2年以上も前に書き溜めてた記事だが、公開せずにいた。
というのも、テーマである”安倍三代”というフレーズが好きになれなかったからである。
政治屋を三代も続ければ、必ず倒産する。そうでなくとも政治家は腐敗する。事実、三代目の安倍首相は暗殺されたし、国民の反対を押し切って行われた国葬も素っ気ないものだった。
「安倍晋三の正体」では、故安倍首相の大凡の人物像を紹介しました。そこで、故安倍晋三が語ろうとしなかった(父方の)祖父の安倍寛(あべひろし)について紹介します。
以下、「安倍三代を辿って見えてきた事」(青木理)から一部抜粋です。
”母方の祖父•岸信介を慕う安倍晋三には、当然だが、もう一つの系譜がある。反戦の政治家として軍部と闘った父方の祖父•寛である。
彼の跡を継ぎ、若くして政治の道に入った父•晋太郎だが、彼らの足跡から<3代目>の空虚さを照らしだす。
これまで殆ど語られる事のなかった<もう一人の祖父>の実像を丹念に追い、安倍家の思想的なルーツを明らかにした話題の書。それが「安倍三代」(青木理著 朝日新聞出版)だ”
日本政界の悲しき悪しき縮図
かつて、安倍政権が歴史的な長期政権へと向かってた頃、この本を著した狙いを著者の青木理氏が明かした。
安倍安定政権の、この理由を解析するのもさほど難しくはない。
まずは民主党政権(2009年~2012年)の“失墜”、いや”自壊”に伴うバックラッシュ(反動)がある。つまり、戦後初の本格的政権交代への期待が裏切られた反動はあまりに大きく、いまなお態勢を立て直せていない野党への幻滅が、与党支持に雪崩を打たせている。
以降、政権がコロコロ変わり、何も“決められない政治”などと揶揄された一時期を経て、安定政権を求める心理が大きく広がっていた。
また、政治改革の旗印の下、1990年代半ばに導入された小選挙区比例代表制の影響も大きい。これは政権交代可能な二大政党制を目指したものとされ、現実に民主党政権誕生の引き金にはなった。
しかし、自民党内でかつて隆盛を誇った派閥はすっかり弱体化し、必然的に党執行部の力が飛躍的に高まり、党内は”ヒラメ”や小物議員が大量発生する現象を引き起こす。
結果、”次”を虎視眈々と狙うような大物は影を潜め、かつての様な自民党内での“疑似政権交代”すら、起きなくなってしまった。
つまり、安倍政権が高く聳え立つというより、周辺が軒並み陥没してしまった為、政権がデンと居座ってる様に見えてしまう。
というのが日本政界の悲しき現在図だ。
とはいえ、そんな政権が長期の執権を成し遂げ、”歴史的”と評されてる事実も否定できない。無惨な結末を辿った第一次政権期と合わせれば、安倍政権は結果的にだが、桂太郎氏を抜き、憲政史上最長となった。
因みに、これまで通算の総理在職日数のトップ4の桂太郎、安倍晋三、佐藤栄作、伊藤博文は、いずれも山口県出身。江戸時代まで長州藩と呼ばれ、幕末の倒幕運動•明治維新の中心となり、明治新政府で活躍した多くの政治家を輩出した。
一方で、安倍内閣の長期政権に関しては(当時も)賛否が激しく分かれていた。
”美しい国” ”戦後レジームからの脱却”といったキャッチフレーズを掲げた政権は、集団的自衛権の一部行使容認に舵を切った安保関連法制や、特定秘密保護法などを次々と強行成立させ、武器輸出三原則などは易々と打ち捨て、果ては共謀罪の導入や憲法改正まで目指すのだと公言した。
が、70年以上に渡り、営々と積み重ねてきた戦後日本の矜持を大きく変質させてるのは間違いなく、その意味でも”歴史的”政権ではある。
何故?長期政権が安倍に築けたのか?
だが、その政権の主•安倍晋三とは一体何者なのか?何をエネルギーとし、或いは何をルサンチマン(価値基準)とし、前へと突き進んでいるのか?
政治を専門にする記者やジャーナリストの話を聞いても、その手による記事や書物をいくら読んでみても、一向に腑に落ちないと著者は首を傾げる。
”歴史的”とか”記録的”といった形容で語られる程の迫力や磁力が現首相にあるとは、微塵も感じられないのにだ。
なのに、政策への賛否を含めた”論”により、現政権を語る書物は数々あっても、政権を率いる男•晋三の根本的な人間像に迫った記事や、ルポは殆ど見当たらない。
確かに、これに対しては反論も出そうですが。私がブログで書いた、岸信介の影響力や政財界派閥を牛耳る安倍一族の影響力を鵜呑みにしても、それだけでは長期政権の全ての理由にはならない。
それ以上に、政権がメディアに強圧的な姿勢を取り続けてるからか?或いはメディアの劣化が激しいからか?
