サクレクール寺院の西側にあるテルトル広場に行ってみました。驚いたことに、以前来た時と雰囲気がだいぶ変わっていました。この広場にはカフェ部分があるにはありましたがそれは一部で、多くの絵描きさん達がここで絵を描いたり、また画きながら絵を売ったりされていて、観光客も絵描きさん達が絵を描いている横を縫うように歩くという非常に活気のある広場でした。
が、今回行ってみると広場の大部分はカフェになっていて、カフェの周りに絵を描いたり、売ったりしている絵描きさんがいるという感じになっていて、絵描きさんの数も以前に較べると減っていました。又絵描きさんではなく、画を売るだけが仕事の人もおられるようでした。広いカフェ部分が観光客で賑わっているというわけでもなく、広場全体に以前の様な活気がありませんでした。何だかガッカリでしたね。
モンマルトルは19世紀後半~20世紀初めにかけてユトリロ、ピカソ、モネ、ルノワールらに愛された街でもあり、とくにテルトル広場周辺にはその頃の面影が残る小道が四方八方に広がっています。下の写真のように通りも歩道も日本の様にアスファルトではなく石畳というか、非常にごつごつしてしかも坂道や階段が多く、歩きにくいので転ばないように注意して歩きました。
テルトル広場から階段を避けて坂道をゆっくり歩きながら散策しました。緩やかな坂道を上り下りしているとモンマルトル美術館にでました。入館はしませんでしたが、この美術館にはこの地に暮らした画家たちが画いたモンマルトルの風景画やロートレックのポスターなどが展示され、お庭にはルノワールのよく知られた「ブランコ」が描かれた場所があるそうですよ。
<モンマルトル美術館>
さらに坂道を下るとブドウ畑にでました。昔はこの辺り一帯はブドウ畑だったそうですが、今残っているのはここだけだそう。この畑でとれたブドウで少量だけれどワインも作られていて、毎年10月第2週の週末に収穫祭が行われるのだとか。
<モンマルトルのブドウ畑>
ブドウ畑の向かいにはシャンソンを聞かせてくれるお店、シャンソニエの「ラバン・アジル」がありました。かってこのモンマルトルに住んでいたピカソやユトリロが足繁く通っていたそうです。夜だけの営業のようで、この時は閉まっていましたが、外観が何となく可愛らしく素朴で、このあたりの雰囲気にしっくり溶け込んでいました。店名の「ラバン・アジル」というのは「跳ねうさぎ」という意味だそうで、よく見ると壁にその絵が描いてありました。
<シャンソニエ「ラバン・アジル」>
モンマルトルのシンボル、サクレクール寺院へ向かいました。モンマルトルはパリで一番高い丘(130m)で、そのてっぺんに建っているサクレクール寺院に行くには、かなりの階段を登らなければなりませんが、ケーブルカーもあります(ケーブルカーは地下鉄のチケットで乗れます)。ちょっとの距離ですがやはりケーブルカーは楽ですね(^-^)
<ケーブルカー乗車口>
ケーブルカーを降りると、夏の陽に照らされた白亜の美しいサクレクール寺院正面に出ます。こんな建物をロマネスク・ビザンチン様式というそうですが、パリによくある教会とちょっと趣が違いますね。ビザンチン様式といわれる所以でしょうか?この日はよく晴れたお天気のよい日で、正面から見る教会は、なお一層神々しく見えました。
<サクレクール寺院>
パリで一番高い丘に建つ教会なので、教会前の広場からはパリの素晴しい景色が一望できます。下の写真はモンパルナス~その東側を見たもので、右側に小さく写っている黒いビルは、高さ210mの高層ビル、モンパルナスタワーです。
教会の中に入ると何か行事が行われている様で、正面祭壇辺りには近づけませんでした。祭壇後ろの天井に描かれた美しいモザイク画にはキリスト、マリア、法王など多くの人々が生き生きと描かれています。
