『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

プレゼント

2020-08-25 07:39:00 | 頂きもの
きのうは
初めて姉妹で来られた
クライエントのお姉ちゃんが
ちょうど19歳の誕生日というので、
学校に持っていこうと思っていた
『庭の桜桃』を
プレゼントにさしあげた。

そしたら、
妹さんが
「いいなぁ…」
と羨ましそうだったので、
も一枚あった
『裏磐梯の水芭蕉』
の写真を差し上げたら
喜んでおられた。




いずれもダイソーの
110円の額装なので、
あんまし喜ばれると
返って恐縮するが、
不二家のケーキを
手土産に頂いたので、
その返礼でもある。




夕餉のデザートを
頂戴したので、
サーモンを山葵醤油でやる
予定を変更して、
オリーヴオイルとスパイスで
フレンチ風に仕立てた。




今日は、
フランス産リエットの
詰め合わせのお中元が届くので、
また、晩には
ヴァケットと泡物で
フレンチ風にしようかと思ってる。



明日から、
いよいよ2学期の勤務が始まる。

コロナ休暇中の
子どもたちじゃないが、
なんだか、早く学校に行きたくて
しょーがない(笑)。

SCは、75歳が定年なので、
それまで、カラダさえ丈夫なら
“好きな仕事”だから
ずっと続けられたらいいなぁ…と、
思っている。

そしたら、
ケストナーの名作
『飛ぶ教室』の“禁煙先生”や
『ヨーンじいちゃん』のような
児童文学に出てくる
好々爺のようになりたい。

いずれも、
老賢者であり
プシコポンポース(魂の導者)的な
存在である。

カウンセラー/サイコセラピストから
ソウル・メイカーへと進化するのが
ひとつの理想かもしれない。



この 夏、
「なぜ時間があるのか」
という素朴なことを
思考実験として考えてみた。

その答えは実に明瞭で、
経験というものをするためである、
ということに気づいた。

これはすなわち、
「なぜ意識があるのか」
という問いの答えにもなっている。

自意識と言ってもよく、
英語では「 I am 」のことである。

仮に、自意識だけ存在しても、
時間と空間がなければ 、
そこに経験というものは
存在し得ることはできない。

その逆も真なりで 、
時空だけ存在しても、
そこに意識がなければ、
経験というものは起こり得ない。

それでは、
経験とは一体何だろう。

常識的には、
ある場において、
ある一定の時間、
自意識が感知する事象、
と言えるだろう。

Wikipedia による定義では・・・

認識としてまだ組織化されていない、
事実の直接的な把握。

感覚や知覚によって
直接的に与えられるもの。

感覚・知覚から始まって、
自覚されたもの。

座学的な知識と
五感や手・足など身体をフルに使って
得られる認識・記憶の総体。

「 I am 」という存在と自意識は
自明なことなので、
これを「何故生じてきたか」
というのを問うても
明解な答えは得られていない。

しかし、
これまでも在り、
これからも在るもの、
と考え、それを信じてみると、
“大いなる安らぎ”を
得られるような気がする。

金光教祖は、
神様に神界・霊界に
三日間連れられて見せられた
という神秘体験をしているが、
それらのことは
言っても解らぬし
信じることもできないだろうとし
詳述していない。

だが、
「魂は生き遠し」である、
とだけは明言している。



我がオシリ痛も
世界のコロナ禍も
現象界では通底しているので、
今生の世で、何故、このような
世界の様相になっているのか、
今しばらく悲観論に陥ることなく
分析・総括してみて、
人類が恒久的に助かる
処方箋を考えてみたい。

河合先生は、
カウンセリング室に訪れる
ひとりのクライエントは
社会病理の代表者でもある、
と仰っていた。

それゆえ、
我われ心理師は、
為政者のような
「大所高所」からでなく
「小所低所」から世界を観て、
その治療法を考えるのである。

⁂+

世界・人類は、
【第三の道】を求めて
「SDGs/Sustainable
Development Goals
(持続可能な開発目標)」を
2030年までに達成しようとしている。


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