一日が終わり洗い物をする。
そして洗いながら思う。
この世に生きるってことは洗い物することだと。
この世のものはどうやっても汚れます。
身に付けるものにしろ、食器にしろ。
だから何かの折には綺麗にしないと汚れまみれになってしまう。
清潔に、快適に生きるためには洗うということは欠かせないこと。
それがこのかたちある世界に生きるために必要なことのひとつです。
そんなことはない、と思う人がいるとしたらその人はほかの誰かにそれを担ってもらっています。
家族にしろ、職業でやってくれる人にしろね。
だって生まれた瞬間からあらゆるものが汚れていきますよ。
考えてみるとそうですよね。
汚れたものを綺麗にしようと努めるのは神聖なことなんです。
それはかたちある生命をつなぐことだからです。
でも仮に身近なものが汚れたままであっても罪悪感を感じることはありません。
それはこの世の常であり、自然なことだからです。
目を向けて気になったら対応してください。
この世のほとんどのことはその方法で大丈夫です。
この世は、経験し精神を拡張するためのもの。
必ず何かの意味があります。
我が家ではこの神聖な行為をやる人間は基本的に私ひとりです。
どんどん汚れたものが溜まっていく。
何度終わらせても次のタイミングには溢れかえっていたりします。
以前はイライラして病みそうになったりしていました。
一生懸命気持ちを逸らそうとしながらやっていたんでしょうね。
不毛な心境でした。
でもこれは生きていることを支える大事なことかもしれない、と考えだしてから気持ちが変わりました。
汚れたものを綺麗にするということはこの世界に生きている証と言ってもいいこと。
「これは尊い営みなんだ」
だからしっかり目を向けてやろう。
そう思い始めてから精神的な負担にならなくなりましたね。
感じ方で変わります。
見過ごされがちですが本当はとても重要度が高いことですよね。
以前は意識から遠ざけようとして苦痛になり、余計な手間が増えたりして嫌になっていました。
でも視点を変えれば感覚も変わります。
そうして自分の内なる力は高まって行きます。