私は典型の”雨男”である。
ある部所に配属されれば、そこが廃部になった事が何度かあった。それに、何か珍しい事をしようとすると、高い確率で大雨が降る。
先日もワクチン接種に出かけたら、いきなり豪雨に見舞われた。
お陰で、田舎では”雨男”以外には”疫病神”と呼ばれた事もある。しかし、中洲の歓楽街に出かければ、不思議と客が集まり、ホステスからは(なぜだか)”代議士の息子”と呼ばれた事もある。
つまり、田舎では雨男、都会では晴男なのだ。
昨日も、涼しくなった夕方に除草剤をかけた途端、雨が振り始め、それは豪雨と変わった。
過去にもこうした経験が何度かあるので、アメダスで雨雲を確認したつもりだった。それでも豪雨になる。夜中の今でも雨は降り続き、アメダスの予想は全く外れた事になる。
このネタを、志村けんさんが「となりのシムラ」でシリアスにコントしてくれたら、大受けするだろうか。
となりのシムラ
NHKで志村けん(享年70歳)の追悼番組として「となりのシムラ」が再放送されていた。
2014〜16年まで不定期で放送されてた番組で、素顔そのままの志村が“普通のおじさん”を演じ、家族や職場の上下関係などを描く、”あるあるネタ”を中心としたシチュエーションコントである(全6話、ウィキ)。
被りモノで有名な志村けんが、素顔のコントを演じるというので興味を持って見た。
しかし、結果は期待した程には笑えなかった。というより、あまりに現実的すぎて、昔の嫌な自分を見てるみたいで、逆にブルーになってしまった。
でも、昔はこういった日常ネタで腹を抱えて笑ったもんだ。そう思うと、笑えなくもないが、やはり心の底から笑えなかった。
勿論、パートによっては思い切り笑えた場面もあったが、特に飲み屋ネタは”あるある”過ぎて流石に笑えなかった。
老いたサラリーマンが美人ホステスに惚れ込み、最後には決まった様に裏切られるというマンネリ化した展開は、志村の得意とするネタだ。しかし、今の視座から見れば、ホステスやサラリーマンの悲しい行く先を考えると、やはり笑えそうにもない。
水商売ネタの限界
私が若い頃は、飲み屋のホステスと言えば、一応は”高嶺の花”でもあった。誰もが一度は口説こうとし、どうしても落とす事の出来ない難攻不落の怪しげな脆い壁でもあった。
そういう私も、ホステスには何度か惚れ込んだ事がある。しかし今となって思うと、口説けなくて逆によかったと思い知る。
タイトロープの影が危険すぎるという事もあるが、今や風俗業がここまで乱立し地下社会に繁殖すると、ホステスという人種の行く先が風俗業に落ち着く事は明らかだろう。
風俗業が今の様に繁盛しなければ、ホステスという人種も、普通の結婚をして普通の幸せを満喫できたかも知れない。
しかし今の時代、唯でさえ夜の街を支える飲食業が不況なのに、女性がお酌をするだけのスナックやクラブが流行る筈もない。
一時は飛ぶ鳥を落とす勢いのキャバ嬢だが、ドレスを剥がせば素材的には風俗嬢と何ら変わりはない。
事実、ホステスとして身体を張れるのは26くらいまでで、それ以降は風俗で荒稼ぎし、30中盤でママになるのが精一杯だろうか。
それでも店を持てれば上出来だが、今の時代、そう簡単じゃない。アフターコロナを考えると、むしろ不可能に近い(「アンタうちで働かん」参照)。
結局、彼女たちの人生設計とはそんなレベルである。少しでも設計がずれれば、身体を売って必死で貯めた開業資金をホストクラブで散財する。結局、借金塗れになり、再び場末の風俗業に舞い戻り、人生を潰す。
勿論、昔のいい時代の頃は、そんなホステスやキャバ嬢も”水商売”コントのネタとしては十分過ぎる程だった。
それに、サラリーマンも景気がよかったから、スーツを来て会社に通うだけで、給与とボーナスがもらえ、課長くらいのポストなら誰でもなれた。