<主祭壇後ろの天井モザイク画>
世界中から来た信者を包み込むようなポーズのイエス様ですね。
これまで4回のパリ訪問でパリに到着するのはいつも夕方でした。CDG空港からパリへ向かう車の車窓から、夕景色の中にサクレクール寺院が見えてくると、あぁ~又パリに来れたんだな~という感慨が、いつも湧いて来ます。そんなわけで私にとってサクレクール寺院はパリを象徴する場所なのです。
この日は午前中にモンマルトルを散策しました。メトロ2号線のアンヴェール駅で降りサクレクール寺院を目指しましたが、この寺院の周りには生地屋さんがたくさん集まっています。何故この辺りに生地屋さんが集まっているのか、その理由はわかりませんが。
サクレクール寺院見学前にそんな生地屋さんの一つ、DREYFUS(ドレフィス)に入ってみました。下の写真を見ると奥にサクレクール寺院が写っていますね。10時ちょっと過ぎでしたがまだお客さんは少なく、5階建ての店内をゆっくり廻りました。生地を用途別に各階に分けているようです。
<ドレフィス>
<店内の様子>
私は2Fで下の写真の様なホームドレス用の生地を買い求めました。2.3m欲しいと言うと、1m単位でしか売れないと言われ、2m購入しました。たしか34ユーロでした。
ピタッと折られて反物状になっていたので買う時には気付きませんでしたが、この生地は同じ様な日本の生地と違ってW幅でした。なのでホームドレスを作るとだいぶ余ると思います。残った生地で何を作ろうかしら?(^-^)
パリ中心部の交通規制で早めにホテルに引き上げた日の夜に、ちょっとおめかしして、予約していた国鉄リヨン駅構内にあるレストラン「ル・トラン・ブルー」に参りました。
国鉄リヨン駅には地下鉄14号線が乗り入れている様ですが、私達が利用した1号線は乗り入れていませんで、メトロリヨン駅で下車し、1度地上に出て目の前の国鉄リヨン駅に向かいました。国鉄リヨン駅はリヨン、ニース、マルセイユなどのフランス南部方面へ行く列車の始発駅であり、新幹線TGVも発着しています。
<リヨン駅>
日本的な感覚では、駅中のレストランというと何だか落ち着かない感じがしますが、この「ル・トラン・ブルー」は歴史的建造物に指定されていて絢爛豪華な店内でよく知られたレストランです。
このレストランの創業は1901年。1900年のパリ万博で大勢の旅客が訪れることを見越して作られたそうで、リヨン駅の西側2階にあります。お洒落な階段を上がると、入り口は回転式の木製の扉でした。
<入口>
予約していた旨、伝えるとすぐ席に案内してくれました。7時に予約していましたが、フランスの夏の7時はまだまだ夕食の時間ではないらしく、お昼の様に明るい広い店内には、ほんの数組のお客しかおられません。
料理を決め、座っている席から絢爛豪華な店内を眺めてみました。「これが駅中のレストラン?」と思わず目をみはりました。こんな内装をベル エポック調というそうですが、そういうことに疎い私にはよくわかりませんね~。壁から天井はぼぼすべてパリ、マルセイユ間の風景を描いたらしい絵画で装飾されています。その絵画が金色や白い枠でデコレーションされているので、まるで宮殿の中だと錯覚しそうな感じです。
現代では私達でも気軽にここで食事を楽しめますが、このレストランが開業した20世紀初頭の人々にとって、このレストランで食事をして、リヨン駅発の列車に乗り南仏方面を旅行することは、お洒落で、スタイリッシュなことで、限られた人だけが味わえる究極のステイタスシンボルだったのではないかと思わせられます。100年以上前に造られたこの駅やレストランは、南仏に向かう色々な人々の人生ドラマを見て来たというわけですね。
