夏風邪の症状が
頭痛・めまい・体痛…と、
移動していたが、
真夜中の3時頃には
激しい膨満感に苦しめられ
VVR(血管迷走神経反射)を
起こしかけた。
枕元にある『御神米』で
御神号奉唱しながら
おなかを半時もさすっていたら、
なんとか楽になったが、
気が付いたら夜が明けていた。
大建中湯を呑んだら
さらに落ち着いたが、
腹風邪の時によく起こる
全身の倦怠感に包まれている。
**
きのうは
めまいも治まり、
体の痛みだけだったので、
朝からバファリンを呑んだら
楽になって、ランチに出かけよう
という元気が出た。
戸外は真夏日には届かない
28℃くらいだったが、
それでも熱中症の予防に
ネック・クーラーと
短パンのポケットに
アイスパックを忍ばせ
太腿の付け根を冷やしながらの
お出かけだった。
毎年、高齢者が1000人も
熱中症で亡くなるというので、
真夏の外出は油断がならない。
*
行先は、行きつけの
老舗鰻屋である。
出汁巻玉子を頼んだら、
裕に玉子5ケ分くらいの
たいそうな量だった。
それでも、
熱々の焼きたてだったので、
箸が進み、うな重が出来るまでの
いい前菜になってくれた。
*
うな重は
いつも「松竹梅」の
鰻半身の「梅」にしている。
「竹」になると
鰻が一尾になり
白飯が見えないほどに
鰻が敷き詰められるが、
そうなると、どこをとっても
鰻飯になるので、
途中で食べ飽きることがある。
無論、値段も1.5倍になり
物価高のきょう日は
懐の負担も違ってくる。
「うまき」の単品も
うな重の「梅」と同じくらいするので、
安価な「出汁巻玉子」を頼んで
京都の『京極かねよ』の
『きんし丼』みたいに
鰻にのっけてみた。
出汁巻玉子と白飯で
『出汁巻玉子膳』としても
楽しめた(笑)。
*
この夏休みの
ロンバケ・コンセプトは
人生を楽しむ名人の
イタリアーノに倣い
「マンジャーレ/カンターレ/アモーレ」
(食楽/音楽/愛楽)
しようかと思っている。
「愛楽」はテキトーな造語だが、
お盆に孫が帰省してくれたら、
コテコテに可愛がりたいと
手ぐすね引いて待っているが、
コロナ禍の第九波と
幼児のヘルパンギーナや
SRウイルスが流行しており、
大丈夫か心配もしている。
**
帰宅したら、
Amazonに注文していた
マンガ・書籍・岩塩・ケッパーが
置き配のボックスに届いていた。
新刊書を読むときは、
いつも、頁の真ん中辺を開いて、
鼻を当ててはクンクンと
刷りたてのインクの香りを嗅ぐ(笑)。
昭和の人間ならではの
旧弊な贅沢感を味わう
喜びのようなものである(笑)。
*
「カンターレ」の一貫として、
去年の『リュートマラソン』には
採り上げられなかった曲集を
アナリーゼと練習をしては、
ぽちぽちと録画録音をしている。
時々、指が痛くなったり、
背中が凝ったりして、
嫌になることがあるが、
(楽しくないならやめぇ!)
と、自分に号令をかけている。
そして、いつもいつも、
(楽しいか?)
と自問しながら、
やるようにしている。
楽しくないなら
「音楽」じゃないもんね(笑)。
イタリアーノたちは、
発声し、唄うこと自体を
楽しんでいるように見えるが、
楽器でクラシック音楽をやる以上は、
エレガントにソフィスティケートされた
演奏にすべく、どう歌いたいのか…
考え、試し、何度も弾き重ねる、
ということが要る。
楽しい時に思わず出る
「鼻歌」と違うのは、
そこに「聴き手」の存在が
念頭にあるからである。
なので、
独善的な自己陶酔的な
表現であってはならず、
古典音楽に通底する
雅味がなくてはならない。
それが解かるようになるには、
多くの楽聖たちの秀作を
マエストロの演奏で聴き、
その譜面と演奏から
学ばねばならない。
***
医大の献体の会
『志らぎく』の会報が届いた。
以前に、
ご高齢の役員の方から、
是非、役員に…と推挙されたが、
75歳までは
現役SCを務めるつもりなので、
「現職」を理由に固辞させて頂いた。
毎回、会報が届くたびに、
献体された方々の御芳名と
解剖実習後の学生たちの
真摯なレポートに目を通している。
自分は、2歳から
重症の小児喘息で
10年余り、20回以上も
医大の小児病棟に入院して
命を継いで頂き
今日があるので、
その恩返しと思っている。
『鶴の恩返し』
だと美しいイメージだが、
肥満したジジイだと
『豚の恩返し』
になってまい、
あんまし、美しくねぇなぁ…(笑)。
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