まだGPSを持っていない頃に行ったのでGPSに落としていない場所を改めて尋ね地図に落とす、というのをやっているんですが、ここもその一つです。「重砲兵第8連隊・速射加農砲砲座跡と弾薬庫跡」。右がカノン砲を隠していた場所で左が弾薬庫です。戦時中はレール?見たいなのが敷かれ出し入れしていたと聞きました。
元々は西表島・船浮湾にあった船浮要塞で銃砲兵連隊として赴任していた部隊が一部を残し部隊名「重砲兵団第8連隊(連隊長・入野大二郎中佐)」とし、石垣島の中心であるこの山中に陣地を構築、移動して来ました。設置されていたのは12センチカノン砲と言われているので、おそらく「斯加式十二糎速射加農砲(しかしきじゅうにせんちそくしゃかのんほう)」だと思います。なお、船浮要塞関連は、船浮要塞重砲兵連隊本部付将校、第二中隊中隊長・元中尉が書かれた「鉄田義司日記」にかなり詳しく書かれています。オイラもまだ読んでいないので、ぜひ読みたい。
八重山における戦時中の日記を本にした物は幾つかありますが、いずれも当時兵隊さんが日記を書くという行為は情報漏洩、スパイ行為に当たるので皆さん厳重に隠しながら書いていたとの事です。ただこの「鉄田日記」の著者のように将校クラスになると隠すのも比較的楽だったんじゃないでしょうか。
50mほど離れた場所にあるやはりカノン砲の砲座跡です。この近辺には他にも斜面に掘られた壕が幾つか点在しているようですが、オイラはまだ探し切れていません。何せご覧の通り亜熱帯ジャングルですから探すのに一苦労だし、探しているうちに現在地を見失いそうになります ( ゚Д゚)
1944(昭和19)年頃から本格的に戦況悪化。石垣島にも連合国軍が上陸してくるのではないかと言う事から、同年9月にこの場所に設置したと言われています。ここからであれば当時石垣島に合った全ての飛行場(陸軍東飛行場(白保)、海軍北飛行場(現熱研)・南飛行場(旧石垣島空港)に向け加農砲(カノン砲)を放つ事が出来ます。敵国に飛行場を奪われそうになった時、攻撃出来ると考えたのでしょう。実際各飛行場は何度か攻撃されたそうですが、ここから放たれた砲弾はなんと0(ゼロ)!。その理由が「うかつに撃って敵に場所がバレると困るから」だそうです(+_+)。 しかし当時既に空撮その他により米軍には石垣島のほぼ全ての配置がバレていたそうです。
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