全国的に
第五波の感染爆発が
起こっているようなので、
夏休み中の
プチ・マイブームにしてた
"蕎麦っ喰い"行脚も
今日から、しばらく
自粛しようと思う。
今日行く店も
決まっていて、
行ってみたい
という好奇心はあるが、
【好奇心を制すは恐怖心しかない】
との格言に従うことにした。
県内も二日続けての
80人超えとなり、
ジワリとデルタ変異株が
拡まりつつあるようだ。
ワクチン未接種であり、
全身に出来物ができるような
免疫低下状態なので、
込み合う皮膚科への
通院も見合わせて、
カミさんに朝晩
抗菌軟膏を塗ってもらい、
排膿処理をしてもらっている。
抗生物質を一週間呑んでるが
まだ化膿が治まらず、
痛みは軽減したが
完治には至っていない。
この分では、
ホーム・メディケーションで
ほぼ治ってから
皮膚科で経過診察してもらい
済生会への『紹介状』を
もらうだけになりそうである。
今度は、
オペ摘出にむけての
通院を覚悟せねばである。
蕎麦行脚を
七日も続けてみて、
どの店にも贔屓客がいて、
蕎麦好きが多いということを
痛感させられた。
というのも、
込み合うのを避けて、
口開け時の11時か半ちょうどに
出かけるも、もう、すでに、
数組が駐車場や店先で
待っているのだから驚く。
おもに「天盛り」を
七日続けてやってきたが、
店によってさほどに違いはないものの
飽きもしないから、
蕎麦は不思議なものである。
いくら鮨好きでも、
七日続けては
出かける気はしないものである。
盛夏にあって、
ひんやり喉越しがいいのと、
仄かな香りがするのと、
天婦羅のカリリとした食感との
テクスチュアの違いが
楽しめる・・・などがあって、
喰い飽きさせないのかもしれない。
それと、
〆に蕎麦湯でもって、
ツユをじんわりと味わうのも
気が緩む不思議な魅力がある。
おとついから
アルベニスのピアノ曲集を
IMSLPからダウンロードして
作品群を俯瞰している。
実際に音出ししてみると、
ギターでさんざん弾いて
飽きあきしてる
『入り江のざわめき』
『アストゥリアス』
『コルドバ』
『グラナダ』
などが新鮮に感じられた。
ピアノ曲がオリジナルで、
ギター版が編曲譜なので、
なんだか原点回帰して
勉強している気分だった。
ギターに自然に馴染むのは、
作曲者がスペイン舞曲でもある
フラメンコの様式を採り入れて、
ギター奏法を模倣しているから、
という事も弾いていると
実感できた。
曲集監修者の解説によれば、
技術的にも中級程度で、
オリエンタル、エキゾチック
な曲が満載とのことだった。
たしかに・・・
ギターで弾くよりも、
ピアノの方が技術的に
楽な感じがした。
今日は
グラナドスの
『12のスペイン舞曲』と
『詩的ワルツ集』を
ダウンロードして、
ピアノでさらってみたい。
あの名曲の
『オリエンタル』や
『アンダルーサ』が
ピアノでどう響くのか
楽しみである。
ホームの婆様の
医療情報が家族に届くが、
定期健診の結果が、
自分とは真逆で、
どこもかしこも
まったくの正常値で、
自分もこうだったらなぁ・・・
と溜息がもれた(笑)。
89歳の婆様のほうが
超「健康体」なのである。
こりゃ、
ムスコの方が、
先に逝きそうかもだわ…(笑)。
ただ、
ホームを訪ねると、
認知症の高齢者ばかりなので、
食べて寝てばかりいて、
なんたが「社会的死」という言葉が
いつも脳裏をよぎらされる。
自分もロンバケになると
「無為徒食」生活に陥りそうになり、
さらに、コロナ禍で
ステイ・ホームせざるを得ないと、
よほど意識化しないと
建設的で有意義で
創造的な時間の使い方が
できないことがある。
「喰っちゃ寝」の
駄々羅暮らしになると、
ホームの婆様と変わりないなぁ・・・
と自嘲・自虐的にもなる(笑)。
もっとも、
ブログ書いたり、
料理したり、読書したり、
と精神活動は欠かさないし、
ロンバケ明けには
多忙な教育臨床現場に
戻らねばならないから、
休暇時季はダラリと休んでも
罪悪感を感じる必要もないのだが…(笑)。
けっきょくは、
昭和生まれの
ビンボー性という
ことなのだろう(笑)。
故障したボイラーを見に
塀際の裏に廻ってみたら、
足元に死んだセミがいたので、
拾い上げてみたら
弱々しく足を動かしたので、
まだ生きていた。
土の上に
転がってたので、
そのまま朽ち果てて
アリの餌になるのも気の毒なので、
庭の樹木や下草の生い茂ってる
緑の絨毯の方に移してやった。
5~8年も地中で
幼虫として暮らし、
成虫として一夏を
地上と空中で生きて、
そして生涯を終える。
カゲロウよりは
長い生涯だが、
それでも、
