道が飛び交う中で、著名な経済学者や官僚OBらから”あの報道は本当なのか?戦後農政の中核である減反・高米価政策が簡単になくなるとは思えない。農政が減反の廃止を進んで提案するなんて信じられない”との声が飛んだ。
”その通り。マスコミ報道は完全に間違ってます。減反や高米価政策の廃止という農政の大転換を行うには相当な環境変化が必要となる。が、そんなものは今はない。TPPにて米の関税は撤廃しないというのだから、減反を廃止して米価を下げる必要はない。いや減反は廃止するどころか強化される。
故に、一連の報道は減反の本質が何かを全く知らない為に起きた誤報です”
この山下氏の説明に彼らも肯いた。
”減反見直し”とは何だったのか?
そもそも”減反”とは農家に補助金を与え、米の供給(流通)を減少させ、米価を高く維持する政策の事で、農協・農林族・農水省の”農政トライアングル”にとって最も重要な政策だった。
減反により、高米価でコストの高い零細な兼業農家が米農業に滞留する。これは農業票を維持し、兼業所得の農協口座への預金で農協を日本第2位のメガバンクに押し上げた。
つまり減反廃止とは、米供給の増加による米価の低下を意味し、農協を改革するよりも遥かに大きな改革(痛手)となる。故にもし、自民政府が減反廃止を提案したのなら、農協や農村は大騒ぎとなり、永田町や霞が関にはムシロ旗が立っていただろう。だが、農協も農家も極めて平穏だったのだ。
というのも、自民政府の見直しが減反廃止ではない事が、彼らには十分すぎる程に解ってたからだ。
では、13年の”減反見直し”とは何だったのだろう?
従来の減反政策では、政府が決めた生産(減反)目標数値(ha)を都道府県や市町村を通じて農家に配分し、これを全て守った農家に対してのみ減反補助金を交付した。しかも、地域で減反目標を全て達成しなければ、機械など他の補助金も交付しないという厳しいものだった。
これに対し、2009年に政権を取った民主党は、減反目標を全て達成しなくても減反補助金を交付する仕組みに変更。例えば、目標の4haでなくても3haでも減反すれば、その分の減反補助金を交付する。その代り、米の作付面積に応じた”戸別所得補償”を減反目標を全て達成した農家に限り、交付する事にした。
つまり、生産目標の達成に”戸別所得補償”というアメをぶら下げた。言い換えれば、生産目標の達成を戸別所得補償と関連づけ、減反面積への減反補助金と米作付面積への戸別所得補償という”アメとアメの政策”に変えたのだ。
これに対し自民党は、民主党が導入した戸別所得補償を”バラマキだ”と批判し、その廃止を公約。民主党は殆ど農業所得がない零細な兼業農家にも所得補償を交付したので、自民党から批判されても仕方のない政策でもあった。
つまり2013年の減反見直しは(減反撤廃ではなく)政権に復帰した自民党による戸別所得補償を廃止する為の制度見直しだったのだ。
翌年には戸別所得補償は半減され、更に18年には戸別所得補償は完全に廃止し、それとのみリンクしてた減反目標数量も廃止された。その代り、戸別所得補償の削減・廃止で浮いた財源を利用し、主食用米からエサ米に作付け転換をする場合の減反補助金を大幅に増額した。
結局は、減反目標が廃止されただけで、実質の減反強化に過ぎなかった。しかも、07年の第1次安倍内閣の時には、今回の見直しと同じく減反目標を廃止し、その後米価が下がったので直ちに撤回していた。”40年間誰も行わなかった”ではなく、安倍総理自身が5年前に実施して直ぐに撤回した政策だったのだ。
減反は廃止すべきだった
だが、13年の減反見直しは大きな効果があった。翌14年の主食用米の価格が10a当り7万円まで低下したので、農家にとってはエサ米を作って減反補助金(10.5万円)を含め、13万円の収入を得た方が有利になった(上図参照)。
この補助金を政府は継続し、閣議決定された食料・農業・農村基本計画では、2025年迄にエサ米の生産目標を110万トンにするという。事実、今回の農協改革と合わせて決定された”農業強化プログラム”にても”飼料用米の推進”は明確に謳われている。
