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アキさんの家族

2018年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム
アキさんとはドナー説明員養成講座で出会った。
ボランティアを始めるきっかけはそれぞれだけれど、白血病などでお子さんを失った方が圧倒的に多い。
アキさんもその一人だった。

14年前、白血病を発症した次男ケン(仮名)君のドナーは見つからなかった。
仕方なく、二座不一致(白血球の重要な6つの型のうち2つが合わない)のアキさんの骨髄から移植をした。
一か八かの賭けだった。
しかし、急性GVHD(移植の副作用)により、命を落としてしまう。
ケン君は5歳だった。

この不幸の裏側に埋もれているもう一つの悲しみを、私は知った。
長男ヒロ君(仮名)は当時、小学3年生で大抵のことは出来る年齢になっていた。
アキさん夫妻はケン君のことにかかりきりで、ヒロ君を気にかける余裕はなかった。
わがまま一つ言わないヒロ君は、ご飯を食べる時も夜寝る時も一人ぼっちになっていく。
そのうち、ヒロ君の体に夜尿症やじんましんなどの異変が起こり始める。

ケン君の死後、ヒロ君は小学4年生になり、学校のイベントで生い立ちの紙芝居を作って発表した。
その紙芝居に、従兄弟たちの誕生は描かれていたが、弟のことは一つも描かれていなかった。
それを見た時に、アキさんはヒロ君の寂しさ、悲しみに気付く。

「今まで気づかなくてごめんね」
謝ると、
「ずっと寂しかった」
ヒロ君は、アキさんの前で初めて大泣きしたのだった。

この話をしながら、アキさんは泣いていた。
私はなんてひどい母親なんだろう、と。

14年の時が経ち、ヒロ君は23歳の立派な青年に成長した。
ケン君の死後生まれた娘さんは小学生になり、アキさんは何かを取り戻そうとするかのように子育てに奔走している。

皆、優しくて、必死で頑張っている。
美しい家族だ、と私は思った。

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2 コメント

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Unknown (MI)
2018-09-22 10:29:54
私も、具体的な事情は違うけれどおなじようなご家族を知っています。また、例えば、拉致されためぐみさんのご家族が過ごしてきたであろう年月も共通するものがあるのではないかと思ってしまいます。家族はそれぞれ事情を抱えて、でも一緒に頑張っていくのですね。たとえ気持ちが食い違ってしまうことがあっても、最終的には。
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MIさん (liberta)
2018-09-22 15:09:26
愛情があればこそ、ですね。

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