事実、読んでて恥ずかしくなる様な提灯本や御用本が書店に山積みされてる。その幾冊かは、大手メディアの政治部記者らによる著作というから、これも偽らざるメディアの醜き哀しき現在図という事になろう。
オレは安倍寛の息子だ!父晋太郎の叫び
政治記者でもなく、政界に何のコネもない著者だが、安倍晋三の生い立ちと周辺を徹底取材し、この男の根本的な人間像を炙り出す試みは、十分に挑戦する価値のある仕事だと思えた。
この男が、現下日本政界における”究極の世襲政治家”である事に異論はない。
その系譜を辿り、戦後日本の政治史を”論”ではなく、ミクロな事実の積み重ねによる”俯瞰図”として点描し、課題と問題点を浮かび上がらせる事が出来ると著者は考えた。
つまり、歴史を論ずるではなく、解析するとはこういう事である。解析する事で、様々なテーマが浮かび上がり、その1つ1つに解(課題と問題点)がある。それらを線で繋ぎ合わせる事で、”俯瞰図”というアルゴリズムを完成させる。
私が口酸っぱく、”数学的思考が大切だ”というのは、こういう事なんですね。
安倍晋三が母方の祖父•岸信介を敬愛してる事は、以前にも腐る程述べた。だが安倍には、う一つの系譜がある。
父方の祖父•安倍寛もまた戦前と戦中に衆院議員を務め、相当に反骨な反戦政治家だった。しかし、この事はあまり知られていない。
安倍寛の息子であり、晋三の父でもある晋太郎は、父•寛に憧れて政治の道を志し、口癖の様に周りに語っていた。
”オレは岸信介の女婿じゃない、安倍寛の息子なんだ”
岸の娘•洋子との結婚が、晋太郎の政界における跳躍台になったのは否めない。しかし、”安倍家”という視座で眺めた時、岸信介ではなく、国政への第一歩を記した安倍寛こそが政治のルーツに他ならない事が解る。
なのに、安倍晋三が父方の祖父に言及する事は皆無に近い。
晋三が語らない安倍寛とは?晋太郎とは?
安倍寛とはどんな男だったのか?そして、安倍晋太郎とは?
取材は1年以上に及んだ。ずいぶん苦労はしたが、安倍寛は魅力的な男だった。安倍晋太郎もノンフィクションライターの心を躍らせる数々のエピソードの持ち主だった。
では一体、安倍晋三はどうか・・・?
取材により明らかになったのは、寛と晋太郎の政治家としての識見と志の高さと、晋三の異常な凡庸ぶりだ。それを裏付けるかの様に、安倍家の地元では、寛と晋太郎に対する人気と信望は高いが。晋三に対しては殆どが否定的な評価ばかりだ。
寛は戦前の頃から村長を務め、社会的弱者に寄り添うなど、当時の政治家としては稀な高い見識を持ってた。戦時中の異常な軍主導の翼賛選挙にも、軍部の妨害を乗り越え当選した。
この時に選挙活動を支えたのは、最後まで寛を信じた地元の人々だった。寛は東條内閣に反対してた為、推薦を受けられず、ハンデを背負った状態で出馬してたのだ。
因みに、投票率が83.16%に上った1942年の選挙では、翼賛推薦候補の当選は8割を超えた。一方、非推薦候補は立候補者613名中、当選者は85人。こうした逆風の中での当選だった。地元の翼賛壮年団までも彼を応援した。病床に伏していた時ですら、”布団に寝たままでいいから”と請われ、村長を務めた。
晋太郎はそんな父の背中を見て育った為か、徹底したリベラル&ハト派で、平和憲法を支持した。在日コリアンも差別せずに親交を結ぶなど、広い度量の持ち主だった。
幼くして生き別れた母の面影を追い続けた晋太郎の孤独な一面。”どうせ死ぬなら華々しく死にたい”と特攻を願った日々・・・
彼もまた父には負けない、孤高の気概と反戦の信念があったのだろう。
ただ、晋太郎も政界の出世街道を上がるにつれ、陳腐な大物政治家に成り下がった感は拭えない。
つまり第二次大戦前、軍部が台頭する中、確固たる政治信念で戦争に反対し、富の偏在の克服を目指し、地元の尊敬を集めた安倍寛。
その地盤と看板を受け継ぎつつ、汗水流して選挙区を回り支持を集めた晋太郎。
そして、生まれながらに政治家として恵まれた環境を得た晋三。
こうした、代を重ねる毎に権力の階段を上っていった安倍家三代が失ったものに著者は巧く焦点を当てる。
安倍晋三は祖父の劣化コピー?
