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跳ね踊りの開催はどうなるのか・・・2020-07-03

2024年03月12日 | 跳ね踊り・町内行事・代理の料理

町内もなにか、テレワーク化?

コロナ禍で会館に集まるのもどうだろうと、

ラインが活躍している。

例年5月のおおがかりな町内清掃も

今年は中止になった。

町内の納涼祭りも学区の夏祭りも中止になり

いまは、跳ね踊りをどうするか、

各支部の意見を提出せよ・・・

と、いうことで、

先日、久しぶりに会館に集まって、

跳ね踊り保存会のめんめんとはなしあってきたと高橋。

 

これは・・・なんともいえない気分であるが

基本的には、かつ個人的には

やるべきでは無いと思う。

 

差し入れメニュー(2年前から、子供たちだけに縮小)でもわかるが、

約2週間練習にあけくれ、組内をまわるのに5日。

そして、前夜祭に本祭・・

差し入れは練習後、巡回後に会館で残って練習する子供たちにもっていくが・・・

練習には、小学生に保護者・子供会役員・・と、はいってくるので

全員集まると100人を超すと思われる。

 

支部でこの調子なので

(当支部はもっとも人数が多い)

本祭・前夜祭あたりになると

神社には、跳ね手に役員に見物客に・・・

500人くらいが集まりかねない。

 

この状態で、コロナに罹患せずにすむことを想定する?

いや、そんな心構えでなく・・・

もしも、誰か罹患して

縁起でもないが、亡くなったとする。

その時に、あの時、反対してやめさせりゃよかった。

と、後悔したって、取り返しがつかない。

 

元々、消滅していたか、消滅しかけていたのを

ここまで(どこまで?)復興させたことを思えば、

本当に安全になった時に、開催したってかまわないと思う。

今なら、いろんな資料やビデオが残っていて

復興するに、手さぐりになる事もないだろう。

 

それに、なによりも、

この2年、支部長をやってきた高橋の思いを鑑みる。

「なによりも、怪我も事故もなく、みんな無事に参加できた」

通常でさえ、そう願い、そこに気を配ってゆく。

そして、なによりも、みんなが楽しめる事を願う。

 

コロナ禍のなか、母親(父親・家族)は不安を抱えながら子供を練習・祭りに送り出したいだろうか?

そんな状態で心から楽しめるだろうか?

 

その昔、我が子が跳ね踊りの練習に参加していたある時。

突然の雨で練習が中止になったものの、10分もしない内に雨がやみ

保存会の大人たちが練習再開を告げに来たのだが

我が子・・・行こうとしなかった。

理由を聞くと

「太鼓が濡れるから今日は中止する」

と、いうような言い方に腹を立てたという。

これは、いろんなバックグラウンドもある。

ひとつには、育ってきた環境の違いだろう。

もうひとつは、大人と子供の絆?の薄さ。

代理の子供のころ。

福井は、四井(米松)というところにいたが

そこは、子供の遊び場所が少なく

子供たちは小さな神社に集まって遊んでいた。

そこは、道路のすぐそばだった。

代理の母親はボールを買い与えてくれたのだが

その時、

「ボールをおいかけて車道にとびだすな。ボールがだめになったらいつでも買ってやるから」

と、言われた。

そして、じっさい、3回以上即買ってくれるということが有ったのを覚えてる。

子供心に母親の言葉は刺さった。

ボールなんか、買えば済む。買えば済むようなものを大事にしておまえにもしものことがあったら・・・

その言葉は、たぶん、自分が母になったとき、なにかのおりに我が子に同じ言葉をかけさせたのだと思う。

だから、我が子は

「おまえら、風邪ひいちゃいかんから・・・」

ではなく

「太鼓が濡れるから・・・」の言葉に鋭く反応したと思う。

 

生い立ちの違いといってしまえば、それまでだ。

跳ね踊りをさせてもらえてうれしかった。おまえらも、嬉しいだろうという大人にとって

太鼓が濡れるは重大なこととして胸に刺さっているだろう。

 

だが、その立場がちがうと

お互いがお互いを理解できない。

糞生意気な子供であり

根性悪いおっさんであり

歩み寄る処が少なすぎた。

 

このこともあって、

高橋には、

まず子供大事という一義でいってくれ。

と、わかっていることであるけど

念押しした。

子供大事に思っていると判れば

子供もそのおじさんが

子供にも気を配り

太鼓も守ろうとする姿に

「自分も守り」

「太鼓もぬらしちゃいけない」

と、自然と解する。

けして、強制するものではない。

自然とはぐくまれるものである。

 

そのひとつとして

コロナ禍とて、同じだと思う。

人を大事にしていくことを優先できない状態では

跳ね踊りは形骸化する。

それは本当に「楽しめる」ものだろうか?

 

神に奉納するということもあって、

祭りでけが人・事故などおきるのはもっての外だとも思う。

万が一でも

人が死ぬかもしれない状況を強いて

神は奉納と受け止めるだろうか?

 

同じように

子供は神様、ともいう。

その神様になにかあってはいけない。

 

万が一

その0,01%を想定するか、しないか

成ってからでは遅いということを思う。

 

高橋は明快だ。

何かあった時、ワクチンもない。特効薬もない。

そんな状態の時に開催するのは危険だ。

それができて、楽にみんなの手にはいるようになってから

祭りを開いたって遅くない。

 

心の底から安心して楽しめる。

そんな「平和」がありがたいと心に沁みるまで

待って待って待って

そして、跳ねる!!

 

それで良いんじゃないかと思う。

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