私たちは日常を通じて、色んな数に囲まれて生きている。
よほど数字に興味がない限りは、そういうのを意識する事はないだろうが、じっくりと腰を据えて数字という神秘の世界に触れるのも実に楽しいもんである。
そこで今日は、映画「博士の愛した数式」に登場する数の神秘と愉快について紹介する。
「素数の不思議”その2”」に寄せられたコメントにもある様に、”江夏の背番号28は完全数である”とは、非常に興味深く映った。
事実、28が持つ全ての約数を足せば(但し28自身は除く)、1+2+4+7+14=28となる。
因みに、日本プロ野球で初の完全試合が達成したのは、月・日共に完全数の1950年6月28日である。だが、完全数を背番号に持つ江夏は、完全試合以上の記録を達成していた。
時は1970年9月26日の中日戦。江夏は2回2死から内野安打を許すも、3回以降は圧巻の快投で、9回まで無安打無四球。味方の援護がなく、延長突入後も10、11、12、13回も3者凡退。完全試合は27人連続アウトだが、この時点では江夏は34人連続アウトを成し遂げ、完全試合を遥かに超えた偉業を達成した。と思いきや、14回表に先頭打者にHRを浴び、力尽きて降板。更に、持病の心臓発作が再発し、病院直行となる(ウーン残念)。
但し、完全試合を超えた男は、プロ野球史上にて江夏以外には誰一人いない。まさに、”博士の愛した数字”を超えた男だったのである。
話は大きく逸れたが、現時点で確認されてる完全数は、6,28,496,8128,33550336,8589869056,⋯⋯と、52個しかない(2024年11月時点)。
それに、偶数の完全数が無数に存在するのか?奇数の完全数は存在するのか?という問題は未解決のままである。
一方で、完全数でない自然数を”不完全数”と呼ぶが、その仲間に”友愛数”や”社交数”がある。
そこでまずは、こうした興味深い数字の筆頭として、”ナルシシスト数”を紹介する。
ナルシシスト数とは、”n桁の自然数の中で、各桁の数のn乗の和が元の自然数に等しくなる数”の事で、例えば、1³+5³+3³=153はナルシシスト数となる。
1桁の自然数は全てナルシシスト数となるのは明らかだが、2桁のナルシシスト数は存在しない事が知られている。
また、ハロルド・ハーディ(英)は”3桁のナルシシスト数は153,370,371,407のみである”と自書の中で語ってるが、このナルシシスト数を小さな方から列挙すると、1,2,3,4,5,6,7,8,9,153,370,371,407,1634,8208,9474,54748,92727,⋯⋯となる。
ナルシシスト数の神秘と不思議
先に述べた様に、完全数が無数に存在するのか?有限なのか?は未解決であるが、ナルシシスト数に関しては”有限個しか存在しない”事が判ってるが、これは簡単に証明できる。
まず、n桁の自然数Nのうち、各桁のn乗和が最大になるのは各桁の数字が全て9の時(つまり、999...)で、その和はn×9ⁿ(=9ⁿ+9ⁿ+⋯+9ⁿ)となる。一方、n桁の自然数Nのうち最小の数は10ⁿ⁻¹で、N≥10ⁿ⁻¹となる。故に、Nがナルシシスト数ならば、n×9ⁿ≧10ⁿ⁻¹―①となる。
しかし、十分大きなnに対しては、n×9ⁿ<10ⁿ⁻¹―②が成り立つ事が判る。
これは、②式の両辺に10/9"を掛けて、10n<(10/9)"と変形でき、右辺の指数関数は左辺の1次関数より増加速度が高いので、②式の関係が言える。つまり、nが小さい時は①式は成り立つが、nが大きくなると(10/9)"が爆発的に増加し、10nを超えるのだ。
実際、n≥61で②の不等式が成り立つ。故に、①式を満たさないので、61桁以上のナルシシスト数は存在しない(証明終)。
因みに、ナルシシスト数は(0のべき乗を0と定義せず)0を除くと全部で88個存在する。
但し(当然だが)、0の自然べき乗(=0×0×0×⋯)は0と定義できるが、自然数以外のマイナスのべき乗だと定義できず、0のべき乗を1として扱う場合がある。故に、0の累乗を0と定義すれば、自明な0を含めて89個となる。
また、最大のナルシシスト数は、39桁の数の115132219018763992565095597973971522401となり、興味深い事に、2番目に大きなナルシシスト数は、115132219018763992565095597973971522400である。
つまり、全部で88個しかないナルシシスト数だが、最大と2番目の数が連続する。
何ともお目出度い状況だが、この様にナルシシスト数が連続して現れるのは、その定義からして決して珍しい事でもない。つまり、あるナルシシスト数の最後の桁が0ならば、その次の最後の桁が1となる数もナルシシスト数になるからだ。
実際に88個の数のうちで7組の14個の数で、連続するナルシシスト数が現れるそうだ。だが、それが最大のナルシシスト数で起こってる事自体が興味深いと言える。
ここで、疑問に思うのが、なぜ”ナルシシスト数”と呼ぶのだろう?