晋三は失礼ながら、恐ろしく詰まらない男だった(笑)。少なくとも、ノンフィクションライターの琴線を擽る様なエピソードは、殆ど持ち合わせていない。
決して悪人でもなければ、稀代の策略家でもなければ、根っからの右派思想の持ち主でもない。むしろ極めて凡庸で、何の変哲もなく、可もなく不可もない。
敢えて評するなら、極々育ちのいい”おぼっちゃま”にすぎなかった。
”子犬が狼の子と群れている内に、あんな風になってしまった”との証言には、思わず納得してしまう。
言葉を変えるなら、内側から溢れ出る様な志を抱いて政治を目指した男では全くない。名門の政治一家にたまたま生を受け、その“運命”や“宿命”といった外的要因によって政界に迷い込み、与えられた役割を何とか無難に、できるならば見事に演じ切りたいと思っている、”ええカッコしい”の世襲政治家。
つまり、敬愛する岸や愛情を乞う母•洋子が期待する様な、政治家とは程遠かったのだ。
その規範を母方の祖父に求めているにせよ、基礎的な教養の面でも、政治思想の面でも、政治的な幅の広さや眼力の面でも、実際は相当な”劣化コピー”と評する他はない。
だからこそ逆に、不気味で薄ら寒い日本政治の縮図が浮かび上がってくる。
この様な”劣化コピー”男が、政界の階段をあっという間に駆け上がり、父方の祖父も父も成し得なかった宰相の座を易々と射止め、しかも”歴史的”な長期政権を成し遂げたのはなぜか?
戦後70年、営々と積み重ねてきた矜持(きょうじ=誇り)が、劣化コピーの如き世襲政治家の後づけ的思想によって、次々と覆されてしまっているのは一体なぜか?
しかし、政権や政権の主ばかりを批判していても、無益だし、虚しすぎる。課題や問題を抱えているのは、政治や政権の側ではなく、むしろそんな為政者を戴いてしまい、”歴史的”などと評される執権を許してしまう、日本政治のシステムと日本社会の側にあるのではないか?
それが1年以上にわたる取材を終えた、著者の感慨である。
以上、現代ビジネスから長々とでした。
最後に
安倍政権は2つの意味で、”ムチ”だと言われる。それは、”無知”と”無恥”である。これは、世襲議員の大きな負の特徴でもある。
閣僚の半数が世襲議員という、”政治身分の固定化”という今そこにある大きな危機。この世襲議員の繁殖こそが政治そのものを腐敗&劣化させ、国家を国民を絶滅に追いやるとすれば・・・
我ら国民が本当に排除すべきは、特に第二次大戦のA級戦犯を血統に持つ世襲議員である。劣化遺伝の世襲であれば尚更であろう。
世襲議員は親の地盤•看板•カバンなどを受け継ぐ事で、容易に権力の中枢に近づく事が出来る。一方、泥沼選挙のしがらみから解放される事で、地元重視型でない、より大局的な視野に立つ、雑で安直な政治を実行できる。
だがその半面、有権者との接点が薄らぎ、苦労を経ない事で、親の代が持っていた信念やエネルギー、為政者としての資質や人間的魅力の多くが失われていく。
安倍首相の言動の”軽さ”の背景には、こうした世襲の負の側面が露呈する。
私が故安倍首相を”外面だけの男”と揶揄するのはそのせいだ。
しかし、安倍シンパがこの本を読めば、全く別のコメントが跳ね返ってくるだろう。
”安倍は運がいいだけだよと言う。しかし、運だけで7年近くも首相の座を維持できるものか?少なくとも運がいいだけでは納得できない。安倍晋三が時折見せる偏執的な不気味さ。これこそが長期政権を解明する鍵ではないか”と。
しかし、「バカほど出世する」ではないが。かつての独裁者であるヒトラーもチャーチルも(大局的に言えばだが)馬鹿である。しかし、ヒトラーは戦時の大きな混乱の中、ナチス党を12年間(1933-45)も支配した。今の平和な時代の安倍7年間とは大きな違いだ。
チャーチルも戦時の混乱の時代も含め、9年間を首相で過ごした。無能なトルーマンに至っては、8年間を世界一の指導者として君臨した。チャーチルもトルーマンも、かの”鋼鉄の独裁者”スターリンの嘲笑を誘った程の低俗な人物だ。
因みに、28年間(1924-53)もの長い間、凍りつくロシアを制圧したスターリンだが、評価にては賛否両論真っ二つに分かれる。しかし貧しく暴力的な環境で育ったにも関らず、勉学の方は熱心であった。聖書を隅から隅まで読んだ唯一の独裁者との評価もある。
つまり、無能な独裁者の土壌の上に、長期政権は築かれるのであろうか?