テーブルの上には、正統派のフランス料理だと感じる白いテーブルクロスと銀のカラトリー。最初に食前酒のスパークリングワインが運ばれてから、丁度良いタイミングで料理が運ばれてきますが、それを写真に撮るのは、何となく憚られる雰囲気。それはお城の様なこの雰囲気と、サービスして呉れる人達がとても礼儀正しかった為かもしれません。家に持ち帰ったメニュウ表を添付してみますネ。
お料理はエレガントなフランス料理といった趣でしたが、量が私達日本人には多すぎる様に感じました。かなり大食家の夫でも「少し多すぎだね」と言っていまし、特にデザートなどは「えっ!」と感じる位の量でした。出される美味しい赤ワイン、白ワインなどとともに雰囲気を楽しみながらお料理を頂いていると、3時間位はあっと言う間に過ぎてしまいました。
食事が終わり回転式の木製の扉を押して外に出ると、下の写真のようなリヨン駅のホームが見えました。途端にまた南仏に行きたいな~という気持ちになりました。もうこの歳ではおそらく無理でしょうが。(下の駅の写真はまだ明るいうちに撮りました)
<国鉄リヨン駅構内>
オペラ座内部見学の後、少し前にTV番組の「ぶらタモリ、パリ編」で放映された9区のパサージュ、ジュフロアに行くつもりにしていましたが、ちょうどこの日(7月28日)はツールドフランスのパリゴール日で、午後からパリ中心部に交通規制が引かれ自由な移動が難しく、歩いて行けるマドレーヌ寺院、ヴァンドーム広場だけを見学してホテルに戻りました。
マドレーヌ寺院はコンコルド広場から延びるロワイヤル通りのつきあたりにある教会です。この教会は、ちょっと変わったギリシャ神殿風の外観ですが、周りを取り囲む52本の巨大なコリント式の列柱には何度見ても驚かされます。
<マドレーヌ寺院>
中に入ると、聖歌隊の皆さんでしょうか、正面祭壇の「聖マドレーヌの昇天」像前で歌の練習をされていました。彼女たちの澄んだ声と「聖マドレーヌの昇天」像の優美な姿が相まって何ともいえない美しい空間を作り出していました。丁度この時にここに来れたことに感謝して、しばらく椅子に座って歌を聞かせていただきました。遠い異国から来た旅人の私の心にも歌声が沁みましたね。
<「聖マドレーヌの昇天」像>
「聖マドレーヌの昇天」像には、気持ちが揺さぶられる何かがある様な気がします。翼を持つ天使達と共に天に昇って行く聖女マドレーヌが、丸みを帯びた美しいフォルムで表現されていて、とても優美な聖人像です。
外に出てみると自由な移動がしにくい雰囲気で、宿泊しているホテルがサントノレ通り沿いにあるので、その途中にあるヴァンドーム広場を見学した後、ホテルに戻ることにしました。
ヴァンドーム広場を見ると何てきれいな広場だろうという思いにいつもなりますが、どうしたことか今回はそんな思いは湧いて来ませんでした。というのは今回はこの広場を取り囲む高級ブランド店数軒が改修中だった為でしょう、おそらく。
<ヴァンドーム広場>
でも広場中央に立つ、オーステリッツ戦の戦勝を記念してナポレオンが建てた高さ44mの円柱は美しく、夏の日を浴びて輝いていました。この青銅製の柱は敵から奪った1250門の大砲を鋳造したといわれ、台座の4面はすべて戦いに関係した彫刻が刻まれています。ヴァンドーム広場という名前ですが、元の土地の所有者ヴァンドーム侯爵から取られたのだそうです。
<広場中央に立つ円柱>
今回の旅では、ホテルから歩いて3、4分の距離にこの広場があったので前を何度も通ることになり、美しい青銅の円柱がいつも見えていました。今も心に残っています。
(ヴァンドーム広場の写真は改修中ではない写真を載せたかったので、ネットよりお借りしました)