象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

「パリの胃袋」(エミール・ゾラ著、朝比奈弘治訳)に見る、過ぎた大衆消費と資本主義の腐敗

2024年12月09日 06時26分16秒 | バルザック&ゾラ

 この作品の最大の魅力は、パリ中央市場の凝りに凝った詳細すぎる描写にある。
 ゾラ御贔屓の印象派ではなく、"現代の美"を象徴する、貪欲な表現主義に凝り固まった絵画群を満喫するかの様だ。
 ゾラはこの作品を通じ、”現代の美を描き切った唯一の作家だ”と、訳者の朝比奈氏は賞賛する。

 ”野蛮と血生臭さ”が渦巻くパリ中央市場。
 この巨大なパリの台所に、1人の貧窮な異端児がポツンと落とされた。まるで、鮮やかな色彩と色調の中に、灰褐色のくすんだ一滴の雫が落とされたかの様に・・
 1851年のパリでのクーデターの際、無実の罪を着せられ、流刑地のカイエンヌから、命からがらパリに逃れてきた主人公のフロランだが、彼は運良くフランソア夫人に救われ、旧友カヴァールとの出会いもあり、父親違いの弟のクニュ家に拾われる。
 早速、旧友の便宜で鮮魚検査官としての仕事に就くも、自分を裏切った帝国政府の下僕で働く事に拒絶を感じる日々・・
 一方、クニュの妻リザ(「居酒屋」のジェルヴェーズの姉)の必死の説得もあり、魚屋の女主人どもの嫌がらせをもろに受けながらも、腐敗臭のする中央市場ど真ん中に身を落ち着ける。


食欲か?革命か?

 7年間の逃亡生活の末、やせ細った彼の貧相な身なりは、でっぷりと膨らんだ腹を良しとする女たちからすれば、同情より敵意と憎悪を誘うものだった。
 更に、フランス中の全ての食材を呑み込んだこのパリの巨大な台所は、弱者でよそ者の彼を容赦しない。
 ここでは食欲という強欲こそが正義であり、弱肉強食が渦巻く貪欲のカーニバルなのだ。正義と友愛を夢見た彼の思いは、何時しか欺瞞に満ちた帝国政府への復讐に変貌する。
 しかし、このフロラン自身もこの作品の中では、ヒーロー的な位置付けには程遠く、無実の刑による復讐の念に燃えた世間知らずで無能の夢想家に過ぎない。むしろ、彼を取り巻く食材の山とそこで働く女どもの醜く膨らんだ腹は、人間の野蛮さの象徴に過ぎないが、読者にはこの悍しい連中と辟易する程の食材の光景こそが、悪の象徴に見えた事だろう。

 そんな中、この中央市場のど真ん中に産み落とされた孤児のマジョルランとカディーヌ。この純粋無垢な幼いカップルが憎悪と腐臭に満ちた市場を自由自在に闊歩する様は、とても美しく優雅で輝かしく映る。"現代の美"を追求する若き画家クロードはいつも彼らに纏いつき、画材にしたい程に見入るのである。実に微笑ましいシーンだが、彼らこそ動く現代絵画なのだ。
 他方で、パリの膨張し腐敗した市場に辟易していたフロランは、弟と妻リザの同情と厚意を受け、温々と何不自由なく暮らし、夜はルビーグル酒場で政治談議に思う存分に花を咲かす。そこでは彼は英雄であり、流刑地での経験が幅を利かす。
 その上、魚屋のメユダン姉妹の熱情に挟まれ、特に姉は、大柄なノルマン出身の美女らしく、彼に結婚を迫るほどに熱を上げる。こんな甘く生温い生活環境の中、彼は次第に現実を見失しない、帝国政府打倒という稚弱で柔な政治思想を追いかける様になっていく。

 フロランの正義と友愛の妄想は頭の中で大きく膨れ上がり、人道主義的な社会主義思想へと結びつき、復讐の念がその幻想を後押しする。気が付けば、帝国政府を転覆させる反乱軍のリーダーに奉られてた。
 彼には、この中央市場の異様な程の喧騒と悪臭が、狂気と汚辱に満ちた第二帝政とダブってしまう。当然の如く彼の企ては裏切りにも遭い、アッサリと挫折し、太った腹たちの勝利に終わり、旧世界に生きる老婆達は笑いが止まらない。
 つまり、巨大な市場の"腐敗と悪臭"は、政府のそれと同様に簡単には消せないのだろう。

 しかし、この作品には”もう一つの大きな世界が描かれてる”と翻訳の朝比奈氏はいう。
 パリの外、政治の外、大衆消費文化の外に広がる生と死が果てしなく循環する原始的な世界。資本が時代を食い潰し、貪欲と強欲が社会を支配する消費と食欲が大衆を呑み込むその果ての世界。ゾラはこのエンディングを通じ、もう一つの永遠の理想郷を表現しようとしたのだろう。
 つまり、征服欲という政治の世界と食欲という大衆の世界。欲望を満たすという点では両者は一致するが、2つの世界の対比は解説文を読んでからの方が、「パリの胃袋」をより一層美味しく味わう為にも、ずっと理解し合えると思う。


最後に

 全く朝比奈氏の巻末のあとがきが完璧すぎて、これを読むだけで、作品のイロハが理解出来る。以下、簡単にまとめてみた。
 第二帝政期の”狂気と汚辱に満ちた奇妙な時代”の大衆消費に支えられたパリの巨大な胃袋の本質と実像を詳細に描く。”19世紀の首都”に君臨したパリの大改造は新しい中央市場を作り出し、それを囲う鉄とガラスで覆われた近代建築群は、旧来の暗くて重い石造建築に慣れ切った人々を驚嘆させた。新たな産業社会と大衆消費社会を迎え、パリは大きく変貌する。 
 舞台となるパリの中央市場は貪欲と狂気と強欲が渦巻く、庶民の慢性化した食の狂宴をもたらした。この作品の共通のイメージとして、殺される生き物の血や肉に臓物。つまり、動物的で盲目なる食欲の祝祭なのだ。

 ゾラはこうした暴走化した強欲を食欲という形で表現する。屠殺のイメージを媒体とし、資本主義と重ねあわせ、華やかな近代社会の根底にある野獣さながらの弱肉強食の世界をどっぷりと精緻に描く。

 まさに、ゾラが夢見た理想郷は、パリの中央市場を彩る食の狂宴でもあったのだ。

 


2 コメント

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過ぎた独裁と民主主義の腐敗 (腹打て)
2024-12-10 12:37:53
と言ったところか
今回のアサド政権の崩壊を見てると
そういう気がする。
その上、西側とロシア帝国やイスラム主義帝国との対立を見てると、民主主義のなれ果てを見てるような気もするが
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腹打てサン (象が転んだ)
2024-12-10 16:18:15
結局は
権力も暴力も民主主義も何処かで繋がってるんですよね。
暴力で独裁政権を倒しても、その暴力を権力が潰す。
全く同じ事を繰り返してるだけで、結局は何も変わらない。
むしろ、大衆の被害は益々酷くなるばかりで、これが大衆が夢見た民主主義の果てなのかなって思いますね。
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