看板ホステスに惚れ込む平凡なサラリーマンという昭和の良き日時代の縮図は、コントネタとしても格好の餌だったのだ。
しかし今になって、そうしたコントを見せつけられると、時代は変わったんだなって思う。
最後のコント
上司が部下を引き連れ、居酒屋でワイワイと飲み明かす。2次会3次会とサラリーマンの脚は進む。全て上司のおごりで、それらの資金は会社の経費で落ちたもんだ。
しかし今は、第6話の”居酒屋”ネタにあるように、(志村演じる)上司とはいえ割り勘なのだ。
馴染みのスナックに通っても、古株の上司は相手にされない。若いホステスは若者同士で会話が弾み、ママは別の常連の客と他の店に出掛ける。店番を任され、寂しく一人になった志村がボケを噛ます。
勿論笑えるコントだが、バブル崩壊直後の平成の時代ならともかく、コロナ渦の今では笑いたくても心底から笑えない。
事実、こうした昭和の香りがするスナックは、コロナバブルにより多くが潰れてしまった。
「となりのシムラ」には、こうした真面目な悲しい現実を描いたコントが多い。しかし、それを一生懸命演じるから、マンネリ化したネタでも受けそうにないネタでも大受けする。
”自分から飽きたらダメだ。一生懸命にやれば絶対に受ける”
志村けんのお笑いの流儀は、そういうものである。
常に危険な橋を渡り、絶対に諦めない志村だったが、コロナという病気にはあっさりと白旗を挙げてしまった。
志村には、一生懸命さの限界が解ってたのだろうか?
私が笑えそうで笑えなかったのも、そういう所にある。
志村けんが、新しいお笑いの境地を切り開きつつあった事が、周りの証言から明らかになりつつある。
故にもし、彼が生きてたら、どんな新しいコントを見せてくれただろうか?
少なくとも「となりのシムラ」とは趣の違ったコントを見せてくれたであろうか?
そう思うと、早すぎた死がとても残念に思えてならない。
井川遥が登場する時計屋が大いに笑えた。
現実にはまず考えられないけど
美女と雨の中で偶然に出会い
その美女が強引に勧める超高価な時計を、志村が演じる真面目なサラリーマンが買わされるシーンは美しくもあった。
普通は値段を聞いた時点で断りを入れるはずなんだが、バブルの時代のサラリーマンだったら無理してでも買うんだろうね。
高級時計店って今なら時代錯誤しそうだけど
それも含めてコントなんですよ。
そう思いましょうよ。
一人だけ浮いた(ダンサーやってる)女の存在が実に絶妙なのよ。
転んだ君が嫌うような親戚の集まりなんだけど、一人風情が違うのがいるとやけに目立つんだよ。
笑えなくてもブルーになってもコントはコントなんだな。
今の時代、腕時計をはめてる人すらあまり見かけません。全てはスマホに変わってしまいましたから。
私だったら、時計の修理代24万だったかな、それを見た時に丁重に断りを入れるんですが。昔の人はそれでも意地になって見えを張り、前へ突き進むんですよね。
引き下がるなんて日本男児が許さないと。
何だか強行突破した五輪開催を見てるようで、やはり笑えそうで笑えません。
私も唯一評価するとすれば、これでしたね。
特にダンサーやってる女性のコスプレ?がとても絶妙でした。あれだけでも立派なコントですよ。
ただ、志村けんお得意の被りモノには少し食傷気味だったので、「となりのシムラ」は新鮮味はありました。
でも新しく生まれ変わった志村けんを見たかったですね。
これも面白い
今の若者の特徴をよく演出してる
志村はうまいんだ
若手の生意気さを引き出すのが
最後のノンアルのオチも
絶妙だった
本当は6話全部見たかったんですが、個人的には最後の居酒屋と飲み屋のコントがとても印象に残ってはいます。
そう言えばノンアルのネタも笑えましたね。でも今の若い人って、あまり呑まないんですよね。