その儚き人生に
"もののあはれ"を
感じずにはいられない。
そういや、
ファリャのオペラにも
『はかなき人生』
(La vida breve)
というのがあった。
その『スペイン舞曲第一番』は
有名であり、
コンサートでも独奏した。
⁂
ウィキによれば、
『アブラゼミ』の由来は、
翅が油紙に似てるから、
という説と、
「ジジジジ」という鳴き声が
油を熱した時に
撥ねる音に似てるから
『油蝉』とされた、
という二説がある。
学名は
「Graptopsaltria nigrofuscata」
(グラプトサルトリア ニグロフスカータ)
カメムシ目(半翅目)
ヨコバイ亜目(同翅亜目)
セミ科
になる。
日本には
約30種類いるようだ。
この夏も、
ヒグラシの
「カナカナカナー」
という、もの哀しげな
鳴き声は聞いた。
ミンミンゼミの
「ミーンミンミン」
もあった。
最近は、
ツクツクボウシの
「オーシツクツク」
を聞いていない。
「コロナ禍の今」を
自分なりに
いろいろと分析しているが、
深層心理学的、神話学的に言えば、
人類レベルの「英雄の旅」
という事が出来る。
今はまさに「特殊な世界」を
生きている最中だが、
これは「死と再生」の
通過儀礼の渦中でもあり、
この後には何らかの
「宝物」や「報酬」が
もたらされるのが
このサイクルの特徴である。
ヨーロッパの
人口の半分を絶滅させた
ペストの時には、
教会や貴族の権威が衰え、
民衆が力を持つようになった、
という大きな社会変動をもたらした。
今回の人類規模の厄災である
パンデミックが何らかの影響を
社会にもたらすだろう、
という見方は識者に多いが、
そのいくつかは悲観的なものであり、
例えば既に観られるような
社会のAI化が進み、
それに代用される職種の多くで
働き手が失職するだろうという。
今回のコロナ診断では
AIの方が医師よりも
優れていたと言われ、
やがて、病気診断は
AIに取って代わられるのではないか
とも言われている。
そして、
AIカウンセラーなるものも
登場したらしく、
あらゆる悩みのパターンへの
助言があたえられるという(笑)。
あらま…である(笑)。
┐(´ー`)┌
こりゃ、
ショーバイあがったりかー(笑)。
第五波の感染爆発が
起こっているようなので、
夏休み中の
プチ・マイブームにしてた
"蕎麦っ喰い"行脚も
今日から、しばらく
自粛しようと思う。
今日行く店も
決まっていて、
行ってみたい
という好奇心はあるが、
【好奇心を制すは恐怖心しかない】
との格言に従うことにした。
県内も二日続けての
80人超えとなり、
ジワリとデルタ変異株が
拡まりつつあるようだ。
ワクチン未接種であり、
全身に出来物ができるような
免疫低下状態なので、
込み合う皮膚科への
通院も見合わせて、
カミさんに朝晩
抗菌軟膏を塗ってもらい、
排膿処理をしてもらっている。
抗生物質を一週間呑んでるが
まだ化膿が治まらず、
痛みは軽減したが
完治には至っていない。
この分では、
ホーム・メディケーションで
ほぼ治ってから
皮膚科で経過診察してもらい
済生会への『紹介状』を
もらうだけになりそうである。
今度は、
オペ摘出にむけての
通院を覚悟せねばである。
蕎麦行脚を
七日も続けてみて、
どの店にも贔屓客がいて、
蕎麦好きが多いということを
痛感させられた。
というのも、
込み合うのを避けて、
口開け時の11時か半ちょうどに
出かけるも、もう、すでに、
数組が駐車場や店先で
待っているのだから驚く。
おもに「天盛り」を
七日続けてやってきたが、
店によってさほどに違いはないものの
飽きもしないから、
蕎麦は不思議なものである。
いくら鮨好きでも、
七日続けては
出かける気はしないものである。
盛夏にあって、
ひんやり喉越しがいいのと、
仄かな香りがするのと、
天婦羅のカリリとした食感との
テクスチュアの違いが
楽しめる・・・などがあって、
喰い飽きさせないのかもしれない。
それと、
〆に蕎麦湯でもって、
ツユをじんわりと味わうのも
気が緩む不思議な魅力がある。
おとついから
アルベニスのピアノ曲集を
IMSLPからダウンロードして
作品群を俯瞰している。
実際に音出ししてみると、
ギターでさんざん弾いて
飽きあきしてる
『入り江のざわめき』
『アストゥリアス』
『コルドバ』
『グラナダ』
などが新鮮に感じられた。
ピアノ曲がオリジナルで、
ギター版が編曲譜なので、
なんだか原点回帰して
勉強している気分だった。
ギターに自然に馴染むのは、
作曲者がスペイン舞曲でもある
フラメンコの様式を採り入れて、