一方、減反補助金の増額でエサ米の生産は着実に増加。事実、減反見直し前の13年のエサ米作付面積2.2万ha、生産量11万トンが16年には9.1万haで48万トンに、それぞれ4倍以上も増えた。勿論だが、これには膨大な財政負担が必要となる。16年だけで1千億円近い納税負担だ。基本計画通りの目標が達成されると、2千億円の納税負担が家畜のエサ代に使われる事になる。財務省は”これを見直すべき”と主張するが、今の財務省に自民党に抵抗できる力はない。
また、エサ米が増えれば、アメリカからのエサ用のトウモロコシ輸入は大きく減少する。アメリカがこの減反補助金をWTOに提訴すれば、アメリカは必ず勝つ。逆に、日本が減反補助金を廃止しないなら、アメリカは日本から輸入される自動車に報復関税をかけるだろう。米の7倍の産業規模を持つ自動車業界は大きな打撃を受ける。そうなると減反は廃止せざるを得なくなる。
医療政策に見られる様に、通常の政策は財政負担の代りに、国民に安く財やサービスを提供する。減反政策の様に国民が4千億円の納税負担をし、米価を引き上げ、6千億円の消費者負担をするという政策は他にはない。赤ちゃんからお年寄りまで国民1人が年間1万円負担する計算となる。
つまり、アメリカから言われなくても減反は廃止すべきだったのだ。
以上、キャノングローバル研究所の山下一仁氏のコラムからでした。
最後に
悲しいかな、日本政府(特に自民党)はコメの流通よりも農協・農林族・農林水産省の農政トライアングルという中央の組織を優先した。
山下氏は24年9月末の最新のコラムでも、”農協や農水省がいる限り、お米の値段はどんどん上がる”とも言い放ち、”コメ不足は来年も続く”と予想する。
事実、農協はコメ不足を見越し、24年産の新米は農家に支払う概算金を2割以上も上げた。故に、値段は今後ますます上がっていく。
勿論、減反を廃止し、コメ専業農家を保護しても、彼らの平均年齢は約69歳で、年齢的にも農業の継続は難しい。また、高額の農業機械に対する投資の回収には20年ほど掛かるとされる。
確かに、離農が加速する現実を見れば見通しは暗いが、今やらないと日本政府も日本国民も一生後悔する。コメ農業担い手の問題も根強く存在するが、日本の様な温暖湿潤の地域ならその条件での耕作に適した米が主食になるのは自然な事だ。
仮に、減反を廃止すれば米価格は安くなり、食と農のグローバル化と言えど、外国産コメ輸入の方が安くなるというケースも起こり難い筈で、逆に日本産のコメが外国では高値く売れるという現象も起き易い筈だ。
これに関しては異論もあるだろうが、少なくとも”食の安全保障”を考慮した時、外国に日本国民の胃袋を委ねるのはリスクが高過ぎる。
仮に、一定以上の国費が掛かったとしても、国民を飢えさせない程度の自給率は維持すべきだし、今回のコメ騒動は、農水省による過ぎた減反政策に対する自然の警告の様にも思えるのだが・・・
少し長くなったので、今日はここまでです。次回は、コメ騒動の元凶である減反がなくならない理由について、述べたいと思います。
コラム主の山下氏も二毛作を復活させるべきだと説いてます。
平地面積が少ない日本では、二毛作を専業とする農家を育てる事はハードルも高いですが、やってみる価値はあると思いますね。
少なくとも減反政策よりかはずっと有効だと思います。
自民党の農水省の族議員らは、農政改革が農林水産省や農協を潰す為の背信行為の様に思っていますが、日本の食と農を死守するには農政族を犠牲にしても守るべきです。
一方で、農協は”食と農”の大切さを盛んにアピールしますが、実際には衰退していく農業従事者から手数料を掠め取るだけで、自民に付くか?農業に付くか?迷ってる状況でしょうか。
農政改革は小泉前首相の郵政改革とよく比較されますが、規模が違いすぎるので、一緒には出来ないのですが、石破の出方が気になる所です。
極論を言えば、コメと麦の二毛作農業を国営化してでも、食料自給率の戦略にすべきだと思う。
ハードルは色々とある筈だが、決して超えられないレベルのハードルではない。
それには、高度で広範な機械化やシステムのAI化が必要となろうし、古く腐った農政と農協の体質を根本から変える必要がある。