確かに、”自らの構成要素である各桁の数字から、累乗を用いて自ら(の数字)を再現する”との意味において、”ナルシシズム”(自己愛)と言えるかもしれない。でも、いま1つ納得できない部分もある。
そこで、「独特な雰囲気の名称を持つ数字・・」を参考に、ナルシシスト数の更なる疑問を大まかに纏めます。
実際、ナルシシスト数は”アームストロング数”や”プラス完全数”及び”完全デジタル不変数”などとも呼ばれる。つまり、複数の呼び名が存在する事を考えると”ナルシシスト数”という名は世界共通とは言えず、数学者の間でも広く受け入れられなかったのかもしれない。
だが、ショッキングな名称である事に変わりはなく、その他の呼び名が一般的になってたら、これ程の知られる存在の数字にはなる事はなかっただろう。
ミュンヒハウゼン数とナルシシスト数
更にナルシシスト数には、類似の概念が存在し、”ミュンヒハウゼン(Münchhausen)数”として知られる”完全桁間不変数”Perfect Digit to Digit Invariant(PDDI)と呼ぶ数があるが、以下で示す様に”各桁の数字と同じ累乗の合計が元の数字に等しくなる数”の事だ。
つまり、ナルシシスト数が”与えられた数の固定された累乗の合計に等しい数”であるのに対し、ミュンヒハウゼン数は”自分と全く同じ累乗の合計”となる。
故にミュンヒハウゼン数は、0の累乗を0と定義しない時(0⁰=1)は、1と3435の2つしか存在せず、3435=3³+4⁴+3³+5⁵となる。もし、0の累乗を0と定義する時(0⁰=0)には、0と438579088=4⁴+3³+8⁸+5⁵+7⁷+9⁹+0⁰+8⁸+8⁸の2つが加わり、4個になる。但し、自明である0と1を除けば、ミュンヒハウゼン数は3435と438579088の2つだけと言える。
因みに、数学が嫌われるのは、こうした条件付きで物事を定義する必要があり、”一般的に”とか”普遍的には”という言葉を使えない気難しさにある。
ここで、ミュンヒハウゼン数が”有限個しか存在しない”事の証明だが、ナルシシスト数の有限性の証明と同じ様に出来る。
例えば、4桁のミュンヒハウゼン数Mü₄=aᵃbᵇcᶜdᵈ=1000a+100b+10c+d、(但し、1≤a,b,c,d≤9)にて、M=max{a,b,c,d}、N=min{a,b,c,d}とすると、n桁のミュンヒハウゼン数Müₙは最小でn×N^N、最大でn×M^Mとなるが、一方で、n桁の自然数の最小は10ⁿ⁻¹で最大は10"となる。
故に、”n×M^M<10ⁿ⁻¹又は、n×N^N>10を満たす時、n桁のミュンヒハウゼン数は存在しない”となる。後は2つの不等式の両辺の対数を取り、nを絞りこめば、不等式を満たすnは6となる。故に、自明なものは除き、6桁以上でミュンヒハウゼン数は存在しない事が証明出来るそうだ。
因みに、”ミュンヒハウゼン数”の名の由来だが、コメディ映画「ほら男爵の冒険」(1943)の主人公ミュンヒハウゼン男爵のエピソードに由来する。なお、この男爵は有名なナルシシストとして設定され、この事も名前の選定に関係していたらしい。
ナルシシスト数の類似として”ミュンヒハウゼン数”を紹介したが、その他にも”各桁の数字の連続する累乗の合計に等しい数”というものもがある。
例えば、1676=1¹+6²+7³+6⁴や2646798=2'+6²+4³+6⁴+7⁵+9⁶+8⁷があるが、この様な数も有限個しか存在せず、19個(0を含めれば20個)が確認されてる。
一方で”ナルシシスト数”という概念は、一般社会にて、これといった関心が持たれてる訳でもない。つまり、純粋に興味や関心の対象として扱われてきたのだろう。冒頭で一部紹介した”完全数”や(次回以降に述べる)”友愛数”とは異なり、”有限個の存在”が確認されてる事から、研究の対象になる事はなかったのかもしれない。
但し、数の類似の概念も様々に拡がり、数字の持つ不思議な世界を認識できる1つの数学の概念として、数学や数字に興味や関心を持っていただければと思う。
以上、「ニッセイ基礎研究所」の中村亮一氏のコラムからでした。
最後に
ナルシシスト数よりも、江夏の”不完全試合”が強く印象に残ったが、数字の世界でも”不完全数”と呼ぶ完全数でない自然数が存在する。その仲間に”友愛数”や”社交数”があるが、次回は江夏が成し遂げ損なった完全試合いや”完全数”について紹介します。
因みに、大投手というのは得てして”ナルシシスト”だとされる。
確かに、自分さえ完璧な投球をすれば負ける事はない。だが、味方の打線が点をとってくれなければ、ゼロで抑えても勝つ事は出来ない。つまり、過ぎた自己愛というナルシシズムには限界がある。
同じ様に、”ナルシシスト数”にも限界があり、事実、無限に広がる数の世界の中でも僅かに88個しか存在しない。
そういう意味では、江夏の不完全試合は過ぎたナルシシズムがなし得た、いや神が与えた唯一無二の偉業だったのかもしれない。
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