ギター奏法を模倣しているから、
という事も弾いていると
実感できた。
曲集監修者の解説によれば、
技術的にも中級程度で、
オリエンタル、エキゾチック
な曲が満載とのことだった。
たしかに・・・
ギターで弾くよりも、
ピアノの方が技術的に
楽な感じがした。
今日は
グラナドスの
『12のスペイン舞曲』と
『詩的ワルツ集』を
ダウンロードして、
ピアノでさらってみたい。
あの名曲の
『オリエンタル』や
『アンダルーサ』が
ピアノでどう響くのか
楽しみである。
ホームの婆様の
医療情報が家族に届くが、
定期健診の結果が、
自分とは真逆で、
どこもかしこも
まったくの正常値で、
自分もこうだったらなぁ・・・
と溜息がもれた(笑)。
89歳の婆様のほうが
超「健康体」なのである。
こりゃ、
ムスコの方が、
先に逝きそうかもだわ…(笑)。
ただ、
ホームを訪ねると、
認知症の高齢者ばかりなので、
食べて寝てばかりいて、
なんたが「社会的死」という言葉が
いつも脳裏をよぎらされる。
自分もロンバケになると
「無為徒食」生活に陥りそうになり、
さらに、コロナ禍で
ステイ・ホームせざるを得ないと、
よほど意識化しないと
建設的で有意義で
創造的な時間の使い方が
できないことがある。
「喰っちゃ寝」の
駄々羅暮らしになると、
ホームの婆様と変わりないなぁ・・・
と自嘲・自虐的にもなる(笑)。
もっとも、
ブログ書いたり、
料理したり、読書したり、
と精神活動は欠かさないし、
ロンバケ明けには
多忙な教育臨床現場に
戻らねばならないから、
休暇時季はダラリと休んでも
罪悪感を感じる必要もないのだが…(笑)。
けっきょくは、
昭和生まれの
ビンボー性という
ことなのだろう(笑)。
故障したボイラーを見に
塀際の裏に廻ってみたら、
足元に死んだセミがいたので、
拾い上げてみたら
弱々しく足を動かしたので、
まだ生きていた。
土の上に
転がってたので、
そのまま朽ち果てて
アリの餌になるのも気の毒なので、
庭の樹木や下草の生い茂ってる
緑の絨毯の方に移してやった。
5~8年も地中で
幼虫として暮らし、
成虫として一夏を
地上と空中で生きて、
そして生涯を終える。
カゲロウよりは
長い生涯だが、
それでも、
その儚き人生に
"もののあはれ"を
感じずにはいられない。
そういや、
ファリャのオペラにも
『はかなき人生』
(La vida breve)
というのがあった。
その『スペイン舞曲第一番』は
有名であり、
コンサートでも独奏した。
⁂
ウィキによれば、
『アブラゼミ』の由来は、
翅が油紙に似てるから、
という説と、
「ジジジジ」という鳴き声が
油を熱した時に
撥ねる音に似てるから
『油蝉』とされた、
という二説がある。
学名は
「Graptopsaltria nigrofuscata」
(グラプトサルトリア ニグロフスカータ)
カメムシ目(半翅目)
ヨコバイ亜目(同翅亜目)
セミ科
になる。
日本には
約30種類いるようだ。
この夏も、
ヒグラシの
「カナカナカナー」
という、もの哀しげな
鳴き声は聞いた。
ミンミンゼミの
「ミーンミンミン」
もあった。
最近は、
ツクツクボウシの
「オーシツクツク」
を聞いていない。
「コロナ禍の今」を
自分なりに
いろいろと分析しているが、
深層心理学的、神話学的に言えば、
人類レベルの「英雄の旅」
という事が出来る。
今はまさに「特殊な世界」を
生きている最中だが、
これは「死と再生」の
通過儀礼の渦中でもあり、
この後には何らかの
「宝物」や「報酬」が
もたらされるのが
このサイクルの特徴である。
ヨーロッパの
人口の半分を絶滅させた
ペストの時には、
教会や貴族の権威が衰え、
民衆が力を持つようになった、
という大きな社会変動をもたらした。
今回の人類規模の厄災である
パンデミックが何らかの影響を
社会にもたらすだろう、
という見方は識者に多いが、
そのいくつかは悲観的なものであり、
例えば既に観られるような
社会のAI化が進み、
それに代用される職種の多くで
働き手が失職するだろうという。
今回のコロナ診断では
AIの方が医師よりも
優れていたと言われ、
やがて、病気診断は
AIに取って代わられるのではないか
とも言われている。
そして、
AIカウンセラーなるものも
登場したらしく、
あらゆる悩みのパターンへの
助言があたえられるという(笑)。
あらま…である(笑)。
┐(´ー`)┌
こりゃ、
ショーバイあがったりかー(笑)。
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