そういう意味では、安倍晋三は無能でも”独裁者”としての資質は、多少はあったと言えるだろう。
いや、得体の知れないグロテスクな人物像こそが、安倍の強みかも知れない。
しかし、(国葬を見ても判ったように)安倍晋三に空虚さを感じるのは私だけではない筈だ。いや、空っぽだから操作しやすい。つまり、長期政権を陰で操る、卓越した黒幕はどこかにいる。それだけははっきりと言える。
つまり、時代が安倍の無能を呼び込んだと言えなくもない。
岸田内閣には、まんまと裏切られた感があります。
岸信介の悪しき系譜を断ち切ってくれるんではないかと期待したんですが・・・
しかし、岸田のバカ息子がやらしてくれたお陰で、安倍晋三の悪しき路線が断ち切られる事をただただ望むだけです。
コメントいつも有り難うです。
本作にも書かれていましたが、安倍晋三氏はリベラルだった安倍寛氏はあまり好きではなかったんですよね。
逆に岸信介に惹かれ、祖父のやったことを自分も継承しようとしました。
つまり、
・「日米安保条約」を結んだ祖父・岸信介。
・集団的自衛権を一部容認した「新・安保法制」を成立させた安倍晋三。
岸の系譜は、日本の現代史に脈々と流れているんですよね。
現首相でハト派・宏池会の岸田文雄氏がこれを断つかと思いましたが、安倍氏の路線を継承するだけでなく加速させている様子。
このままだと台湾有事の際は日本が先兵となって戦いそうですね……。
食糧自給率もエネルギー自給率も低くて、自衛隊に入る若者も少ないのに……。
私も靖国問題については
記事を書いたんですが
ホント言いたかったのはそこなんですよ。
優先順位を間違ってる。
世襲議員の無能と無知はそこに結集されてる。
そんな雑魚の中で生まれた安倍政権
悲しい結末になったのは残念ですが、ある意味では予想された事でもありました。
コメント勉強になります。有り難うです。
太平洋戦争時の戦犯逃れの子孫らだから
<靖国>という矛盾が発生する。
本来なら
戦場という壮絶な現場で憤死した兵士たちの魂を弔うのが先なはずだが、
戦犯逃れの子孫たちは戦犯で処刑された軍幹部らを先に奉ってしまった。
つまり優先順位を間違ったが故の靖国問題ですが、故安倍首相もそれに触れることはなかった。
世襲と言うだけで腐ってる上に、戦犯逃れという罪が消えるはずもない。
安倍晋三の悲劇は・・・
世襲議員ばかりの”本命なき政界”で名を残すには、長期政権を築く事しか頭になかったんでしょうね。
そんな安倍政権を我々国民は支えてきたんですよ。
安倍も無能なら我々国民も無能だったんですかね。
安倍寛を敬愛していた晋太郎ですが、政界に躍り出るには岸信介の血統が必要だったことを痛感したんでしょう。
地方議員で反戦を訴えても、弱者の味方をしても何も変わらない。
晋三が岸信介を敬愛したのも、雑魚同然で群雄割拠状態の本命なき政界に名を残したかったからでしょうか。
少なくとも国民と時代が安倍晋三を選択したのは確かでしょうね。
スミマセンです。
一方で、少し同情する部分もあるんですよね。
周りは無能な世襲議員で一杯でしたし、全てが無能な方向に向かっていったのかもしれません。
岸田首相のバカ息子もやらかしましたが、これこそが世襲議員の正体です。
言われる通り、育ちの良さがいい方向に向かえば問題はないんですが、無知無能であるが故に、結果的に巨悪な存在になりました。
周りも、ボンボン育ちだからとノーマークだったんでしょうか。
”悪い奴ほどよく見える”というのもマーフィーの法則の1つかもです。